第18話 ペアレント
夜。僕は自分の寝室にいる。なお、いまさら説明することでもないが、トコヨにも彼女専用の私室が用意されている。
「もしもし。父さん? ぼくだけど」
電話をかけた。こちらはだいぶ遅い時間の夜ではあるが、父は船で西に向かって進んでいるので向こうの方が時間は早い。
「トコヨの了承が得られた。うん。予定通り。シャンバラで得られるポイント収益の、半分は王国の収入になる。そういう話で」
「それは良かった。それがあるとないとでは、話がまったく変わってくるからな」
「船旅はどう?」
「ま、慣れたものだ。船の上から、日本政府との折衝は既にだいぶ進んでいる」
そう、情報化社会の世の中なので、なにも父が直接日本政府の、たとえば外務省の窓口とかに直々顔を出さなくても、いろいろ交渉はできるのである。だから行かなくていいというものでもないが。
「うん。なるほど、じゃあそっちも順調だね」
「ああ、そういうわけだ。じゃあ、政治の話はここまでだ。ここからは、別の種類の話になるんだが」
「うん?」
「ティルのことだ。お前の母親の」
「お盆の墓参りならこないだ済ませたよ」
「……それも絡む。非常に重要なことだ。心して聞け。ティルは」
「うん」
「恐らくだが、まだ生きている」
「え」
なるほど、確かに非常に重要だ。とんでもない話を聞かされた。
「なに、どこにいるの? いや、父さんはいま母さんがどこにいるか知ってるの? 故郷の国に帰ってるってこと?」
「いや……それがだな。あのトコヨという娘と、シャンバラの話を聞いたときに。すぐ話すべきだったかもしれないが……」
「ぼくの母さんの話にトコヨは関係ないだろ」
「それが、あるんだ。多分だが。いいか。長い話になるが」
父が語った話は、とんでもないものだった。
「むかし、お前が生まれる前、俺がまだ王子だった頃のことだ。海護に、未知のダンジョンが現れたことがある」
「ええっ!? 聞いたこともなかった、そんな話」
「そりゃそうだ。俺とティルしか知らないことだ」
「長老とかも知らないの?」
「そうだ。お前がいま潜っているシャンバラとはまったく仕組みが違う。おそらく、ずっと単純な構造だった。そのダンジョンの名は『アガルタ』と言った。そして、ダンジョンの中で、俺は一人の少女と出会った。その少女は自分はこのアガルタのダンジョン・オペレーターであると言い、そして、ティルと名乗った」
「……なんてこった」
そこからの説明はこういうものだった。アガルタというダンジョンは『大いなる者の意思』によって創られた、と母さん、つまりティルという少女は語ったという。父は、別に仲間などは集めず、一人でそのダンジョンの最深部までの攻略に成功した。そして、最終階層の最後の扉の前で、言われた。
「さあ、一緒に行きましょう。この扉の先は、楽園へと通じています」
だが、父はその扉を開けなかった。その扉の向こうに行ったらもうこちらの世界に戻ってくることはできなくなる、その必要自体がなくなるのだ、とティルに言われたから。
「俺には王位継承者としての責務があるから、それは出来ない、とそう言った」
で、ティルはそれならじゃあ一人で帰るというようなことを言い出したのだが、父はその手を掴んで止めた。そして、プロポーズしたらしい。どうか君がこちらの世界に残ってくれ、と。
「そして、お前が生まれた」
「うん。なんとも気恥ずかしいもんだね、父親からそういう話をされるのは」
「混ぜっ返すな。だが五年後、ティルは結局、置き手紙を残して去って行った」
「そんな手紙あったの?」
「王室宝物庫の、いちばん左上にある金庫の中に入れてある。お前も見ろ。解錠の仕方はいま説明する」
「分かった。今から向かう」
王室宝物庫なんて言うと壮大だが、ご先祖様の軍刀が置いてあったのとおんなじ、例のがらくた置場のことである。つまりうちの中にある。
「……あった。これだね」
内容は簡潔だった。たいしたことは書かれていない。
『いつの日にか、再びエデンの地で 藤一郎様へ ティルより』
うーん、やっぱり両親のこういうものを見るのはなんとも気恥ずかしい。……って、それどころじゃない。エデン。エデンか。アダムとイヴがそこで創られたとかいう、神の楽園の名だ。
「この世界の伝承と神話の中に登場するエデンと、ティルがやってきたエデンが同じものなのかは分からない。だが、とにかく、お前の身体に流れている血の半分は、そのエデンの民のものだ」
「……うん」
つまり、ぼくは普通の地球人ではないらしい。びっくりだ。びっくりだからといって、それで何をどうしたというものでもないが。この島で育った、人間には違いないのだし。
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