銀歯の笑顔 —銀歯フェチの歯科医に、歯を削られた—
思い出ぽろぽろ
第1話 笑ったら銀歯が見えるということ。
笑ったら、全部見える。
上も下も、右も左も、奥までぎらりと銀が光ってしまう。
鏡で何度も確かめた。思いきり笑ったとき、自分の口の中がどんなふうに開いてしまうか。歯の形、銀の大きさ、場所。――もう全部覚えてしまった。
小臼歯のクラウンは少し丸みがあって、光が当たると指先くらいの小さな鏡みたいにきらりと返す。奥歯の大臼歯は平らで広く、銀色の板をはめ込んだみたいで、開ければ誰にでもはっきりわかる。上下で四隅を囲むように、ぴたりとそろった銀の列。その景色を、私は知りすぎてしまった。
笑うたびに思い出す。あのとき、治療台に横たわって、口を開けて、先生が「これでしっかり噛めるよ」と軽い調子で言ったこと。私にとっては、その言葉がそのまま、銀色の印を押されたみたいに残っている。
――本当に噛めるようになった。固いおせんべいも、りんごも、するめも。けれど代わりに、私は笑えなくなった。
小学校に入ったばかりのころは、まだ平気だった。
みんな歯が抜けたり生えかけたりして、口を大きく開けて笑えば穴だらけで、私は逆に「丈夫そう」と言われた。銀歯だって「光ってるね」と面白がられるくらいで、恥ずかしさはなかった。
でも三年生くらいから、空気は変わっていった。
永久歯がそろいはじめて、みんなの歯は白く並んでいく。私だけが逆に、銀色の面積を増やしていた。歯科検診のたびに「ここも、ここも」と言われ、治療の椅子に座るたび、また一本、また一本。
十二本。
それが、私の中にある数。上下左右の小臼歯と大臼歯。笑ったら、全部見える。
銀歯は、見た目に銀色の金属が光り目立つ。
そして多くの場合、それは「虫歯を治した跡」。
つまり、「かつて虫歯になったことがある」ということ。
――「歯磨きできない」「不潔」「だらしない」といった印象を持たれる。
だから、とても恥ずかしい。
「さつきって、よく笑うよね」
そう言われると、胸がちくりと痛む。昔はただの褒め言葉だったのに、今は「笑っていいのかな」と思ってしまう。笑えば見えてしまう。銀色の奥歯。
だから私は、笑うときに手を口に当てる癖がついた。
ほっぺに手を添えたり、ペットボトルを持ち上げたり、ノートで顔を隠したり。無意識のうちに「見えない角度」を作ろうとする。
だけど、鏡はごまかせない。
夜、洗面台の前で歯を磨くとき、笑顔を作ってみる。思いきり唇を引いて、口を開いて、笑ってみる。
――ぜんぶ、銀。
光を吸い込むどころか、返す。ぎらりと反射する。
その瞬間、胸がぎゅっと縮む。
「やっぱり隠せない」って、わかってしまう。
人と話すとき、相手の目線を気にしてしまう。
「今、見えたかな」「気づいたかな」
――そんなことばかり考えて、会話の内容が頭に入らないときすらある。
本当は私だって、大きな声で笑いたい。
お腹を抱えて、涙が出るまで。友達と並んで、口を大きく開けて、息ができなくなるくらい笑い転げたい。
でも、頭のどこかでブレーキがかかる。
「だめだ、見えちゃう」
それが、私の中でいつも光っている。
ときどき思い出す。
治療を終えた帰り道、母が言ったこと。
「さつき、よかったね。これで歯が長持ちするよ」
母は本気で安心していた。あのときの笑顔は、私を大事に思ってのことだった。
だけど私は、あの銀色の詰め物や被せ物が、どうしても「守られたもの」には思えなかった。むしろ「奪われたもの」――笑顔とか、無邪気さとか。
母にそんなことは言えない。
だって私が言ってしまったら、母の安心はすぐに罪悪感に変わってしまうから。私はそれを望んでいない。だから黙る。笑ってごまかす。
「笑ったら、全部見える」
この言葉を頭の中で繰り返すと、不思議と落ち着くときがある。
まるで呪文みたいに。認めてしまえば、もう逃げなくてもいいんじゃないかって。
でも、やっぱり怖い。
もしも誰かに真正面から「銀歯だね」と言われたら、私はどうするんだろう。笑って受け流せるだろうか。それとも、顔を真っ赤にして、言葉を失ってしまうんだろうか。
わからない。ただひとつだけはっきりしているのは――
私は自分の口を、誰よりもよく知っているということ。
今日も鏡の前で笑ってみた。
上も下も、右も左も、奥までぎらりと銀が光った。
そして私は、目を逸らさなかった。
心のどこかで、少しだけ思った。
――もしかしたら、この光はいつか武器になるのかもしれない。
今はまだ、ただの重荷。
でも、いつか私がこの銀を受け入れて、誇りにできたなら。
そのとき私は、本当に笑えるようになるのかもしれない。
だから今日も確かめる。
「笑ったら、全部見える」
それが、私の現実。
そしてたぶん、私の未来につながる光。
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