奇しき愛の言葉

Yaki Monja

第1話:言霊の呪い

 この街では、言葉が重い。

 ただの音ではなく、口にした瞬間に、世界の形を少しだけ変えてしまう。

 だから、人々は言葉を慎重に選ぶ。

 それでも、時折「呪われた声」を持つ者が生まれるという。そのひとりが、俺だ。

 名前は透(とおる)。十七歳。

 俺の言葉には奇妙な法則がある。嘘をつけば誰かを救えるが、真実を言えば大切なものを失う。

 小さいころ、それに気づいたのは、ほんの些細な出来事だった。

 母親に「このクッキー、好き?」と聞かれ、「嫌い」と答えたら、母は泣き、二度と作ってくれなかった。

 次に「好き」と嘘をついたとき、味は変わらないのに、不思議と心が軽くなった。

 それ以来、俺は嘘ばかり吐くようになった。

 街には、ある噂があった。

 「偽り続けた者は、天に堕ちる」。

 地獄ではなく、天に。白い空の果てに吸い上げられ、二度と戻らない。

 冗談だと思っていたが、最近、その“堕ちた者”を何度か見た気がする。

 真昼の空を見上げると、ぼやけた人影がふわりと浮かんでいて、やがて溶けるように消えるのだ。

 そんな世界で、俺は無難に生きてきた。

 必要な嘘をつき、誰の心も逆なでせず、ただ静かに。

 ——そのはずだったのに。

 彼女と出会ったのは、雨上がりの図書館の前だった。

 傘を持っていなかった俺の前に、赤い長靴の少女が立っていた。

 歳は同じくらいだろう。癖のある黒髪を耳にかけ、まっすぐこちらを見て言った。

 「ねえ、あなたの言葉って、全部嘘でしょ?」


 初対面でいきなりそれを言うやつがいるか?

 俺は思わず苦笑いして、「さあ、どうだろうね」と答えた。


 彼女は目を細め、頷いた。

 「やっぱり嘘。……でも、その嘘、優しいね。」


 彼女の名前は美砂(みさ)。

 妙なやつだった。俺の言葉の裏側を、当たり前のように見透かしてくる。

 「本当はその本、興味ないでしょ」とか、

 「今の笑い方、悲しいときのやつだ」とか。

 いちいち図星を突いてくる。

 腹が立つ……はずなのに、不思議と心地いい。

 俺の“呪い”を前提として、拒絶しない人間なんて初めてだった。


 ある日、美砂が言った。

 「ねえ透。あなたって、愛してるって言ったことある?」

 俺は鼻で笑った。

 「そんな重い言葉、言う必要ある?」


 「あるよ。」彼女はきっぱり言った。

 「言葉は、嘘でも真実でも、誰かを変えられるでしょ。」


 そのとき、俺ははじめて自分の胸の奥がざわめいた。

 “言えない言葉”の存在を意識したのだ。


 でも、その夜、街の空を見上げたとき——。

 またひとり、“天に堕ちた”人影を見た。

 皆に愛されていた学校の人気者だった。

 噂によれば、ずっと「大丈夫」と言い続けていたらしい。

 俺は思った。

 愛されるほど、人は嘘に縛られるのかもしれない。


 翌日、美砂が俺の前で笑った。

 「透、今日くらい、本当のことを言ってみたら?」

 俺は喉の奥が焼けるような感覚に襲われた。

 言いたい。

 でも、言ってしまえば何かが壊れる。

 俺の呪いが、それを知っている。


 だから俺は、こう言った。

 「——ごめん。」


 美砂は少しだけ目を見開き、そして穏やかに笑った。

 「そっか。じゃあ、それが今の透の本当なんだね。」


 その瞬間、俺は気づいた。

 この街の“まほろば”は、どこか遠い理想郷じゃなく、

 たぶん——この少女の目の奥にあるのだ。

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