第3話「疑惑の眼差し」



「橘、ちょっと来い」


 翌朝、教室に入った途端に竜也に呼び止められた。その声には昨日とは違う、何か探るような響きがあった。


「何だ?」


「昨日のこと、まだ納得してない」


 竜也の周りには、いつものように取り巻きたちが集まっている。だが今日の彼らの視線は、嘲笑ではなく好奇心に満ちていた。


「納得って...」


「お前が本当に無能力者なのか、試させてもらう」


 竜也の手に青白い電撃が宿る。周囲の生徒たちがざわめいた。


「竜也君、やめなさい」


 麗華が止めに入る。だが、その瞳にも疑念の色が浮かんでいた。


「白銀、お前もおかしいと思ってるだろう?昨日の橘の動き」


「それは...」


 麗華が言いよどむ。確かに昨日の俺の行動は不自然だった。


「いいだろう」


 俺は諦めたように答えた。どうせ疑われているなら、ここで証明してみせるしかない。


「ただし、手加減はしてくれよ。俺は本当に無能力者なんだから」


 嘘だった。だが、演技を続けるしかない。


「上等だ」


 竜也が構える。その時だった。


「あら、朝から随分と物騒ね」


 教室の入り口に美月先輩が現れた。


「美月先輩?」


 竜也が戸惑う。三年生の元生徒会長が、わざわざ一年生の教室に来ることは滅多にない。


「神崎君、橘君をいじめるのはやめなさい。昨日あんなに頑張ったのに」


「頑張った?橘が?」


「ええ。みんなを守ろうと必死に頑張ってたじゃない」


 美月先輩の言葉に、教室がざわつく。


「でも、橘は何もしてませんよ?ただ立ってただけで、敵が勝手に倒れて...」


 クラスメイトの一人が口を挟む。


「そうね。でも時々、守ろうとする気持ちだけで奇跡が起きることもあるのよ」


 美月先輩が意味深に微笑む。


「橘君、放課後また屋上で話しましょう。今度は、もう少し詳しくね」


 そう言い残して、美月先輩は去って行った。


 俺は内心でため息をついた。どうやら逃げ切れそうにない。


---


 その日の昼休み、俺は一人で中庭のベンチに座っていた。


 昨日の事件以来、周囲の視線が明らかに変わっている。嘲笑から好奇心へ。そして一部には疑念も混じっていた。


「蒼真君」


 振り返ると、麗華が立っていた。


「白銀さん」


「隣、座ってもいい?」


 俺は頷いた。麗華が隣に腰を下ろす。しばらく沈黙が続いた。


「昨日は...ありがとう」


 麗華が小さく呟く。


「何のことだ?」


「とぼけないで。あなたが庇ってくれたこと、覚えてる」


 俺は答えなかった。


「あの時、確かにあなたの手が私を押し退けた。そして次の瞬間、敵の攻撃が消えていた」


 麗華の声が震えている。


「あなた、本当は...」


「俺は無能力者だ」


 俺は麗華の言葉を遮った。


「測定器がそう言ったんだから、間違いない」


「でも...」


「麗華」


 突然、竜也の声が響いた。見ると、少し離れた場所から竜也がこちらを見つめている。


「竜也君...」


 麗華が慌てたように立ち上がる。


「こんなところで何してる?」


「ちょっと話を...」


「橘となんか話すことなんてないだろう」


 竜也の声に苛立ちが混じる。


「そうね。失礼します」


 麗華が慌てて去って行く。一人になった俺の前に、竜也が歩み寄ってきた。


「おい、橘」


「何だ?」


「麗華に変な気を起こすなよ」


 竜也の瞳に警戒の色が浮かぶ。


「変な気って?」


「とぼけるな。お前が麗華を狙ってるのは分かってる」


 俺は苦笑した。


「心配しなくても、俺みたいな無能力者が白銀さんと付き合えるわけないだろう」


「そうだ。分かってるなら良い」


 竜也がそう言い捨てて去って行く。


 俺は一人、空を見上げた。


(このまま嘘をつき続けるのも、限界が近いな...)


---


 放課後、約束通り屋上に向かった。美月先輩は既にそこにいて、夕日を眺めていた。


「来てくれたのね」


「昨日の続きですか?」


「ええ。でもその前に、一つ聞かせて」


 美月先輩が振り返る。


「あなたの妹のこと」


 俺の体が強張った。


「なぜそれを...」


「調べさせてもらったの。橘桜花ちゃん。現在十四歳。三年前から意識不明で入院中」


 美月先輩の声が優しくなる。


「原因不明の昏睡状態。でも、本当は原因が分かってるのよね?」


 俺は唇を噛んだ。


「あなたの能力の暴走」


「...」


「話してくれる?本当のことを」


 俺は長い間迷った。だが、もう隠し続けるのは無理だと悟った。


「三年前の夏。俺は十四歳だった」


 重い口を開く。


「その頃から、俺には他人の能力が見えていた。まるで色のついた光のように」


 美月先輩が静かに聞いている。


「ある日、桜花と公園で遊んでいた時、不良に絡まれた」


 あの日の記憶が蘇る。


「桜花を守ろうとして、俺は初めて能力を使った。近くにいた異能力者の能力を無意識にコピーして」


「それが暴走した」


「ああ。制御できなかった」


 俺の拳が握りしめられる。


「炎の能力だった。桜花を庇おうとしたのに、逆に桜花を巻き込んでしまった」


「それで桜花ちゃんが...」


「意識不明になった。医者は原因不明と言ったが、俺には分かっていた」


 俺の声が震える。


「俺の力が、桜花の脳にダメージを与えたんだ」


 美月先輩が静かに近づいてくる。


「だから封印した」


「ええ。でも橘君」


 美月先輩が俺の肩に手を置く。


「それは事故よ。あなたのせいじゃない」


「俺のせいだ!俺がもっと慎重に...」


「十四歳の少年に何を求めるの?」


 美月先輩の声が厳しくなる。


「あなたは妹を守ろうとした。それだけよ」


「でも結果は...」


「結果がすべてじゃない。大切なのは、あなたの気持ち」


 美月先輩が俺の前に回る。


「今のあなたなら、きっと制御できる」


「制御って...」


「昨日、あなたは完璧に能力を制御していた。敵だけを倒して、周囲には一切被害を与えなかった」


 確かにその通りだった。昨日の俺は、確実に能力をコントロールしていた。


「あなたはもう、三年前の少年じゃない。成長したのよ」


「でも、もし今度失敗したら...」


「失敗を恐れていたら、何もできない」


 美月先輩が微笑む。


「あなたの力は、きっと桜花ちゃんを救うためにあるのよ」


「桜花を...救う?」


「ええ。あなたの能力なら、きっと何かできるはず」


 希望の光が見えた気がした。


「でも、まずは自分自身を受け入れること。あなたは橘蒼真。世界でも稀有な能力者」


 美月先輩が俺の手を握る。


「そして、みんなを守れる力を持った人」


 俺は初めて、自分の能力を肯定的に捉えることができた。


「先輩...」


「明日から、私が特訓をつけてあげる。正しい能力の使い方を教えるから」


 美月先輩の提案に、俺は頷いた。


 もう逃げるのはやめよう。俺は俺の力と向き合う。


 桜花のために。そして、大切な人たちを守るために。


 夕日が沈み、新しい夜が始まる。


 俺の新しい人生も、今日から始まるのだった。



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