第24話『京さんの失踪』

 如月きさらぎ祭二日目。今日の夕方が本番だ。


 ……とはいえ、俺は特にシフトもなく、昼休みを過ぎても部室で九条とダラダラしていた。

 九条は漫画を読み、俺は机に突っ伏してウトウト。祭りの熱気とは無縁の空間だ。


 そんな惰性を打ち破るように、部室の扉が勢いよく開いた。

 そこに立っていたのは月島だった。


みやこちゃん来なかった?」


 息を少し切らしながら、月島は部室に飛び込んでくる。


「昼休みまでは一緒だったんだけど、シフトにいなくてさ。LINEしても既読つかないし……」


「来てないでござるな」


 九条が漫画から顔を上げる。


「俺も見てないな。最後に見たのは朝だ」


「うーん……そうか~」


 月島の表情は、いつもの能天気な笑顔ではなく、ほんのりと不安を帯びていた。


「西宮、京ちゃん探すの手伝ってくれない?」


「えー……まあいいけど」


 こうして俺と月島は部室を出て、別々に京を探すことになった。

 校舎のざわめきの中へ足を踏み出すと、さっきまでの気怠さは消え、胸の奥に小さな緊張が芽生えていた。


(文化祭二日目。つまり今日、京もみやびも榊に告白するはずの日……)


 不安が頭をかすめる。もし京がこのタイミングで姿を消しているとしたら──


「まずは、八組の榊に聞いてみるか……」


 そう呟きながら、俺は人混みの中を早足で八組の教室へと向かった。


 廊下は出店に向かう生徒や来場者でごった返している。屋台からは甘い匂いが漂い、どこか浮ついた空気が流れていた。

 だが俺の足取りだけは落ち着かない。


(頼む、ただシフト忘れとか、スマホの電池切れとか……そんな理由であってくれよ)


 八組の前にたどり着くと、廊下には榊の姿があった。文化祭用のクラスTシャツ姿で、壁の修飾を直していた。


(……いた。さて、どう聞き出すか)


 俺は軽く息を整え、榊に声をかけた。


「すまん、二組の西宮っていうんだが──薬師寺京、見かけてないか?」


 榊は手を止め、こちらを振り返る。

 わずかに驚いたあと、何かを思い出すように目を伏せた。


「……京と同じクラスの人か……ああ、さっき会って話した」


「そうか……実はクラスのシフトに来てなくてな。どこに行ったか知らないか?」


 榊は少し言いよどみ、視線を逸らした。


「いや……三階の階段裏で話してたんだけど、その後、階段を駆け下りていったんだ。行き先までは……」


「駆け下りた? どんな話をしてたんだ?」


 俺が思わず踏み込むと、榊は困ったように眉を寄せ、短く答えた。


「……君には関係ない話だよ」


 その一言と、ほんのわずかな悲しげな表情を見て──俺は察した。

 胸の奥がざわつき、言葉を返す間もなく俺は踵を返し、同じく一階へと駆け出した。


(月島が校内を探しても見つからなかった……となると、考えられるのは──家に帰った、とかか)


 足音が廊下に響く。

 文化祭の喧騒とは裏腹に、俺の鼓動は不吉なリズムを刻んでいた。


(やっぱり……告白、する前に……何かあったんだな)


 昇降口にたどり着き、靴を履き替えると、そのまま校門を飛び出した。

 一般客や保護者たちが行き交う雑踏の中をすり抜けるように走る。


 気づけば俺の足は、夢中で京の家へと向かっていた。

 以前、薬師寺家に行ったときの道筋をなんとなく覚えていたのが幸いした。


 だが──普段運動していないツケはすぐに回ってきた。

 わずか五分で呼吸は荒くなり、足も重くなる。

 結局、速度は落ち、早歩きに切り替えるしかなかった。


(……落ち着け。俺なんかが行って、何になるんだ?)


 ここにいるべきは俺じゃない。

 絶対に──月島だ。あいつなら京の心に寄り添える。


 ……だが。


(そもそも、告白前のあのタイミングであんな雰囲気になるか……?)


 昨日のお化け屋敷の後に何かあったのか?

 いや、そのときの雰囲気は問題なかったし、仮に何かあったとしても今日ではなく昨日の話だ。

 そして朝見たときも、そんな雰囲気は感じなかった。


(さっき榊と話したときに何かあったのか……)


 胸の奥がざわつき、嫌な予感が広がっていく。


 如月祭二日目の夕方──雅と京が同じタイミングで榊に告白する予定だった。

 それは二人の約束であり、同時に「フェアな勝負」でもあった。


『ヒロイン』の雅と、『幼馴染』の京……そして……


(まさか……!)


 ある一つの推測が思い浮かんだ俺は、また京の家へと駆けだした。

 文化祭を回る約束をしたり、実際にお化け屋敷を回ったりしてして……距離の縮まりを感じた。

 しかし、いつかの週末に会ったとき、京は焦っているように見えた……そう、


(まさか……抜け駆けした……つまり、さっき、あのタイミングで告白したのか……!?)


 頭の中で鳴り響くのは、華やかな文化祭で流れるBGMではなく、ひとつの焦燥。


(京……お前、そんな形で……勝負を終わらせる気か……!)


 そして、息を切らしながら、ようやく薬師寺家の前にたどり着いた。

 高級住宅街の静けさが、文化祭の喧騒との対比で胸を締め付ける。


(……来ちまったな)


 門の前に立ち、インターホンを押そうとしたそのとき──


「おや、西宮様」


 門から姿を現したのは、以前も会ったメイドの久遠さんだった。

 落ち着いた口調ではあるが、どこか眉根を寄せている。


「京は……いませんか?」


 思わず声が急いてしまう。

 久遠さんは一瞬ためらったが、やがて静かに首を振った。


「……先ほど帰宅されましたが、すぐに自室へ行かれて。お声がけしても返事がなくて」


(やっぱり……!)


 胸がざわつく。

 文化祭を抜け出して、真っ直ぐ家に戻ってきて──部屋に閉じこもった。

 それが何を意味するかなんて、想像するまでもない。


「すみません、ちょっとだけ……話をさせてもらってもいいですか」


「……西宮様なら」


 久遠は小さくうなずき、家の中へ通してくれた。

 階段を下り、地下の一室の前に立つ。

 ドアの向こうからは、物音ひとつ聞こえない。


「京……?」


 ノックしても返事はない。

 だが、中に気配はある。

 ドアノブに手をかける。だが──鍵はかかっていた。


(……閉じこもってるのか)


 心臓がバクバクとうるさく鳴る。

 俺はドア越しに声をかけるしかなかった。


「京! いるんだろ!? 大丈夫か!」


 静寂。時間にして数秒なのに、永遠に思えるほど長かった。

 やがて──ぎぃ、と扉がわずかに開いた。

 そこに立っていた京は、いつもの落ち着いた雰囲気とはまるで違っていた。


「……はは、大丈夫だよ……」


 そう言って浮かべたのは、明らかに作り物の笑顔。

 声はひどくかすれ、目のふちは赤く染まっていた。

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