Ep.30:スーツ姿の蹂躙:タイムセールのためにボスを解体する

 東京第5ダンジョンの正面ゲート。俺は先日手に入れたばかりのCランクライセンスを、認証機にかざした。


 ピッ、という乾いた電子音と共に、重厚な防壁がスライドして開く。

 周囲にはフルプレートの重装騎士や、最新の魔導銃を抱えたパーティーがひしめいている。そんな中、くたびれた安物のビジネススーツに、左腕だけを不自然に隠した俺の姿は、どう見ても場違いだった。


 だが、俺に周囲の目を気にするような余裕はない。

 左腕のガントレットに羞恥心を食われているからではない。もっと切実な状況に直面していた。


(……現在時刻、午後六時十分。近所のスーパーのタイムセール開始まで、あと四十分強。移動時間を差し引けば、攻略に割ける時間は十五分が限界だ)


 俺は革靴の踵を鳴らし、暗い洞窟の奥へと歩みを進めた。

 漆黒マンのスーツは目立ちすぎる上に、着脱に時間がかかる。今日はこの「サラリーマンの戦闘服」のまま、最短ルートを突き進むことに決めていた。


「グルルッ……!」


 第一階層の奥から、汚泥のような体色をしたスカベンジャー・モンキーが数体、俺の進路を塞ぐように現れた。

 Cランクになりたての探索者なら、距離を取り、慎重に獲物を見定める場面だ。


「……どけ。急いでいるんだ」


 俺は左腕を突き出し、昨日手に入れたばかりのスキルを即座に起動した。


「『刃狼じんろう』」


 スーツの袖から溢れ出した黒い影が、鋭利な獣の爪へと形を変える。

 一閃。

 影の爪はスカベンジャー・モンキーの強固な毛皮を紙のように切り裂き、その魔力核を正確に粉砕した。

 絶命の悲鳴すら許さない。俺は止まることなく、死体となって霧散していくモンスターの間を駆け抜けた。


 第二、第三階層。現れる雑魚敵を、俺はすべて『刃狼』の連発でなぎ倒した。

 精神力を節約し、体力温存を考えるのが探索の定石だ。

 だが、今の俺にとっての定石は、一分一秒を削ってでも「半額のトンテキ娘の好物」を確保することにある。


 第四階層を突破する頃には、視界の端がチカチカとし始めていた。

 スキルを使うたびに、脳の奥を直接熱した針で突かれるような、不快な感覚が走る。

 精神エネルギーの消費。

 ガントレットを介したスキルの行使は、単なる体力消耗とは次元が異なる。持ち主の精神を燃料として燃やし尽くす、非常に効率の悪い等価交換だ。


 そして、地下五階層。

 巨大な空洞の天井に、それはいた。


 ——大土蜘蛛。

 軽自動車ほどもある巨体に、不気味な複眼が八つ。

 Cランク探索者のパーティーでも、死者が出ることを覚悟して挑む中ボス級の個体だ。


「キシャァァァッ!」


 大土蜘蛛が鋭い脚を振るい、粘着質の糸を大量に吐き出しながら襲いかかってくる。

 俺はスーツのネクタイを少し緩め、深く息を吐いた。

 

 回避、接近、攻撃。

 それらすべてを「技術」で補う時間すら惜しい。

 俺は精神の燃焼効率を度外視し、残されたエネルギーをすべて『刃狼』に注ぎ込んだ。


「死ね」


 一歩、踏み込む。

 飛来する糸を影の爪で切り払い、蜘蛛の腹下へと滑り込む。

 大土蜘蛛が驚愕したように複眼を揺らす。

 俺は左拳をその頭部に叩き込み、ゼロ距離でスキルの最大出力を解放した。


 黒い衝撃が大土蜘蛛を内側から爆発させる。

 巨体が地面に叩きつけられ、激しく痙攣した。

 

 通常なら、ここで止めを刺して終わりだ。

 だが俺の目的は、このモンスターそのものにある。

 俺は動かなくなった大土蜘蛛の頭に左手を置いた。


「『影喰らい《シャドウ・イーター》」


 ドロリとした闇が蜘蛛の巨体を包み込み、ゆっくりと飲み込んでいく。

 ガントレットの奥で、新たな情報が書き換えられていく感覚が伝わってきた。

 

『スキル【影糸かげいと】を習得。身体能力にボーナスが付与』


 脳内に響く無機質な通知。


 同時に。

 ガツン、と脳を直接ハンマーで殴られたような衝撃が走った。


「……っ、ぐあ……あ……っ」


 膝が笑い、視界が真っ赤に染まる。

 スキルの乱発。

 無理な同時並行処理。

 精神エネルギーの枯渇により、俺の脳は限界を訴えていた。

 

 一を足して一を足せば、三の疲労がやってくる。

 これがガントレットの呪い的代償。



 数分間、俺はその場から動けなかった。

 意識が遠のき、自分が誰で、何のためにここにいるのかすら忘れそうになる。

 

 それでも、俺を突き動かしたのは、ある種の執念だった。

 震える手で時計を確認する。

 

「……あと、十五分。……行けるな」


 俺は乱れたスーツの埃を払い、激しい目眩に耐えながら、地上へと続く階段を駆け上がった。

 

 その日の夜。

 俺の家の食卓には、予定通り「半額」のラベルが貼られたトンテキが並んだ。


「やった! 今日はトンテキだ! ありがとママ!」


 凛の無邪気な笑顔が、酷使した俺の脳に僅かな安らぎを与える。


 頑張ってタイムセールに行ったのは、俺なんだけどな。




――


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