第7話:旅立ち(2)

 エーテ村を出て数時間、リアンとカイにとって、見るものすべてが新鮮な驚きの連続だった。

 道の両側には、地平線まで続くかのような広大な平野が広がり、その向こうには低い丘や小さな森が点在している。

 澄み切った空気が風に乗って頬を撫で、村では決して感じることのできなかった世界が2人を優しく包み込む。


 「すごいな……村のすぐ近くに、こんな景色が広がってたなんて……」


 リアンは目を輝かせながら、飽きることなく周囲を見渡す。

 エーテ村という閉ざされた世界しか知らなかったリアンにとって、この風景は物語のなかの出来事のようだった。


 「確かにな。でも、気を抜くなよ、リアン。ここにはもう村の柵も、長老の目もない。なにが起きても不思議じゃないからな」


 カイの冷静な言葉にリアンはハッとして頷き、腰の剣の柄にそっと手を添えた。

 これから目にする景色は、どれも2人にとって未知のものばかりだ。

 強い高揚感と背中合わせのわずかな不安が、それぞれの胸に広がっていた。


 昼を過ぎた頃、2人は小さな森に差しかかっていた。

 木々が作る涼しい木陰で、トーマスが持たせてくれたパンと干し肉を食べる準備を始める。


 「長老、ちゃんと食事のことまで考えてくれてたんだな」


 カイが少しだけ表情を和らげてそう言うと、リアンも頷きながらパンをかじった。


 「じいちゃんは、本当に俺たちのことを心配してるんだと思う。だから、絶対に……無事に帰らないとね」


 リアンのその言葉に、カイは真剣な顔で力強く頷いた。

 リアンは微笑みながら食事を続ける。そのときだった。


 ガサッ。


 すぐ近くの茂みの奥から、なにかが枝を踏む音がした。

 2人は弾かれたように立ち上がり、それぞれ武器を構えた。


 「誰かいるのか!?」


 すると、茂みから1匹の白いウサギが出てきた。


 「おどかすなよぉ……」


 リアンが剣から手を離し、再び腰を下ろす。


 翌日、街道を歩く2人は空を見上げていた。


 「雨、降りそうだね……」


 リアンが不安そうに言うと、カイは周囲を見渡す。


 「リアン、あそこに見える古屋に行ってみないか?雨に濡れるよりはマシだろう」


 カイの提案で、2人は小さな古屋を目指す。

 通行人の休憩所として作られた古屋はとても質素だった。

 コンコンとリアンが扉を叩くと、古屋から声が聞こえる。


 「ん?誰か来たのか?」


 「すいません、俺たち旅の者なんですけど、雨が降りそうなので少し休ませてもらえませんか?」


 カイが丁寧に尋ねると、大きな笑い声が聞こえる。


 「ガハハハ!ここは俺の家じゃねぇぞ!休みたきゃ入ってこい」


 古屋の中には、肩幅の広い屈強な男が横になっていた。

 床には身の丈ほどの大剣が置いてある。

 日に焼けた肌と、着古しているが頑丈そうな革鎧。

 その服装や風貌からして、旅慣れた傭兵といったところだろう。


 「旅の人ですか……?」


 リアンが警戒した面持ちで尋ねる。

 男は悪びれる様子もなく、豪快に笑った。


 「俺か? 見てのとおり、ただの傭兵だよ」


 男は無防備に両手を広げて敵意がないことを示すと、リアンたちを値踏みするように見た。


 「お前らみたいなガキが2人で旅か……。その立派な剣と杖からすると、どこぞの貴族の坊っちゃんか? 危なっかしいな。どこまで行くんだ?」


 リアンとカイは一瞬、目を見合わせる。

 初対面の相手に目的を易々と話していいものか。


 「……ミレイスだけど。あなたは?」


 カイが慎重に言葉を選んで答える。


 「お、ミレイスか! そりゃ奇遇だな! 俺も仕事を探しにちょうどミレイスに行くところだ。」


 「あなたも?ミレイスってどんなところなんですか?その……俺たち初めてなのでよく知らなくて……」


 「なんだ家出か?俺もミレイスに行ったことはないが、話によると飯と酒が美味いらしいぜ!良かったら、ミレイスまで一緒に行かねぇか? 道中の用心棒代わりくらいにはなってやるぜ!」


 男は腰の水筒を取り出して豪快に飲み始めた。

 匂いからして、中身は水ではなく強い酒のようだ。


 リアンとカイは再び顔を見合わせる。

 男の態度は粗野だが、不思議と悪い感じはしない。

 むしろ、この物慣れした雰囲気は、外の世界を知らない2人にとって心強いとさえ感じた。


 警戒を解いたリアンが、ナラトの前に腰を下ろす。


 「俺はリアン。彼は一緒に旅をしているカイです。俺たち、あまり外の世界のことを知らないから、もし良かったら道中いろいろ教えてください」


 「外の世界を知らない?変わったこと言うじゃねぇか! どこの出身なんだ?」


 ナラトが興味深そうに尋ねる。


 「エーテ村という小さな村。多分、知らないと思いますけど……」


 「エーテ村……確かに聞いたことねぇな。で、ミレイスにはなにしに? 探し物でもしてるのか?」


 リアンとカイは、真実をどこまで話すべきか迷った。闇の宝玉のことは伏せておくべきだろう。

 ナラトが敵ではないという保証は、まだどこにもないのだから。


 「うん、まあ……ちょっと。その手がかりがミレイスにあるかもしれなくて」


 「ふーん、よくわからねぇが、見つかるといいな!」


 ナラトは深く詮索することなく、ニカッと笑った。


 「ナラトさんこそ、ミレイスで仕事を探すって言ってたけど、どんな仕事なんですか?」


 「さんなんてやめろよ気持ちわりぃ!ナラトでいいし、敬語もいらねぇ!傭兵の仕事だ。最近は大きな戦争もなくて平和だから、俺たちみたいな傭兵稼業は干上がり気味でな。だが、どういうわけか、最近ミレイスの近辺で狼が出没するようになったらしくて、騎士団とは別に腕利きの傭兵を募集してるって話を聞きつけたんだ」


 「狼……?」


 リアンはカリオンとの会話を思い出した。

 闇の宝玉の影響で、魔獣が出没しているという話を。


 「ああ。たかが狼相手に騎士団を抱える国がわざわざ外部の傭兵を高値で雇うなんざ、ちっと妙な話だとは思うんだがな。まあ、仕事があるだけ今はマシってもんだ!」


 ナラトは豪快に笑い飛ばした。


 (狼……。もしかしたら、闇の宝玉の手がかりが掴めるかもしれない)


 リアンは期待に胸を膨らませていた。

 食事を済ませた3人は、再びミレイスへと向かって歩き出す。


 「ナラトさんの出身はどこなんですか?」


 「俺か? 俺はスダイールだ。つーかそろそろ敬語やめにしねぇか?ムズムズする……」


 リアンとカイは、クスクス笑った。

 エーテ村では、他の国のことを教わる機会など全くなかったからだ。

 どんな国が、世界のどこにあるのかさえまるでわかっていない。


 「スダイールは傭兵の国でな。もともとは国ってほどのモンでもなかったんだが、今の国王がとんでもなく腕の立つ傭兵でな。そのカリスマ性と技量を慕って、世界中から腕自慢の連中が集まり、いつの間にか国になっちまったってわけよ」


 「傭兵が集まってできた国……そんな国もあるんだね。スダイルーは、ここから遠いの?」


 「スダイールだ、スダイール!ここから南西にずっと行ったところだが、かなりの距離があるぜ。もっとも、俺も各地を転々としてるから、もう何年も帰ってねぇがな!」


 そう言ってナラトは笑う。


 「リアンも剣士なんだろ?」


 リアンの腰に下げられた、その身にはまだ不釣り合いにも見える立派な剣を見て、ナラトはずっと気になっていた。


 「剣士って呼べるほどじゃないけど、毎日、木剣で稽古はしてる。父さんも……剣士だったみたいだから……」


 リアンの声が少しだけ沈んだのを見て、ナラトはなにかを察したようだった。


 「ま、お互いいろいろあるわな! それより、村からほとんど出たことがねぇってんなら、実戦経験はねぇんだろ? いいか、傭兵の先輩から1つだけアドバイスしといてやる。それはな、『ためらうな』ってことだ」


 「ためらうな?」


 「そうだ。実戦じゃ、一瞬の判断遅れが命取りになる。斬るべきか、避けるべきか、守るべきか。頭で考えてる暇なんてねぇ。体が勝手に動くくらいじゃなきゃ、長生きはできねぇのさ!」


 数多の修羅場を潜り抜けてきたであろうナラトの言葉には、ずしりとした重みがあった。


 「うん……肝に銘じておくよ。」


 「それと、そっちの魔術師の兄ちゃん。カイ、だったか?」


 ナラトはカイの方を向いた。


 「お前は、誰よりも冷静でいろ。剣士がパーティの矛なら、魔術師は盾だ。お前の思考1つ、呪文の選択1つで、俺たちが生きるか死ぬかが決まることだってある。熱くなるなよ。常に戦況を見ろ」


 「冷静に、戦況を俯瞰で……。たしかに、ナラトの言うとおりだな。覚えておこう」


 カイは真剣な表情で頷いた。

 浴びるように酒を飲みながらも、的確な助言をくれるナラト。

 その裏表のない人柄に、リアンとカイの警戒心は、いつの間にか解けていた。


この先、なにが待ち受けているかは分からない。

 しかし、ナラトという頼もしい兄貴分の存在は、2人の少年に勇気を与えてくれていた。

 その大きな背中と背負われた巨大な剣が、やけに頼もしく見えた。

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