妹は大聖女ー竜を倒した兄は仲間と温泉ダンジョンで最強を目指して無双する

唯崎りいち

第1フロア 湯けむりの迷宮

第1話 

ゴォォォー!!

口から吐き出された炎が耳を掠めて背後の壁に当たる。

かろうじて避けたのだが、壁から跳ね返った炎に背中を焼かれる。

「うっ」

衝撃に思わず声が漏れた。

オレンジ色の竜と対時して数分。

ジワジワと壁際に追い詰められていたらしい。

竜から繰り出される攻撃をかろうじて避けてはいたが、もう俺の体はボロボロだった。

背中だけが唯一無傷な場所だったのだが、今の攻撃で全身に傷を受けていない場所は無くなった。


身体もボロボロで体力も限界。

気力だけで立っていた所に唯一無事だった背中へのダメージは俺の精神に丁度いいトドメになった。


もういいよな。頑張ったよな、俺。


このオレンジの竜には俺が剣で何度切り込んでもダメージを与えられない。

物理攻撃が効かない魔物がいるというのは聞いていたがコイツがそうなのか!?

厄介な時に厄介な魔物に遭ってしまった。


俺と仲間達は、なんの準備も無しに、ダンジョンでの稀なワープ現象に巻き込まれてしまっていた。

ちょうど魔力が尽きかけて帰路に着く所だったので、最悪のタイミングだ。

  

次の攻撃はもう避けられないだろうと俺は悟っていた。

もし、避けられたとしても壁から跳ね返る炎を次に受けたら終わりだ。


ーーああ、終われる。

安堵している自分がいた。


痛みはとっくに限界を超えて感じなくなっていたから、背中にどれだけのダメージを受けたのかも俺は感覚では判別できていない。

本当は次の攻撃でもまだ耐えられるのかも知れない。

ただ、もう限界で休みたいんだ。


自分の弱さが情けなくなって笑えてくる。

弱く情けない俺がふと笑みを浮かべた事に、目の前で対峙するこのオレンジの竜は何を思うのだろうか。

感情の読めない瞳で、ただちっぽけな俺たちを蹂躙する怪物。


視界の端、竜の後ろに2人の少女が見えた。

やはり満身創痍で辛うじて杖に体重を預けて立ちこちらに顔を向けているのは妹のサラだ。

未来の大聖女と呼ばれる回復士の妹も魔力は尽きて、もうなす術がない。

模様の入った布の装備の下に着ている、純白の回復士の衣装が破れて痛々しい。

純白の衣装よりも白い肌から僅かに血が滲んでいる。

俺にむけるサラの顔は苦痛と不安に歪んでいる。

「兄さん!助けて……!」

そんな悲痛な声が耳元で聞こえた気がする。


サラの傍には魔法戦士のアカネがうつ伏せに倒れていた。

アカネの服も破れていて、装備していた胸当ては半分吹き飛んで、横で砕けている。

長いブーツの踵も片方が欠けている。

でも、アカネは死んでいるわけではない。

サラを庇い竜の攻撃をまともに喰らって動けないのだ。


幼馴染で同級生の魔法戦士のアカネが竜の攻撃に倒れた時、俺も一緒に攻撃を受けて一度は倒れた。

その前の連戦で俺も疲れていたし、オレンジの竜の出会い頭の攻撃の衝撃がサラに完全回復された後でも抜けずに限界だった。

そしてそれは、サラもアカネも同じだった。


物理攻撃の効かないオレンジの竜に唯一ダメージを与えられたのはアカネの魔法攻撃だが、それもアカネの魔力がほとんど残っていないから連発はできなかったし、アカネが覚えている魔法は下級魔法ばかりでオレンジのドラゴンへの攻撃の決定打になるモノではなかった。

サラも魔力を使い果たして、もうわずかにしか魔力が残っていなかった。

サラがいくら優秀な回復士でも魔力がなければ、俺とアカネを一緒に回復する事は出来ない。

どちらか一方を回復させる最後の魔力をサラは俺に使った。


アカネの魔法なら攻撃が通るし、剣の腕だってアカネは決して弱くない。


なのに、サラは迷わず俺に向かって杖を振るった。

「キュア」

掲げられた杖の先端から、回復魔法がキラキラこぼれ落ちた星のかけらのように俺の傷の上に舞い落ちる。

サラの最後に残った魔力で使える最上位の回復魔法だ。

比較的に初心者でも使える下位の魔法だが、サラの能力だと回復量は段違いに多くなる。

それでも俺が受けたダメージの完全回復には遠かった。


けれど、サラの力強い意志のこもった瞳が俺を見つめて、これが自分達の助かる道だと強く信じているのが伝わった。

だから、俺はもうボロボロだった身体に回復した以上の力をみなぎらせてオレンジの竜に向かって行くことが出来た。


ーーけれど、そのサラの力強い意志で俺を信じてくれた瞳が、今は不安に虚っている。


杖に寄りかかり辛うじて立っているサラは顔を上げるのも辛いと言う様子だったが、ずっと顔を上げて戦いの行方を、自分たちの運命を見つめていた。

俺に必死に何かを伝えようとしているようだったが、俺にはもうどうする事もできないんだ。


ここで俺が倒れてしまえばサラもアカネも助かる事はない。

こんな事なら、あの時、アカネを回復して、俺を置いて逃げていれば。そんな風にサラは思っているのだろうか?

戦況の悪さに卑屈な思考が止められない。


自信満々だった数分前の自分。

何も出来ずに心が折れた今の自分。


悔しい。

悲しい。


けれど、俺はサラの期待に応えられない。

構えた剣に力が入らず、切先が揺れている。

目の前にいるオレンジの竜への闘志がもう沸いて来ないのだ。

オレンジの竜の無機質な姿が、今の俺には、その火炎で俺を焼き、身体と精神の苦痛から救ってくれる神のようにすら思えている。


このまま死ぬのだ。

竜が吐き出す炎に身体を焼かれ、剣を握るのも辛い重くなった両腕が軽くなり、翼の様に舞い上がる恍惚のイメージが心を満たす。


ーー死ねるのだ。


心の反対側では、そんなモノに救いを求める自分が悲しかった。


俺だって大聖女の兄として最強を期待される戦士だったのだ。

わずか10歳で大人に混じってダンジョンの竜を倒した事だってある。

サラはその頃は9歳で、とっくに回復魔法の才能を開花させて、未来の大聖女として周りから持て囃されていた。

だから、小さな頃の俺は妹に先を越されて拗ねていた。

サラに話しかけられても「うるさい!」や「あっちに行け!」とか八つ当たりをした。

サラは悲しい顔で「邪魔してごめんなさい」と謝った。

たまに俺が気まぐれで優しくすると、とても嬉しそうに笑った。

その屈託のない笑顔に、俺は卑屈さを深くした。

でも、大人と一緒とは言え、俺も竜を倒した事で自信がついた。

青い大きな竜だった。

さすがサラの兄という評価だったかもしれないが、自分の実力を褒められたのだ。

それからは、俺自身が自分を最強と信じて今日まで来たじゃないか。

サラと一緒にダンジョンに潜り鍛えて来た。

もう八つ当たりなんてしない。

サラは頼りになる回復士だったが、戦闘では弱かった。

俺はサラを守る事を一番に考えて来た。

大人を連れずに、幼馴染のアカネや同級生とダンジョンに潜る時もみんなが俺を頼ってくれた。

俺は最強だった。

周りも俺を、最強の剣士と呼んだ。

最強になる為に研鑽を積んで、最強になるのが当然だと思い今日まで来たのに、どうしてなんだ!


こんな事で諦めて何もせずに死んでいくのが俺なのか!?

大人達に頼って、たまたま竜を倒せた事で調子に乗っていただけの弱い奴だったのか!?

妹を妬んで拗ねて八つ当たりをしているのが本当の自分だったのか!?


無力さを痛感する。

悔しさと悲しみが俺の目頭を熱くする。


オレンジ色のドラゴンの口が開く。

さっきと同じ動作で火炎の攻撃を俺に仕掛けようと真っ直ぐに向けられた喉の奥が煌めく。

その瞬間に、無感情なオレンジの竜の瞳は、もう救いなんかではなくなっていた。


死ぬのだ。

俺はここで。

何者にもなれずにーー。



ーー目が覚めた。


ガタガタと車両が揺れる音が聞こえた。

自分の足に振動に合わせてぶつかる何かがあり、見るとスポーツバックが揺れていた。


『東京ー、東京ー』

地下鉄のアナウンスが、ここが新幹線への乗り換え駅だと告げていた。

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