第3話:悪疫令嬢と不本意な休日(スローライフ)


:悪疫令嬢と不本意な休日(スローライフ)


王都を震撼させた『宝飾店事件』から数日後。父であるアリマ公爵は、ついに娘を呼び出した。


「フローレンス。お前、少し休みたまえ」

「休み、ですか?父上。わたくしの思考ルーチンに、オーバーヒートの兆候は見られませんが」

「そういう問題ではない!最近のお前の行動は、いささか…その…ランダムすぎる!」


公爵の苦悩は深い。娘の行動が論理的な『アルゴリズム』に基づいていた頃はまだ良かった。だが最近は、まるでバグった機械のように予測不能な行動を連発している。貴族社会のヒエラルキーという名の精密機械が、いつ娘の気まぐれで暴発するか分かったものではない。


「よって、命じる!しばらく王都を離れ、我が家の湖畔の別荘で過ごすこと。いいな、これは命令だ。電子機器及び難解な書物の持ち込みは禁止!スローライフを堪能してきなさい!」


こうしてフローレンスは、半ば強制的に、王都から馬車で半日ほどの距離にある静かな湖畔の別荘へと送られることになった。


+++


別荘は、静寂そのものだった。

鳥のさえずり。湖面を渡る風の音。木々の葉が擦れる音。

フローレンスにとっては、それら全てが意味のない情報(ノイズ)の羅列でしかなかった。


「……非効率的ですわ」


フローレンスは、テラスの椅子に座り、ただ湖を眺めていた。

読書もダメ、研究もダメ。彼女のCPUは、完全にアイドリング状態だ。暇を持て余すという、人生で最も理解不能な状況に陥っていた。


そんな彼女の視界の端に、一つの『異常値』が映り込んだ。

湖の対岸にある、小さな村。その村から、細く黒い煙が立ち上っている。煙の色と量からして、通常の炊事の煙ではない。火災か?いや、それにしては小規模すぎる。


フローレンスの頭脳が、久しぶりに回転を始めた。

(原因分析:不明。危険度:不明。対処法:現地調査が最も効率的)


彼女は音もなく立ち上がると、一人、小さなボートに乗って対岸の村へと向かった。


村は、ひっそりと静まり返っていた。しかし、そこには奇妙な緊張感が漂っている。村人たちはフローレンスの姿を見ると、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに怯えたように目を伏せ、家の中に閉じこもってしまう。


(観察結果:村全体が、何かを隠蔽している。外部の人間に対する極度の警戒。原因は、あの煙か)


煙の発生源は、村はずれの小さな鍛冶場だった。中を覗くと、年の頃なら16、7歳の少年が一人、必死に火床(ほど)に空気を送り、鉄を打っている。彼の名はレオ。この村唯一の鍛冶師の息子だった。


「ごきげんよう」

「うわっ!?だ、誰だあんた!」


突然の声に、レオは飛び上がった。貴族の令嬢然としたフローレンスの姿を見て、彼はあからさまに警戒心を露わにする。


「わたくしはフローレンス・レッド・アリマ。そちらの煙が気になりまして。何をなさって?」

「……別に。ただの仕事だよ。あんたみたいな貴族様には関係ねえだろ」


フローレンスのアルゴリズムが、少年の嘘を即座に見抜く。

(嘘発見:瞳孔の収縮率3%。発汗量の上昇。声のトーンの微細なブレ。嘘である確率は98.7%)


「その鉄。農具にしては硬すぎる。武具にしては脆すぎる。用途不明の合金ですわね。そして、あなたのその打ち方。親方であるお父様から教わったものではない。完全に独学の、非効率な我流」


「なっ…!」

レオは言葉を失った。フローレンスは、数秒見ただけで全てを看破していた。


「推論します」と、フローレンスは淡々と続ける。

「一月前、この村は山賊の襲撃を受けた。駐屯の兵士は機能せず、村は略奪された。そして、領主である子爵は、多額の賠償金を要求する代わりに、見て見ぬふりをした。違いますか?」


レオの顔が絶望に染まる。

「……なんで、それを」


「あなたのお父上は、その際に腕を負傷。鍛冶師として再起不能に。村の男たちは武器を取り上げられ、抵抗の術を失った。だからあなたは、独りで、誰にも知られず、村を守るための粗末な剣を打っている。違いますか?」


全て、図星だった。レオは膝から崩れ落ちそうになるのを、必死にこらえた。


フローレンスは、静かにレオが打っていた『鉄の塊』を手に取った。

「これでは、ただの鈍器です。一振りすれば折れてしまう。これでは、誰も守れない」


「分かってるよ!でも、こうするしかねえんだ!」

レオが叫ぶ。その声には、怒りと無力感が滲んでいた。


誰もが思った。悪疫令嬢が、この無力な少年を論理で追い詰め、その無謀さを嘲笑うのだと。


しかし、フローレンスは『鉄の塊』を火床に戻すと、おもむろに鍛冶用のハンマーを手に取った。

「……火の温度が低い。風の送り方が非効率。鉄の折り返し回数が不足。全てがエラーだらけですわ」


そして、彼女はレオに告げた。

「ふいごを。もっと強く。わたくしが指示したタイミングで」

「は…?」


カンッ!


静かな村に、高く澄んだ音が響き渡った。

フローレンスが振り下ろしたハンマーは、驚くほど正確に、熱せられた鉄の芯を捉えていた。その動きには一切の無駄がない。まるで、何十年も鉄を打ち続けた名工のようだった。


彼女は、アリマ公爵家に伝わる膨大な書物を全て読破している。その中には、古代ドワーフ族の鍛冶技術に関する文献も含まれていた。彼女の頭脳は、その理論を完璧に記憶・再現していたのだ。


カン! カン! カン!


フローレンスは汗一つかかず、無表情のまま、ただひたすらに鉄を打つ。

レオは言われるがままにふいごを動かし、時折、呆然と彼女の姿を見つめた。

それは、奇妙な光景だった。豪奢なドレスを纏った令嬢が、汗と煤にまみれた鍛冶場で、一心不乱に鉄を鍛えている。


父に命じられた『スローライフ』。

それは、何もしないことではなかった。


誰の指図も受けず、誰の目も気にせず、ただ目の前の『エラー』を修正することに没頭する時間。

都会の喧騒から離れ、一つの物事に集中する、贅沢な時間。


――これこそが、彼女にとっての『スローライフ』の最適解だったのだ。


夕暮れ時。一本の、見事な剣が完成した。それはレオが作った鈍器とは比べ物にならない、鋭い輝きを放っていた。


「さあ、これで領主の屋敷でも襲撃しますか?それとも、山賊の根城でも叩き潰しますか?どちらがより効率的かしら」


悪魔の囁きのように、フローレンスは言った。

しかし、その表情はどこか、ほんの少しだけ、満足げに見えた。


(第三話・了)

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