『居酒屋 ゆめのはしら』──クロとアズサとオレのオフ会

 そこは、現実と夢のあいだに浮かぶ、小さな路地裏。


 迷い込んだ者しかたどり着けないと言われる、『居酒屋 ゆめのはしら』–––

 木の温もりを感じる引き戸を開けると、ほんのりと出汁の香りが鼻をくすぐる。


「いらっしゃい。今宵は、ようこそ《夜》の向こう側へ」


 女将・灯子が優しく微笑んだ。着物姿がやたらと様になっている。


 席につくと、すでにふたりの共演者が来ていた。


「おっそ〜。主役なのに、一番最後とかないでしょー」

 クロが焼き鳥を口にくわえたまま、にやりと笑う。いつもより人間っぽい顔をしている。


「遅刻はルール違反だよ」

 アズサはグラスの氷を揺らしながら、冷静な声で言った。今日も制服姿なのは、彼女なりのこだわりだろう。


「いや、俺……迷ったんだよ。『居酒屋 ゆめのはしら』、看板ないんだもん」


「そりゃそうよ」

 灯子がくすくす笑いながら、日本酒を徳利から注いでくれる。

「ここは《物語の外》にある店なんだから。読み手が夢を見なくちゃ、見つからないの」


 カンッ、と小さくグラスがぶつかり合う音がした。


「第7夜、お疲れさまでした〜!」


「乾杯……!」

 クロとアズサ、そしてオレがグラスを掲げる。


 振り返れば、やばい夜だった。


 何もわからないままホームレスになって、

 得体の知れないモンスターに襲われ、

 死ぬかと思えば、今度は人外の少女と不思議な女の子に出会って──


「わたし的には、ちょっと登場遅すぎたかな〜って思ってるんだけどさ」

 クロがぐいっと一杯。

「でもまあ、可愛く描かれてたから、許す」


「私は……。もう少し、丁寧に描写してほしかったかも」

 アズサがぽつりと言う。

「最初は怖い存在だったけど、読者にちゃんと正体を感じさせられたか、不安だった」


「えっ、俺が悪いみたいな雰囲気出すなよ……!」


「でもさ」

 クロが、炙ったししゃもを箸でつつきながら言った。

「続き、楽しみだね。まだあの子も出てないし、あの塔も……」


「言っちゃダメ」

 アズサがピシャリと遮る。

「ネタバレは、ルール違反」


 ……どうやら、ふたりとも、次の夜を知っているらしい。


「ところでクロ、おまえ、どこまで擬態すんだよ」

「ふふん、この姿、なかなか好評なんだよ〜。作者の趣味だと思うけど」


「やっぱりあんた、擬態じゃなくて正体それなんじゃ……」

 アズサが呆れ気味にため息をついた。


「まぁまぁ、どちらも正体ってことで」


 灯子が笑いながら、出汁巻き玉子を差し出す。


「さ、今夜は《物語の枠》を外れて、思いっきり羽伸ばしなさいな。夜明けまで、ここはあんたたちの居場所よ」


 酒の香りと、微睡の中に、ふと、静寂が訪れた。


 だれも口には出さなかったが──

 みんな、心のどこかで知っていた。


 また夜は来る。


 きっともっと、深くて暗い夜が。


 けれど──


「次の台本、けっこう面白そうだったよ」

 クロがぽつりと呟いた。


「今度は、もっと人間の怖さが出るって」

 アズサがうなずいた。


「……まじか。俺、また死にかけるパターンかよ」


 みんなで笑った。


 笑いながら、それぞれの夜へと、ゆっくり戻っていく。

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