第3話

「ルル様……?」


 ロローネが不安げに手を差し出す。


 けれどルールリアはそれを払うこともなく、しっかりと握り返した。


 ――ああ、そう。あなたたちは本当に“愛し合っている”のね。


 私が、どれほどの歳月を捧げてきたと思っているの?


 幼い頃から、王妃になるための厳しい教育を受けてきた。結婚してからは、彼の執務を陰で支え、疲れた時には寄り添い、癒やしてきた。


「すまない、アーシャ」


 眉をひそめ、苦しげに謝る声。

 だけどその手は、まだロローネの手を離していない。


(……それで、誰が心を動かすと思うのかしら)


「謝らなくても結構です、ルールリア王太子殿下」


 私はひとつ息を吐き、淡々と告げた。


「側室を迎えたいのなら、来年、正式な手続きを経てと……昨夜、二人でそう話し合いましたよね?」


「そ、それは……側室とか、そういうのでは……」


「“真実の愛”ですか?」


 わかっている。小説で読んだ、浮気者の常套句。


「……そうですか。幸いにも、私たちの間にはまだ子はおりませんし。あなたに本命ができたのなら、それはそれで構いません」


 私は、ただ、静かに――本心を告げた。


「私たち、離縁いたしましょう」


 その瞬間、ルールリアの顔から血の気が引いた。


「な、なにを言うんだアーシャ!? 王族はそんな簡単に――離縁など……っ、頼む、今回は許してくれ! 二度と……二度とこんなことはしない!」


「“二度と”?」


 私は首をかしげるように繰り返した。


「絶対にしない! 本当だ!」


 必死に叫ぶその姿に、胸の奥が凍る。


(……まただ。前世の“あの人”と、まったく同じ)


「……好きにおっしゃって。ですが、あなたの言葉を私は、もう信じられません」


 私は青い宝玉のついた杖を手に取り、煌びやかなドレスから、黒のローブへと姿を変えた。自室へとつながる扉を開き、魔法で無限収納箱を展開する。


 要るもの、要らないものを選別していく。あなたからの贈り物? ――要らない。


 宝飾品? 売れば金になるだろうけれど、そんなものに縋る気はない。


 魔物を狩って生きればいい。私には、剣も魔法もある。


「アーシャ、僕の話を――!」


「何を話すというのですか?」


 私は振り返り、冷たく微笑んだ。


「今年に入って、あなたは執務のほとんどを私に押しつけ、“視察”と称して何日も姿を消していたわね。――その頃からよ。二人の仲が貴族の間で噂になり始めたのは」


「……!」


 ルールリアの顔が引きつる。


(やっぱり……そうだったのね)


「フフ。せめて密会するなら、夫婦の寝室以外にして欲しかったわ。私達の寝室て……浮気相手と関係を持とうだなんて……あまりに下劣です」


 そして。一応、魔法の使い手であるルールリアが、ヒロインに魅了されている可能性。それとも、あの子の豊満な胸に屈しただけなのか。


 どちらでもいい。もう、どうでもいい。


 荷物の整理を終え、私は扉の前に立つ彼らに、穏やかに告げた。


「では、これで失礼いたします」


 そして――優美に微笑む。


「城を出て行く準備は整いました。ルールリア・アウスター王太子殿下、ロローネ・アンゴラ伯爵令嬢。末長く、お幸せに」


「ま、待てアーシャ! 話は――」


「離縁の手続き書類は、私の父――シシリア公爵家宛にお送りください。すでにすべてを伝えてあります。父が責任を持って、動いてくれるそうですので」


「なっ……! シシリア公爵に……っ!?」


「ええ。“この程度の裏切りで離縁を願うなんて、心が狭くて申し訳ありません”……そう、お伝えくださいませ」


 ルールリアが慌てて駆け寄ろうとするその瞬間――


 私は杖を振り、転移魔法を発動させた。

 足元に、煌めく魔法陣が足元に現れ、私の身体を霧のように包む。


「待て! 行くな、アーシャぁ――!」


 伸ばされた手も、私には届かない。


 ⭐︎


 転移魔法が終わった先は、誰もいない森の中の屋敷。私は、一歩、二歩と足を進め、部屋の中で静かに立ち尽くした。


「……終わった」


 もう、強がらなくていい。


「……もう泣いても、いいかしら?」


 堪えていた感情が、限界を迎えた。


「うっ……うう……うっ……わああああああああぁぁぁっ……!」


 涙が、止まらなかった。


 ルールリアのことを、心から愛していた。


 たとえ子どもができなくても、たとえ側室ができても、支えていくつもりだった。


 でも――


 夫婦の寝室に、浮気相手を入れるなんて。

 あまりに、あまりにも――残酷すぎる。

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