5-3 雷雨からの解放
「はやく、
声に出したところで、叶うわけではないと分かっている。
――まさか一晩、中宮殿に留まることになろうとは。
『深玉、顔色が悪いわ。外で倒れてしまったら大変よ。今日はここに泊まりなさいな』
話に区切りがついたところで、
囲い込まれた気がしてならない。
深玉は室内を見渡す。北向きの涼しい
これが罠でないとしたら、なんだというのだ。
室内を整える女官らの
「……凛凛は大丈夫かな」
呟けば、胸にじわじわと不安感が押し寄せる。
彼女をひとり、筆録房に残してしまっている。彼女は深玉らの事情を知らないのだ。杜も皇后側の人間である以上、筆録房が安全とは限らない。
寝返りをうてば、窓から漏れる夕陽が深玉の顔を照らした。眩しさから目を背ける。
対面した感触からして、皇后が事件の裏を握っていることは確実だった。くわえて、深玉や夏丞が探りを入れていることも知られている。
問題は雪燕の託された言葉の存在を皇后側が把握しているか、だが。
おそらく存在は認知していても、内容までは把握していないだろう――深玉は吐息する。
深玉を囲い込もうとしているのは、雪燕が廉明殿で守られており情報を聞き出したくとも近づけないからだ。深玉に注意が引きつけられている限り、雪燕の身は安全ということで。
やり方はどうであれ、夏丞のこういう手抜かりのなさだけは信用できると思う。
――あの男は、今なにをしているのだろうか。
夏丞と口論になったのが、遠い昔のようだ。あのときの急き立てられるような感情の熱はとうに冷えている。
彼にも曲げられない信念があるのだろう、と思う。頑なな職務への姿勢は、夏丞を形作る要素のひとつにすぎない。
そして、その信念ゆえに深玉に明かせないことがあるのであれば――それは仕方がないことなのだ。
「……ああ、そうか」
夏丞が深玉をどう思おうと、それは夏丞の問題だ。深玉の信じたいという気持ちが間違いだったわけではない。
ふっと心が軽くなった気がした。
裏切りと感じているのは、彼を知らなかった痛みだ。嘘をついた彼が悪いのではなく、知れなかった自分が悔しいのだ。
母のこともきっとそう。
あたたかな記憶まで塗りつぶして、母の気持ちを疑ってしまっていた。
人と向き合うのは難しい。でも、繋ぎ止めたいなら、ここで逃げてはいけない。悲しい記憶で塗りつぶしては駄目だ。
瞼が重い。目を閉じれば、どっと眠気が襲ってくる。
「なら、わたしは……」
母と夏丞、ふたりの優しい嘘に救われた事実はなにがあっても変わらない。
母と話すことはもう叶わない。だから、せめて彼に会うことが叶うなら――そのときは、ちゃんと夏丞のことを知りたい。
そう思ったところで、意識が途切れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます