幼馴染の友人は懸念する
昼休みの学食はいつもより人が混んでいるように見えた。
期末が近いせいなのか、席を探す学生が落ち着かない足取りで歩き回っている。
そんな喧騒の中、私はようやく空いていた二人席にトレイを置いた。
「琴乃、こっち空いたよ」
声をかけると、友人の琴乃はゆっくりと振り返った。
カレーを乗せたトレイを抱えたまま、どこか考えごとをしていた人みたいな間の抜けた表情をしている。
「……あ、ごめん雅。気づかなかった」
いつもならもっと反応が早いはずなのに。最近の琴乃は全体的に熱がこもっているというよりも、むしろどこか抜けたように感じられる。
席に向かい合って座り、スプーンを握る。だけど、私の視線は自然と琴乃の表情へと向かっていた。
「なんか、最近変じゃない?」
「変ってなにが」
即答だったけど、声のトーンはいつもより低い。何かを隠してる……というより何かを抱え込んでいる。
どうせ湊のことだろう、そう思った。
ある一件以来、二人の距離が少しギクシャクしていることは琴乃本人からある程度聞いていた。
「湊とまた何かあった?」
「別に」
その返しがいつもより自然すぎて逆に不自然だ。
琴乃はカレーを口に運びながら視線を落としている。まるでそこに答えが全て書いてあるかのように真剣に。
「別に、ねぇ……」
濁す時の琴乃はだいたい核心を突かれた時だ。
まあ、今回は濁しているという風にはあまり見えなかったが。
でも、私は深く追求するつもりはなかった。
琴乃が幼馴染に片想いしてることは知ってたし、友達として応援したいと思ってもいた。
だからあまり踏み込みすぎるのも野暮だろうと。
ただ――最近の琴乃には、どこか人を近づけさせないような、近づきづらい空気があった。
スプーンを動かす手が一瞬止まっていたことにも、私は気づいている。
「ねえ、ほんとに何もないの?」
追求しないつもりだったのに、口を衝いて言葉が出る。
「……ないって言ってるでしょ」
語尾が少しだけ尖った。
怒ってるわけじゃない。でも、触れられたくない。そんな気配。
それを感じとって、私は少しだけ笑ってみせた。
「ごめんごめん。気になっただけ」
琴乃はその言葉に反応するように顔を上げる。だけど、笑ってはくれなかった。
そしてちょうどその時だった。
――ぴろん。
琴乃のスマホが震え、通知が画面を横切る。
琴乃がふと画面を覗き込み、次の瞬間、目をわずかに見開いた。
「誰から?」
そう聞いた自分に少し図々しかったかなと頭の中で謝りながらも、気になって仕方なかった。
「……湊」
その名を口にした琴乃の声は微妙に震えていた。
驚き、期待、安堵、焦り……。
いくつもの感情が一度に混ざって出てきたみたいな発声だった。
「内容は?」
踏み込みすぎだと頭では分かっていた。
でも、琴乃の表情と声がつい気になって言葉が出た。
琴乃は一瞬だけ画面を凝視し、それから吐息を漏らすように言った。
「三限終わり、時間あるかって。そう来た」
その顔はどこか恍惚とした笑みに見えた。
まるで待ち望んでいた何かが、ついに形を持って現れたときの表情。
しかし、その表情を見た瞬間、私は背筋を冷やした。
その笑みには喜びと同じくらい何か決壊しそうな危うさを感じたから。
「琴乃……?」
自分でも驚くほど声が勝手に小さくなっていた。
琴乃はスマホを伏せ、ゆっくりとこちらに視線を向ける。
「……なに?」
たったそれだけなのに、胸の奥がざわつく。
琴乃の声は普段通りの落ち着きをまとっているはずなのに――感情の線が微妙にずれて聞こえた。
笑っているわけでも、怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもない。
ただ、琴乃の感情の中で何かが動いている。
「いや……なんか、その……雰囲気違うなって思って」
言いながら、自分でも上手く言葉にできないのがもどかしい。
琴乃は目を細める。
「雰囲気?」
「うん。なんか……嬉しそうっていうより、怖いくらい落ち着いてるっていうか……」
「なにそれ」
琴乃が少しだけ笑った。
でも、その笑い方がいつものそれと違う。
いつもの琴乃は嬉しいときは分かりやすく目尻が下がるし、照れたときは耳が赤くなる。
でも今の笑みにはそういう要素が一つもなかった。
淡々としていて温度がないのに、何故か何かの感情だけが強く滲んでいる。
「湊から誘われて嬉しくないわけないじゃん」
「う、うん……まあ、そうだよね」
「だからそんな変に勘ぐらなくていいよ」
そう言う琴乃の声は落ち着いているのに、どこか底が見えなかった。
私は無意識のうちにカレーのスプーンを握る手に少し力を込めていた。
琴乃のそんな静けさが怖いわけではない。
ただ――理解できない。
恋する女の子ってもっと分かりやすい感情を表に出すものだと思っていた。
はしゃいだり、落ち込んだり、嫉妬したり、泣いたり。それは人によるだろうけど、琴乃はそっち側だと思って いた。
というか以前はそうだったのだから。
だけど今の琴乃は違う。
感情が見えないのに、それでも湊に向かっていく強さだけははっきり伝わってくる。
「……琴乃、本当に何もしてないんだよね?」
気づけばまた聞いてしまっていた。
前よりも少しはっきりした声で。
琴乃はスプーンを片手に持ち、首を傾げる。
「何を?」
「いや、その……湊に何か言ったとか。無理させたとか」
一瞬だけ、琴乃の瞳に影が落ちた。
ほんの一瞬。
でも、私にはそれが反射的な反応に見えた。
琴乃はすぐに微笑む。
「なにもしてないよ。自分が決めたこと以外は」
「……ほんと?」
「うん」
短い返答が逆に重たい。琴乃は再びスマホに視線を落とした。
指がどこか愛おしげに画面をなぞる。
「三限終わったらか。まあ、行かなきゃね」
その言い方が私の心のどこかをざらつかせた。
口角を上げる琴乃の表情と相まって。
「……ねえ、琴乃」
「なに?」
私は言葉を探すように一度息を吸った。
「な、なんかあったのかな。湊がそうやってよびだしてくるってことはさ。ワンチャン……告白とか?」
琴乃は一瞬だけ視線を泳がせた。だけど、すぐにその表情は固まる。
「いや、湊に限ってそれはないと思うけど。あいつ自分からそういうのするやつじゃないし」
琴乃は淡々と返した。
声の温度は低いままなのに、その奥にある感情だけが妙に熱を帯びているように思えた。
「……そっか。まあ、幼馴染様が言うのならそうなんだろうねー」
自分でも苦笑混じりになる。
だけどその瞬間、琴乃の口角がほんのわずかに上がった。
「だから楽しみではあるんだけど」
「え……楽しみ?」
その言葉に私はつい反応してしまった。
琴乃はスマホを持ち、立ち上がる準備をしながらポツリと言った。
「だって、湊が自分から呼び出すなんてそうそう無いし」
その姿がどこかぞくりとするほど不気味だった。
表面上は落ち着いているのに、その内側から湧き上がる何かが見えない形で空気を揺らしている。
「琴乃……ほんとに大丈夫?」
気づけばまた問いかけてしまった。
だって、目の前の琴乃は私が知ってる琴乃と少し……いや、だいぶ違っていたから。
琴乃はゆっくりと顔だけをこちらへ向けた。
「雅は心配しすぎ」
微笑む。
その表情は優しいはずなのに、どこか異様だった。
まるで、感情を奥に閉じ込めたまま表情だけ貼り付けたみたいで。私は思わず息を止めた。
「でも、ありがとね」
その一言だけは確かに琴乃の本音に聞こえた。
だが、次の瞬間。
琴乃がトレイを持って立ち上がると、その横顔にほんのわずか、決意とも執着とも取れない影が差した。
それは恋する顔じゃない。
もっと深くて。もっとどうしようもなく強い何か。
私はその瞬間、自然と背筋をすくませた。
「じゃあ、三限行くね。その後湊のところ行ってくる」
「う、うん。……またあとでね」
「うん、また」
琴乃はゆっくりと歩き出す。
その後ろ姿を目で追いながら、私は胸の奥がざわざわと騒ぎ出すのを感じていた。
――今日は、何かが起きる。
確信ではない。
でも、逃れられない予感がある。
琴乃がいつもと違う何かを抱えて湊に向かう。そして湊もまた、そんな彼女を呼び出した。
この先で二人に何が起きるのか、私には想像すらできない。
ただ、食器をまとめながら私は唇を噛んだ。
「……大丈夫だといいんだけど」
それだけが、胸に残った。
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