第160話 灰翡翠の亜人街区 1

 六月の朝、薄曇り。

 養成所の搬送ゲート前には、Bクラスの小隊が整列していた。


 今ごろ、仁旺はどうしているだろう。

 ゲートの光を見つめながら、裕太は胸の奥で小さく呟いた。


 あの大きな体で、こがねと一緒に庭の草むしりをしているかもしれない。

 まだ戦闘には連れて行けないが、セラの訓練の成果は着実に出ている。

 臆病スキルと暴食の呪いに苦しんでいた面影は薄れ、いまの仁旺はどこか誇らしげだった。

 次はきっと次は一緒に行ける。

 そう思いながら裕太は深く息を吸う。


 その少し前……。

 前回の演習報告を終えた裕太たちに、担当教官の小早川が何気なく声をかけたのだった。

 「君たちほどの実力なら、通常のDクラス指定より少し上の場所を試してみてもいいだろう。……そうだな、“灰翡翠の亜人街区グレイブ・アズライト”など、どうだ?」


 教官の声音は穏やかで、いつもの助言のように聞こえた。

 だが、天音がほんのわずか眉をひそめたのを裕太は見逃さなかった。

 《グレイブ・アズライト》ダンジョンの難易度はDクラス指定だが、実質はCクラス相当。つまり上級者向けの危険領域だ。

 理由を問う裕太に教官は笑って首を振るだけだった。

 「訓練場よりも“生きた経験”を積むべき時期だと思ってね。

  もちろん、無理はするな。途中撤退も立派な判断だ」


 柔らかな笑み。

 だが、その目の奥にかすかな影がよぎったのを、誰も言葉にすることはなかった。


 そして、今。

 養成所の転送ゲート前。青白い転送光が立ち上り、裕太たちは教官の言葉を信じてその中へと足を踏み入れ

 目的地はDクラス指定ダンジョン、灰翡翠の亜人街区グレイブ・アズライト

 通常のBクラスの学生が挑むには危険すぎる領域だ。だが彼らは例外だった。セラフィナとミナ、そして神代天音という剣聖を擁するこの班は、すでにAクラス顔負けの実力を持っていた。


 天音が短く息を吐く。

「配置はいつも通り。前衛セラフィナ、中衛ミナと私、後衛裕太。行くわよ」


 青白い光の転送陣が足元を包む。視界が歪み、次の瞬間、四人の姿は灰緑の廃街に立っていた。



亜人街区・第1層

崩れた市街


 そこは古びた石畳と崩れた建物が並ぶ街跡だった。

 かつて亜人族が暮らしていたと言われる場所だが、今ではただの魔窟。湿った風が吹き抜け、遠くから耳障りな金属音が響く。


「ゴブリンの気配……二十、いや三十近い、来ます!」

 セラフィナが低く告げる。彼女の光翼がかすかに展開し、盾の縁に淡い光が宿った。


「狭い路地だな。ミナ、範囲は絞って」

 天音の指示にミナは指先を鳴らす。赤黒い魔力が流れ、大鎌が手の中に顕現した。


「分かってるわ。半径二メートル以内、温度抑えるわよ」

 炎の輪が静かに路地の奥を照らした。


 裕太は背後から全体を見渡す。

 狭い通路と遮蔽物が多い地形。

ミナの広範囲魔法は、うっかり撃てば仲間を巻き込む。だからこそ、緻密な制御が必要になる。


セラフィナが最前線で敵を抑え、天音がその隙を突いて突破する。

――その瞬間を逃さず、裕太が治癒魔法を回す。


頭の中に自然と、榊教官の言葉がよみがえる。

「戦場は流れだ。誰かが動けば、必ず空白が生まれる。その一瞬を掴め」


今まさに、その教えどおりに体が動いていた。

(“間を盗め。守りの間、癒しの間、殺しの間……そのすべてを見極めろ”)


 思考を終える間もなく、闇の奥から怒号が響いた。次の瞬間、ゴブリン・ナイトたちが短槍を構え、雪崩のように突進してくる。



 セラフィナが一歩踏み出す。

「《聖盾鉄壁(ホーリーディフェンス)》!」


 光壁が前面に展開し、突進してきたゴブリンたちの槍を次々と弾き返す。

 だが路地は狭く、側面の窓からも石礫が飛んでくる。

 瞬時に状況を判断し、彼女は盾を斜めに構えた。


「側面、薔薇の障壁を!」

「了解!」


 《薔薇障壁(ローズバリア)》が展開。花弁の光が舞い、側面からの飛礫を受け止めた。

 天音がその隙を突く。


「上、右、潰す!」


 号令と同時に彼女の体が閃光のように駆け抜けた。

 「《迅雷剣舞》」

 雷を纏った刀が屋根上を奔り、敵を一瞬で両断する。

 斬り裂かれたゴブリンが屋根から転げ落ち、ミナの足元へと転がった。


「お返しよ」

 ミナが小さく笑い、炎を放つ。

「《フレイムランス》!」


 火の槍が直線を描き、正面の敵をまとめて貫いた。

 狭路に熱風が吹き抜けるが、炎の壁は寸分も味方へ流れない。彼女の制御が完璧だからだ。


「ミナ、温度保持。裕太、回復を!」

「了解!」


 裕太はセラの肩越しに手をかざす。

 《癒しの手》。淡い光が戦場を包み、盾越しに伝わる衝撃でできた微細なヒビが瞬く間に塞がっていく。


「セラ、右下が手薄!」

「承知!」


 セラフィナが盾を半回転させると同時に、裕太は槍を構えた。

 熾天槍セラフィック・ランスの穂先が光を帯びる。

 榊直伝の動き、一足半の踏み込み。


 石突きが地を打つ。柄がしなり、穂先が一直線に敵の喉を貫いた。


 突き、引き、返し、無駄のない三連動作。

 榊の声がまるで耳の奥で囁くように響く。


(「間合いを盗め。振りかぶるな。流れで刺せ」)


 最後の一体が崩れ落ちた瞬間、天音が上方から舞い降りてきた。

「初動よし。次、広場へ移動開始!」



第2層

崩壊広場


 階層を下りるとそこは開けた広場になっていた。

 半壊した噴水と崩れた市場の屋根。

 そして、狼のような亜人、ノール・ハウラーの群れが十数体、吠えながら待ち構えていた。


「吠えでスタンをかけてくる、耳を塞げ!」

 天音が叫ぶ。

 同時に、セラフィナが前へと踏み出した。


「《楔(シールドピン)》!」


 盾が地を打ち、衝撃が走る。

 前列のノール三体が床に縫い止められた瞬間、後方から轟音のような咆哮――スタン波。

 セラの盾壁がそれを受け止め、衝撃を斜めに逸らす。

 花弁のような光が舞い、音が吸い込まれていった。


「天音、右翼を任せる!」

「了解!」


 雷脚の閃光。

 天音が《雷迅》を発動し、一瞬で間合いを詰める。

 十連の斬閃が鎖のように繋がり、敵の体を細切れにした。


 ミナは両手を掲げ、炎の輪を展開する。

「《業火輪舞フレイムサークル》燃やすのは“敵だけ”!」


 燃え盛る炎の輪が広場を囲み、ノールたちの退路を断つ。

 吠え声と焦げる臭いが入り混じり、空気を灼く。

 逃げ惑う敵を、天音の剣閃が容赦なく追い詰めていった。


 裕太は全体の魔力の流れを感じ取り、仲間の体力消耗を把握していた。

 ミナは魔力が過負荷気味。セラは盾に過剰な衝撃を受けている。

天音は消耗こそ少ないものの、筋肉の硬直が出始めていた。


「回復入れる! 全員、数秒だけ下がって!」

 《清浄の祈り》の光が広場を包み、スタンと火傷を同時に浄化する。

 やがて光が薄れたとき、そこに残る敵影はほとんどなかった。


 裕太は荒い息を整えながら、慎重に周囲を見渡す。

「……何か、妙だな。亜人たちの群れが散って動いてる。まるで“何かを守ってる”みたいだ」


「感じるわ」

 天音が頷く。

「この下……強い魔力の流れを感じる。行くわよ、三層へ」



第3層

地下集会所


 階段を下るとかび臭い空気と太鼓の低い響きが耳を打った。

松明の明かりに照らされ、十数体のゴブリンとひときわ大きな影、ホブゴブリン・ウォーリーダーが立ちはだかる。

背後の壁には古びた刻文。血のような赤黒い線が、妖しく光を帯びて揺らめいていた。


「バフ太鼓を叩いてるわね。先に壊す!」

 天音の声に、セラフィナが力強く頷く。


「了解。《投盾シールドスロー》!」


 盾が光の軌跡を描いて飛び、太鼓を貫くように叩き割った。

 爆ぜる音とともに音波が途絶える。

 その一瞬の隙を逃さず、天音が滑り込む。


「《雷鳴斬閃》!」


 閃光が走り、ウォーリーダーの腕を切り落とす。

 だが敵は怯まず、血を撒き散らしながら吠えた。


「まだだ……後ろから来る!」

 裕太の叫びにミナが振り返る。

 背後から小型のゴブリンたちが殺到してきていた。


「うるさい虫ね……《黒影狂乱ナイトメアミスト》!」


 闇の霧が瞬時に広がり敵の視界を奪う。混乱したゴブリンたちは互いを切りつけ始めた。

 その混乱の中、裕太は前へ出る。

 槍を構え、石突きで敵の足を払う、榊式の体術。

 転倒した一体を穂先で貫く。動きに無駄はなく、彼自身も知らぬうちに熟練の域に達していた。


「ミナの右後方に敵! セラ、カバーを!」

「承知。《薔薇障壁ローズバリア》!」


 光の花弁が舞い、ミナの背後を包み込む。

 炎の残光と交差し、幻想的な輝きが地下を照らした。


 ウォーリーダーが絶叫を上げる。

 その声に呼応するように、壁の刻文が淡く脈動した。


「……今の魔力の流れ、何かが封じられてるのか?」

 裕太の呟きに、天音が小さく頷く。

「分からないけど……放ってはおけないわね」


 ミナが最後の詠唱を終え、両手を前に突き出す。

「じゃあ、終わらせる! 《黒焔乱舞ダークフレイム・ラプソディ》!」


 赤黒い炎が爆ぜ、闇と光が激しく交錯する。

 轟音と共にホブゴブリンが吹き飛び、床へと崩れ落ちた。

 熱気の余韻の中、壁の刻文が静かに光を失っていく。



 戦闘終了。

 四人は静かに息を整える。

 セラフィナが盾を収め、周囲を確認した。


「敵影なし。主殿、ご無事ですか」

「ああ。ありがとう、セラ」


 裕太は苦笑を浮かべる。

「榊先生の言ってた“凡人でも強くなれる”って言葉……少しだけ、分かった気がするよ」


「ふん。あんたはもう凡人じゃないわ」

 ミナがそっぽを向きながら言う。

「ま、でも……悪くなかったわね。燃やしがいあったし」


 天音が微笑む。

「油断はしないこと。これで終わりじゃない。まだ下があるわ」


 裕太はうなずき、静かに槍を握り直した。

 その瞳に映るのは、暗い階段の先未知の戦い。


 灰翡翠の亜人街区グレイブ・アズライト、侵入三階層。

 彼らの戦いは、まだ始まったばかりだった。

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