第2話 静かな教室・静かな日常
朝七時十五分。
飛鳥山裕太は、都電荒川線の揺れに身を任せながら、小さな魔石の入った布袋をポケットの奥で握りしめていた。
制服の上にローブを羽織り、古びた革鞄を膝に置いて、目を閉じる。
あと四駅で養成所の最寄り駅だ。
(昨日の収穫は三体分……あとちょっと)
スキルが発現した者は、すべからく“冒険者”としての訓練を受けることが定められている。
それを担うのが、国家直轄の教育機関 《冒険者養成機関》通称『養成所』である。
この養成所は、全国各地に設置されており、それぞれが管轄地域のスキル保有者を受け入れている。入所は義務であり、拒否すれば即座に法的処罰が下る。スキルを持つ者にとって「ダンジョンに挑む」ことは義務であり、責任であり生きるための手段なのだ。
養成所での訓練期間は最短で一年、最長で三年。期間は生徒ごとの能力と成長速度により柔軟に決定される。スキルの使い方だけでなく、武器の扱い、魔物への対処、パーティ戦術、応急処置、魔力制御、さらには法律や倫理まで教育は多岐にわたる。
実技訓練では、国家管理下の《初心者ダンジョン》にて安全を確保された実戦演習が行われる。だが、それでも事故や負傷は絶えず、時に命を落とす者すらいる。訓練とはいえ本物の魔物と対峙する現場に他ならない。
設備は整っているとはいえ環境は決して甘くない。
訓練と講義が交互に行われ、休息時間は決して多くない。希望者は学内の治療室や施設整備、監視業務といった“バイト”を行うこともできる。特に医療系スキルを持つ者には、負傷者の応急手当や実習を兼ねた業務が与えられることもある。
裕太もまたそうして毎日を過ごしていた。
目立つことなく遅れることなく静かに、けれど確実に力をつけながら。
教官たちは生徒たちにこう言う。
「ダンジョンは戦場であり命を選ぶ場所だ」
生きるために戦わなければならない。
戦うために学ばなければならない。
冒険者養成所は、そんな矛盾と危機をはらんだ現代における“通過儀礼”だ。
そして、生徒たちは今日もまた剣を取り魔力を構え扉を開ける。
その先に希望があると信じて。
裕太の通う「国立東京第二冒険者育成機関」は、通学者用の補助交通網も整備されており、自宅通いの裕太のような生徒も少なくない。とはいえ、実技中心の訓練日には朝も早く帰宅も遅い。
裕太はポケットに入れた妹の手作りおにぎりをふと指先でなぞる。
「お兄ちゃん、お昼ちゃんと食べてね」
今朝、妹の花音の声が蘇った。
母の療養と家計の補填。通学と実技訓練とダンジョン探索の両立。
日々はきつい。けれどそれでも歩き続けるしかなかった。
◆ ◆ ◆
午前八時。
養成所B棟三階、講義教室 《B-3-02》。定員80名。
「出席取るぞー。出席番号1から……」
担当教官の声を聞きながら、裕太は静かにノートを開いていた。
黒板前で発言する者、居眠りする者、魔石をいじる者……。皆、さまざまだ。
その中で裕太は、目立たず存在感も薄い。同じクラスでも自分の名前さえ覚えていない人もいる。
だがそれで構わなかった。その方が気楽だから。
裕太にとって教室は“敵地”でも“居場所”でもなかった。
ただ義務を果たし、家族を守る知識を得るためにいる場所。
スキル保持者に課せられた国家的な責任を学ぶ場所。
彼は黒板の数式をノートに写しながら、小さく溜息をついた。
◆ ◆ ◆
養成所の中庭。人工芝の上のベンチに腰かける裕太の前に、制服のズボンの裾を上げた男子生徒がいた。
「なあ、裕太くん。ちょっと《癒しの手》お願いしてもいい?」
「うん、大丈夫。どこが痛むの?」
「膝……昨日、模擬戦で打ってさ」
裕太は手を当て小声で呟いた。
「《癒しの手》」
指先から滲む淡い緑の光が痛みを緩和していく。
「はあぁ……やっぱいいな。これ、助かるよ」
「500円でいい?」
「もちろん。はい、これ。おつかれ!」
生徒が去った後、裕太はポケットに小銭を仕舞いおにぎりの包みを広げた。
(昼だけで二人目。今日のバイト代は……1,000円)
裕太は“仕事”としての治癒を割り切っている。
講義後や実技後、部活動や訓練で軽い怪我をする生徒は多い。だが、所内の医務室は混み合っていて面倒な申請も必要。
その点、裕太の《癒しの手》は申請もいらず効果はそこそこ。そして何より安価。
「ちょっとしたバイト」として自然と定着していた。
◆ ◆ ◆
午後の戦術理論の授業が終わったあと、教室を出た裕太は、廊下の角で女子の一団にぶつかりそうになった。
「あ、あの……すみません」
「え、あー……飛鳥山くんか」
声をかけてきたのは、クラスでも目立つ《結界師》の朝倉しのぶだった。
「いつもバイトしてるんでしょ? 癒しのやつ。私、明日試合あるからもし足つったらお願いするかも」
「う、うん……よかったら、いつでも」
「ありがと、じゃあまたね~」
しのぶが去っていくと、取り巻きの子たちが「地味だけど頼りになるって評判だよね」と囁いていたのが聞こえた。
(頼りになるか……)
裕太は少しだけ顔を伏せて笑う。
距離は遠い。でも必要とはされている。それだけで少し救われた。
◆ ◆ ◆
夕方五時、養成所を出て駅までの道を歩く。
初心者ダンジョン攻略という名の生活費稼ぎを終え、寄り道せず帰宅するのが裕太の基本スタイルだ。
途中、偶然あった同級生たちに遊びに誘われるが、遊びに行きたい気持ちを抑えて「今日は用があるから」と断り、早歩きで団地の自宅へ。
「ただいまー……」
部屋に戻ると、妹の花音が「おかえりー!」と出迎えてくれる。
母の容体は安定していた。通常ポーションは一本、20万円。とても高価なため、飛鳥山家の苦しい家計では買うことが出来ない裕太は、母親に毎日小さな治癒を繰り返し治療している。
食卓には、昨晩の残り物の野菜炒めと味噌汁。そして、冷ご飯をレンジで温めたもの。
裕太は、普通の家庭のように「いただきます」と手を合わせた。
◆ ◆ ◆
夜十時。明日の訓練に備えて早めに寝るため、ノートに今日の記録をつける。
今日の稼ぎ:癒しのバイト2件(1,000円)、ダンジョン討伐数3匹、良ドロップ有(6,000円)講義出席、実技訓練パス、回復数+3(Lv2継続)
母さんの薬はあと6日分。何とか間に合って良かった。
右手にそっと《癒しの手》を発動して、手のひらの感覚を確かめる。
母の笑顔。妹の優しさ。今日、少しだけ他人と繋がったこと、繋がれなかったこと。
それだけを胸に裕太は布団をかぶった。
目立たなくていい。
でも、誰かの役に立てるならそれでいい。
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