第30話:空の牙(2)

 (守るんだろ! 仲間を! 覚悟を決めたんじゃないのかよ!)


 心の奥で、自分を叱咤する声が聞こえる。

 そうだ。俺は、もう守られるだけの少年じゃない。

 俺が守るんだ!


 その瞬間、リアンの脳裏に、ミレイスを出る前に見た、父アレンの夢が鮮やかに蘇った。


 『この短剣には不思議な力が宿っているんだ。いつか、この力がお前の助けになる。だが、それはお前が本当に困ったときだけ使うんだ』


 本当に、困ったとき。


 仲間が目の前で死にかけている。

 これ以上に困ったときがあるもんか。

 リアンは懐から母の形見の短剣を抜き放っていた。

 それは、ナラトを、カイを、メリッサを守りたいという、ただ純粋な祈りそのものだった。


 空の牙がとどめを刺そうと大きく口を開き、再び、その喉の奥に灼熱の炎が渦を巻き始める。


 「やめろおおおおおおっ!!」


 リアンは短剣を天に掲げて叫んだ。

 その瞬間、短剣が脈打つように淡い光を放ち始めた。

 鞘に刻まれていた古代文字が、まるで目を覚ましたかのように1つ、また1つと黄金色の輝きを灯していく。

 リアンの手の中に、小さな太陽が生まれたかのようだった。


 次の瞬間、リアンの体を温かく、そしてどこまでも優しい光のドームが包み込んだ。

 それは攻撃的な魔力とは全く違う、生命そのものを祝福するかのような清浄なエネルギーの奔流だった。

 谷間の空気が、その光に触れて浄化されていくのがわかった。


 空の牙が吐き出した灼熱の炎は、その光の障壁に触れた瞬間、まるで春の陽光に溶ける雪のように、音もなくかき消えていった。


 グギャアアアアア!?


 自らの攻撃を無効化され、そして、その光が持つ根源的な生命の輝きに焼かれたのか、空の牙は苦悶の叫び声を上げた。

 その黄金の瞳には、初めて恐怖の色が浮かんでいる。

 本能が、自分では目の前の小さな存在に決して敵わないと告げていた。


 空の牙は一度だけ忌々しげにリアンを睨みつけると、傷ついた獣のように慌てふためきながら翼を羽ばたかせ、山の彼方へと逃げ去っていった。


 後に残されたのは、呆然と立ち尽くすリアンと、静寂を取り戻した谷間だけだった。

 リアンの手の中で短剣の光はゆっくりと消え、元の美しい装飾品へと戻っていった。


 「……ナラト!」


 我に返ったリアンは、真っ先に倒れているナラトの元へ駆け寄った。

 彼の左腕は、ワイバーンの爪によって鎧ごと抉られ、火傷と裂傷で無残な状態になっていた。

 肉が焼け、骨が覗いている。


 「ひどい傷……意識はある!?」


 「……ったりめぇだ。この程度でくたばってたまるかよ……」


 ナラトは虚勢を張るが、その額には脂汗がびっしりと浮かび、呼吸も浅くなっている。


 「そうだ、月光草が……」


 リアンは、ギギにもらった青い薬草を取り出すと、それを石で潰してペースト状にし、ナラトの傷口に塗りつけた。

 すると、奇跡が起きた。

 月光草の成分が、先ほど短剣から放たれた生命エネルギーの残滓と共鳴したかのように、ナラトの傷が目に見える速さで塞がっていく。

 焼け爛れた皮膚は再生し、裂けた筋肉も、まるで時間を巻き戻すかのように繋ぎ合わさっていく。


 「なんだ、こりゃあ……。痛みが、消えていく……」


 ナラト自身が、信じられないものを見るように自らの腕を見つめている。

 やがて一行は互いの無事を確かめ合い、改めてリアンの手にある短剣に視線を注いだ。


 「リアン……今のは、一体……」


 カイが、魔術師としての探求心から尋ねる。


 「わからない……ただ、父さんが言ってたんだ。これは母さんの形見で、本当に困ったときに、助けてくれるって……」


 リアンは、夢で見た父との対話を、仲間たちに語って聞かせた。


 「……なるほどな」


 カイは、深く頷いた。


 「あれは、攻撃魔法じゃない。リアンの仲間を守りたいという強い祈り、意志そのものが引き金になったんだ。短剣に刻まれた古代文字……エルネスト学長が言っていた『生命の賛歌』は、持ち主の生命力と守護の意志に共鳴し、それを純粋な防御エネルギーに変換する、古の祈りの魔法なのかもしれない。リーナさんのリアンを守りたいという祈りそのものが、きっとあの短剣には込められているんだよ」


 母の、祈り。


 その言葉に、リアンは胸が熱くなるのを感じた。

 自分は1人ではなかった。

 会えなくても、顔を知らなくても、母はいつも自分のそばにいてくれた。


 リアンは、母の形見の短剣を、壊れ物を扱うようにそっと握りしめた。

 それはもう、ただの武器ではない。

 ナラトが教えてくれた「守るための剣」と、そして母が遺してくれた「護るための盾」。

 その両方を手にした今、リアンの心から、迷いは完全に消え去っていた。

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