第4話 成長痛タイムリープ

 気づけばもう六月に入っていた。六月のわたしは四月のわたしとは別人になっていた。それはブレザー姿から夏服に変わったことではなくて中身の話だ。ゆきにオススメの本を貸してもらい、あらゆるジャンルを網羅したおかげで語彙が急激にぐんぐんと育ち、頭の中の言の葉が生い茂って鬱陶しいくらいになったのだ。

 

 でも、その本の中にわたしが無意識のうちに封じ込めた記憶を思い出させるものがあった。


 その内容は、幼馴染の女の子が彼氏と付き合うことになって物語が動く話だった。


 休みの日にベッドでゴロゴロしながら読んでいたわたしの手が、ページをめくるのを拒む。警鐘と頭痛が鳴り響いて冷や汗が止まらなくなる。

 ざわざわと伸びる言の葉が記憶の隅っこの気持ちを前に押し出す。

 

 あ、そうか、わたし──


 ***


 小学一年生のわたしは、わくわく、どきどき。ぴかぴかの一年生だった。

 可愛いキャラクターが描かれた筆箱を開けば、武器になるんじゃないかというほど先の尖った鉛筆と、角が使われていない真四角の消しゴムが、わたしの瞳を輝かせた。『べんきょう』ってなんだろうと思っていたけれど、授業を受ける度に知らなかったことが次々にわかって勉強は楽しいものだと知った。


 友達もたくさんできた。わたしが色んな子に話しかけた成果だ。

 宿題のプリントは難しくて赤い丸ではなくペケがついたプリントが返却されることが多かった。でも、わたしは学ぶことは好きなので、間違えた問題の答えはしっかり正しく覚えるように努力した。テストの点は高くなかったけれどわたしはそれで満足だった。


 二年生になってクラスが替わり、新しい友達ができた。クラスの中で一番可愛い女の子が「ともだちになろう」と話しかけてくれたのだ。どきっと心臓が跳ねてこの子と一生友達でいたいと思った。

 女の子とは教室でお絵かきをしたり、鉄棒でぐるぐるしたり、色んなことをして遊んだ。帰るときは一緒に手を繋いで話しながら帰った。帰った後も毎日遊んだ。学年が上がっても、桜が咲く頃になっても、蝉の鳴き声に押されても、イチョウの葉が地面を覆っても、冷たい静けさに身を震わせても、暑い日も寒い日もずっとずっと一緒だった。親友と呼ぶに相応しかった。

 遊びまくりの人生だった。笑いっぱなしの人生だった。ずっとこんな毎日が続くんだろうなと思っていた。そんなはずないのに。


 中学一年生になって『女の子』は『少女』になった。

 少女漫画の話題が多くなった。男子の話題が多くなった。わたしと、手を繋がなくなった。


 とうとう、わたしの親友には彼氏ができたのだ。


 彼氏ができたと聞いた日の夜、わたしは自分の部屋に篭ってボロボロ泣いた。床や枕を何回も殴った。わたしがずっと隣に居たかった。なんでわたしじゃないのって。

 寂しくて悔しくて心がチクチクしてちっとも嬉しくなかった。羨ましいだなんてひとつも思わなかった。

 この気持ちに名前をつけることがどうしてもできなくて、受け入れられなくて、泣くことしかできなかった。

 もうなにもかもどうでも良くなって勉強とか親友とか人の目とかの興味が消えた。


 本当はとっくに気づいていた。でも認めたくないかった。大切にしていた記憶と本当の気持ちを頭の中の隅に追いやって、何もかもを諦めたのだ。それがわたしの愚かな罪だ。


 ──わたしは、女の子に恋をする生き物なのだ。


 ***


 曇り空の下、頭痛に耐えながらゆっくりと自転車を漕いで登校すると、教室の扉が開いていて雪の姿が見えた。一番後ろの席だからすぐにわたしに気づいて美しい微笑みと共に挨拶をしてきた。


ひかりちゃん、なんだかいつもより元気がなさそうな顔をしているけれど大丈夫? これ食べる?」


 雪が机の引き出しからラップに包まれたオレンジ色の物体を取り出す。にんじんじゃん。


「いらない」

「にんじんが大好きで食欲旺盛な光ちゃんが興味を示さないなんて重症じゃないか……。具合が悪いなら保健室に一緒に行くよ」

「ん、頭が痛かったけど少しよくなった。とりあえず大丈夫」

「わかった。苦しくなったらすぐに言ってね」


 なんだか気持ちも悪いし調子はすこぶる悪かったけどなんとか午前の授業を乗り切る。お弁当食べれるかなこれ。


「雪、にんじんちょうだい」


 にんじんは大好きだから食べられる気がした。


「もちろん良いよ。はい、あーん」

「ありがとう」

「私の手からは食べてくれないんだね……」

 

 にんじんを受け取って咀嚼する。なにこれめちゃくちゃ甘くて美味しい……。高級なにんじんだった。


「このにんじんやば。元気になりそう」

「良かった。お弁当は食べないの?」

「うん。今日はこれで良いから心配しないで」

「そっか。ゆっくり食べてね」


 お昼休みは一人でゆっくりにんじんを食べて過ごした。雪は隣でじっとわたしを見つめていたけれど普段話さないクラスメイトに話しかけられていた。

 楽しそうに笑っていて、チクッと心に痛みが走った。きっとわたしは本の読み過ぎで疲れが溜まっているんだ。絶対そうだ。

 だって、雪が他の子と話をしているだけなのにおかしいじゃないか。


 え、やだ。それだけはやだ。

 わたしが友達になりたいって言ったのに。雪はずっとわたしに気持ちを伝えてきてくれたのに。頑張って頭が良くなろうとしたのに。

 

 ──いつの間にわたし、雪のことが好きになっていたんだろう。


 午後の授業はもう何も頭に入ってこなかった。早く家に帰りたい。だけど、自転車を漕ぐ気力も湧かないほどわたしは疲れ果てていた。

 やっと放課後になったし頑張って立ち上がるけど頭痛が再びやってきてくらくらする。


「光ちゃん。すごく疲れているように見えるけど大丈夫? 私が家まで送るよ」


 大丈夫と言いたかったけれど今年一番の体調の悪さが重くのしかかってわたしの首は縦に落ちた。


「よし。私の腕に掴まって。焦らず歩こう」


 ぎゅっと雪の腕に体をくっつけて恥ずかしさも忘れて廊下を歩く。外は雲に覆われて校内が暗くなっっていた。雨、降るのかな。

 自転車置き場に着いて、雪がわたしの自転車のサドルの高さを調節して跨る。カゴの中に入れたリュックから雪が何かを取り出す。またにんじんだったらどうしよう。


「雨降りそうだからこれを着ておいて」


 広げると大きな黒いレインウェアだった。これを着たら雨は凌げるだろう。でもそれだと雪が濡れてしまう。そんなのダメじゃん。わたしだけずるいよ。


「着れないよ。雪はどうするの?」

「私はブレザーを羽織っているし平気だよ。早く後ろに乗って。雨が降っちゃう」


 わたしが着ないと雪が動きそうにないし急いでレインウェアを羽織って雪の後ろに乗り込む。また、ぎゅっと雪の背中に体をくっつける。体調悪いのに心臓がどきどきしてしまう。


「振り落とされないように頑張ってね」


 雪が勢いよくペダルを踏んで校門を抜け出す。わたしは驚きつつも自分の家に帰る道を雪に教える。速っ。さすが雪だ。


「まずい、雨だ。もっと急がないと」


 ざあああっと大量の雨が降り注いで地面を激しく濡らす。ゲリラ豪雨だ。わたしの体調が良かったら雪は濡れずに済んだのに。いや、雨具を最初からリュックに入れておいたら良かったのだ。わたしはどこまで愚か者なんだ。


「ごめん雪っ! わたしやっぱり馬鹿だよ! 大馬鹿者だよ!」


 情けなくて申し訳なくて豪雨の中で叫ぶ。涙か、雨か、頬を水滴が流れて雪の背中がぼやける。


「君はいつもそうじゃないか! 今更だよそんなの! 私は愚か者の君が好きなんだ! そのままで良いんだよ!」


 猛スピードで暗闇の雨世界を二人乗り自転車が駆け抜ける。雪の金色の髪は雨に濡れて靡かない。


「こんなわたしを好きになるなんて雪だって愚か者だよ! 何考えてるの⁉︎ 絶対他に良い人いるって!」

「いなかったよ! そう簡単に運命の人は現れないんだ! だから私は君を愛してしまった!」

「……っ! ううっ……」


 子供のようにわたしは泣き叫んだ。いつから好きとかもうどうでも良かった。恋とか恋じゃないとかもどうでも良かった。わたしは、目の前の雪が大好きだ。ゾッコンだった。


 咽び泣いている間に家に辿り着いて自転車から降りた。レインウェアを脱いでリュックから鍵を取り出し、急いで家の扉を開けると真っ暗な世界が広がっていた。雪を先に玄関に入れてわたしはレインウェアの雫を軽く外で払う。


「雪、バスタオル……」


 雪が、廊下にぺたりと座って全身を震わせていた。鳥肌が立った。


「ごめん雪っ! わたしのせいだ!」


 雪を思いっきり後ろから抱きしめる。どうしよう震えが治まらないし体がすごく冷たい。


「これは、私の弱点なんだ。ひかりちゃん、あったかいね。このまま私を温めて、側に居て」

「ごめん。ごめんね、雪」


 雨と雷が静寂に刺さって世界を揺らした。その中でわたしは雪を抱きしめることしかできなくて雪の震えが治まるまで抱きしめ続けた。


 


 




































 


 






























 

 






 

 

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