インタレストポリティクスからアイデンティティポリティクス、リベラルの茶番
それぞれの利益集団の利益を公共的に達成しようとした状況は過去に確実にあった。例えばとりあえず公共施設を作り、どのような必要性があるか批評するまもなくだらだらと運営を続ける。これによって利益を得るのは建設業者であり、運営母体であり、特定の利益集団である。こういうのがインタレストポリティクスだとしよう。
アイデンティティ・ポリティクスとはどのようなものだろうか?当事者性を前提としてそれぞれの主張をするもの、その運動と要約できるかもしれない。
例えば、自分の性別や職業、困りごと、などなど様々な属性によって主張し、展開している。私は生理で辛い、男は特権的な地位にいる、私は非正規雇用だ、双極性障害を持っているなどの属性からこれは社会がおかしいので社会が変わったほうがいいというような主張が散見される。
確かに精神疾患は社会的な側面があるし、男女の身体的な差によってそれぞれに嫌な面があるだろう。だがなにか一方通行というか言葉の自動機械的になっていないだろうか?つまり自己批評という余白の欠如である。
自己批評によってなぜ自分はこういう問題を抱えているのかや、なぜこういう問題意識を持ったのかや、なぜこういう言動をするのかという余白がないのである。自分に都合のいい言葉のマシーンを自分の意識の中に作っているだけでそれ以外の大事なものがない。何が大事なものかといえば、公共性やこれまでの状況を生んだ歴史に対する理解とか、巨人の肩に乗っているという自覚が挙げられるだろう。
こういう大事なことがあるのにそれを意図的に無視しているのかどうか知らないが個別性や属性を利用して政治的な何かにしているのがリベラルである。男が産めるのうんこだけのような過激な主張をするフェミニストや多様性を様々な形で利用し自己の権益としている大学知識人がまさにそれである。
はっきり言っておくと茶番と何が違うのか?どのような知的成果を残したいのか、どのような状況を構築したいのかよくわからない。結局そういう属性に根ざしたイデオロギーのようなもので他者を抑圧し、中世の教会のようなことをしているだけだ。推し文化というものがあるらしいがこれと似た暴力性があるように見える。なぜならそこには熟議がなく、単線的で、どうしようもないくらいの無責任性があるからだ。精神的余裕がないとも言える。
これはとても病的であり、痛々しい。しかし誰にでも訂正可能性があるのでどうにかなるだろう。本当の理解など存在しないし、誤解は常にある。そのふわふわとしたものを楽しむ余裕をまず持ってほしい。
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