閑話 友人たち
サークル活動の片付けがひと段落した頃、部室の外はすでに夕方の色に染まり始めていた。
窓から差し込む光が床に長く伸び、誰かが忘れていったペットボトルが鈍く反射している。
慧斗は段ボールを畳みながら、少し離れたところでペンを持ちながら部室内の活動表を確認している雅の姿を横目に見た。
同じサークルのメンバーではあるが、特別に親しいわけではない。だが、ある点において二人は少し踏み込んだ関係ではあった。
「今日、思ったより人少なかったな」
「テスト前だしね。みんな余裕ないんでしょ」
他愛のない会話。
レポートの話、教授の癖、単位の取りやすさ。どれも、今さら深刻になるような話題じゃない。
慧斗は適当に相槌を打ちながら、頭の片隅で別のことを考えていた。
一人の友人の顔が浮かぶ。最近、明らかに疲れた表情をしている。元々生気のある顔ではないが、今では色濃くそれが滲んでいた。
「……そういえば」
ふと、雅がペンを置いた。
「最近湊の様子はどう?」
一瞬だけ空気が変わった。
慧斗はその変化に気づきつつも、表情には出さない。
二人がこうして少し踏み込んだ関係である理由。それは互いの友人に由縁があった。
「……どうって?」
問い返しながらも、慧斗の中では答えがいくつも浮かんでいた。
元気がない。明らかに疲れた表情をしている。無理に整理しようとしている。
「いや、なんかさ………琴乃がちょっと変でさ」
雅はそう言って活動表から視線を移した。
声は抑えているが、ただの雑談ではない温度が混じっている。
「変って?」
「前より静かになった。感情が見えなくなったっていうか……前はもっと分かりやすかったのに」
慧斗の手が止まる。段ボールの端を握ったまま、頭の中で一華の横顔が一瞬よぎった。
「嬉しいときは嬉しそうで、落ち込むときはちゃんと落ち込んでたんだよね。でも最近は……落ち着きすぎてて、何か逆に怖い」
雅は言葉を選びながら続ける。怖いという表現が冗談ではないことを慧斗は理解した。
「それ、湊と関係ある?」
「……たぶん」
返答まで少しの間があった。
「湊の名前が出るとさ、琴乃は面白いくらいに表情がころころ変わってた。でも、今は喜んでるようにも見えるし、覚悟決めたみたいにも見えるし……正直、どっちなのか分からない」
慧斗は小さく息を吐いた。
「……それ、あいつも同じだな」
「え?」
雅が目を瞬かせる。
「湊も、最近ずっと変だ。元気がないっていうより……決断しようとしてる顔をしてる」
「決断?」
「簡単に言えば湊と琴乃ちゃん二人の関係に答えを出すってこと」
慧斗は苦笑する。
「えっ……?それって……まじ?」
雅の脳裏に、この前に学食で話した琴乃との出来事が蘇る。
「詳細は分からないけど。まああいつの性格上、結局中途半端にしそうな気がするけども」
「……ふーん。事の顛末は天海も分からずって事ね」
雅はそう言ってペンをくるりと指先で回した。
声色は軽いが、その奥に引っかかるものが残っている。
「まあね。あいつ肝心なところは絶対言わないし」
「それ、友達としては信用されてるのかされてないのか微妙じゃない?」
「耳が痛い」
慧斗は肩をすくめつつ、畳んだ段ボールを重ねた。
作業自体はもう終わりに近い。それでも、会話だけが自然と続いてしまう。
「でもさ」
雅は少し間を置いてから言った。
「湊が答えを出すって決めてそうなら、少なくとも逃げ続けてるわけじゃないんでしょ」
「……そうだな」
慧斗は一度頷いてから少しだけ言葉を選ぶ。
「逃げてはない。多分、正面から向き合おうとはしてる」
ただ、と心の中で付け足す。
その向き合い方が正しいかどうかは別だ。
「まあ、ここからは当人同士の事だし。あまり踏み込んでも迷惑だと思うんだ」
「それはそう」
そう返しながらも、慧斗の中では別の思考が渦を巻いていた。
段ボールを重ね終え、手を止めたままほんの一瞬だけ視線を床に落とす。
「……たださ」
声を落とす。
「湊の周り、最近ちょっと危ない影が多い気がする」
雅が眉をわずかに動かした。
「危ない影?」
「いや、はっきりこれだって言えるわけじゃない。証拠も確信もないし、俺の勘みたいなもんだけど」
そう前置きしてから、慧斗は言葉を続けた。
「湊って鈍感って訳じゃなくて、好意向けられてること自体には気づくタイプだろ。でも、その重さとか中身までは多分測り間違える。あいつ自己評価低いし」
「……まあ、分かるかも」
「優しさで受け止めようとして、結果的に相手の気持ちを煽る、みたいな」
「それ、本人に悪気がない分一番厄介なやつね」
雅は小さくため息をついた。
「だからこそ怖いっていうかさ。湊がそういう風に振る舞うのは何も琴乃ちゃんだけじゃないだろうし………」
「……なに?天海は湊の事を好きな女子が他にいるって言いたいの?」
雅は怪訝な表情をしながら腕を組み、視線を慧斗に向ける。
「そういう訳では……ないんだけど」
慧斗は一瞬だけ言葉を探すように視線を逸らした。
床に落ちた夕陽の帯が、さっきよりも少し濃くなっている。
「ま、まあ一応、好意を向けてる人は他にもいるかもしれないって話」
「……かもしれない、ね」
雅は疑うように、でも即座に否定はしなかった。
「最初に言ったけど、これは確証のないただの俺の勘。だから過度に心配しすぎるのもあれだ」
「はいはい分かった分かった」
会話を雑に終わらせると共に、湊の顔が二人の頭の中で同時に浮かぶ。
目立つわけじゃないのに、必要なところで手を差し伸べてしまう。人の事をよく見てるからこそ、それが出来てしまう。
雅は苦笑した。
「湊ってさ、自分が誰かの心を大きく動かしてるって感覚ほとんどなさそうだよね」
「ある意味、鈍感より質悪いよな。自覚がない分ブレーキも踏めないだろうし」
二人の会話がそこで止まる。部室の外から誰かの笑い声と足音が遠くに聞こえてきた。
夕方特有のざわめきが二人の沈黙を際立たせる。
雅はしばらく黙り込んだ後、ふっと息を吐く。
「まあでもさ」
少し軽い調子を装う。
「天海も言ってたけど、湊も人の好意にまったく無頓着ってわけじゃないでしょ」
「まあな」
冗談めかした口調だったが、雅の視線は泳いでいた。
「だから、そこまで最悪なことにはならない……って思うし」
「……そうだな」
慧斗も同意するように頷いたが、胸の奥に残るざらつきは消えない。
大丈夫だろうという言葉は、どこか願いに近い響きを帯びていた。
「まあ、俺たちが出来ることはそんなにないしな」
「だね。あとは当人同士に任せるしかない」
そう言い合いながら、二人は部室の電気を消した。
外に出ると、夕暮れはもう夜へと傾き始めている。
キャンパスには、いつも通りの学生の笑い声が漂っていた。
「というか、湊たちの話もいいけど雅ちゃんの恋バナはなんか無いの?俺知りたいんですけどー」
「は?言い方キモ」
「辛辣ッ!」
軽口を交わし合いながら、何も起きていないような日常の中で、それでも二人は同じ方向を思わず振り返っていた。
――本当に、大丈夫だろうか。
誰にも口にしなかったその問いだけが、静かに胸の中に残り続けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます