第17話:束の間の休息(1)
森に満ちていた血と獣の臭いは、夜明けと共に立ち上る朝靄に紛れ、徐々に薄れていった。
しかし、リアンたちの心と体に刻まれた死闘の記憶は、生々しい熱を持って燻り続けている。
「カイ、しっかりしろ! もう少しでミレイスだ!」
ナラトが、意識を朦朧とさせ始めたカイをその屈強な背中に担ぎ上げ、先を急いだ。
カイの左腕からは未だに出血が続いており、リアンが施した薬草による応急手当も気休めにしかなっていない。
メリッサは一行の周囲を警戒しながら、その翠の瞳に悔しさと焦りを滲ませていた。
あのとき、自分がもう少し早く動けていれば……。
その思いが、メリッサの唇を固く結ばせる。
やがて、ミレイスの高い城壁が見えてきた。
夜明けの交代準備をしていた門番たちが、一行の姿を見てぎょっと目を見開く。
「お、お前たち、昨日の……! 生きていたのか!?」
「仲間が深手を負っている! 騎士団の医師を呼んでくれ!」
ナラトが怒鳴ると、門番の1人が慌てて城内へと駆け込んでいく。
ほどなくして、報告を受けたイザータが、数人の騎士を連れて血相を変えて現れた。
「なんと……本当に戻ってくるとは……。カイ殿の傷はそれほど深いのか!?」
「見てのとおりだ。あんたらの依頼は果たしたが、ずっと出血が止まらない。すぐに治療を頼む!」
イザータはカイの傷の深さを見るや、顔を険しくした。
傷口の周囲が微かに黒ずみ、邪悪な瘴気を放っている。
「魔獣の爪による呪毒か……。ただの傷では済まないかもしれん。すぐに城内の医療棟へ運べ! 神殿から高位の神官も至急お呼びしろ!」
イザータの迅速な指示で、カイは医療棟へと運ばれていった。
リアンたちが心配そうに後を追おうとするが、イザータはそれを制する。
「君たちの役目は、カイ殿の無事を祈ることだ。そして、私に詳しい報告をしてもらわねばならない。君たちが成し遂げたことは、この国の危機を救ったに等しいのだからな」
イザータの執務室に通された3人は、昨夜の戦いの詳細を報告した。
黒狼が3匹いたこと、そのうち1匹がボス格で異常な力を持っていたこと。
ナラトは言葉を選びながら、戦闘の経過を説明した。
「……最後は、俺たちの奥の手でなんとか仕留めた。これがあんたらの言っていた狼の正体だ」
リアンは、カリオンが浄化した水晶石をテーブルの上に置いた。
「これが……魔獣の元凶だと、協力者は言っていました」
イザータはその石をおそるおそる手に取ると、その清浄な輝きに目を見張った。
「……これが、闇の宝玉の欠片が浄化された姿だというのか……」
「イザータさんも、闇の宝玉のことを知っているんですか!?」
リアンの問いに、イザータは重々しく頷いた。
「うむ。ミレイスの王と騎士団長を継ぐ者だけに伝えられる古の伝承に、その名が記されている。世界に混乱と破滅をもたらす、呪われた秘宝……。まさか、その脅威がこれほど身近に迫っていたとはな……」
イザータは、今回の任務で命を落とした傭兵たちの顔を思い出し、唇を噛みしめた。
(この若者たちが、あの戦士たちすら成しえなかったことを成し遂げようとは……)
「君たちのおかげで、これ以上の犠牲を出さずに済んだ。心から感謝する」
イザータは立ち上がると、約束の報酬が入ったずしりと重い革袋をテーブルに置いた。
「これが約束の金貨300枚だ。だが、これでは足りんだろう。君たちはこの国の恩人だ。後日、王に謁見の場を設け、正式な褒賞を授与させていただきたい」
革袋の重みを確かめ、ナラトは満足そうに口の端を吊り上げた。
「礼には及ばねぇ。こっちも商売なんでな。……だが、団長さん。この話、これで終わりじゃねぇんだろ?」
ナラトの目が鋭く光る。
イザータはその視線を受け止め、頷いた。
「ああ。君たちの協力者の言う通り、これが闇の宝玉の欠片ならば、他の欠片がまだ世界のどこかに存在するということだ。今回の件は、ミレイス王に私から直接報告し、国として君たちの旅に最大限の協力をしたい。ただし、闇の宝玉に関する一切は、国家の最高機密として扱わせてもらう。君たちの存在も、公式には『黒狼を討伐した優秀な傭兵パーティー』として記録されることになる」
その言葉は、リアンたちの旅が個人的なものではなく、国家レベルの重要任務になったことを意味していた。
数時間後、治療棟から連絡があった。
高位の神官による懸命な治癒魔法で、カイの命に別状はないと。
しかし、魔獣の爪に残っていた瘴気、一種の強力な呪いがカイの魔力の流れを乱し、左腕の自由を奪っていた。
完治には少なくとも10日以上の安静と、呪いを専門とする高位の魔術師による特別な治療が必要とのことだった。
カイの療養期間、一行はイザータが用意した騎士団の宿舎を借り、ミレイスに滞在することを決めた。
だがそれは、単なる休息期間ではなかった。
それぞれが次の戦いに備え、己を磨き直すための貴重な時間となった。
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