9.策士策に溺れた

「少し、意外でした」


 学園への登校途中、ソフィアが不意にそんなことを口にした。

 なんとなく、アレスは何のこと察して口を開く。


「師匠の態度のことか?」

「はい。お爺様と不仲なのは知っていましたので、邪見にされると思っていました」


 アレスにはわかっていた。

 あれは絶対、見栄を張っただけなのだと。

 宿に戻ったらすぐに、念入りに手洗いをしているに違いあるまい。(正解)


「まあ、歓迎されるには越したことないだろ?」


 アレスの問いに、ソフィアは素直に頷く。


「えぇ、仰る通りです」


 ふと、アレスは目的地であるプレアデス士官学園を見やる。

 宿から学園への距離は、そう離れていない。

 ソフィアの話とやらは、今の内に聞いておいた方が良いだろう。


「それで、話ってのは何だ?」

「ああ、そうでした。すっかり忘れていました」


 ソフィアの穏やかな笑みと言動に、アレスは心の底から癒されていた。

 周りにいる者たちが、あまりに非常識な者ばかりであったために、こういう癒し足り得る人物の存在がありがたい。

 彼女の頼みは、可能な限り応えようと誓いを立てるアレスであった。


「私とアレス君の勝負のことです」

「あぁ、他の班員は抜きでサシでやりたいのか?」

「いえ、別に私は班員全員で来ても構いませんよ? それでアレス君の力が発揮されるのであれば…………脱線しちゃいましたね。話の内容はまた別にあります」

「人数指定じゃないとなると、ルールの取り決めか?」

「はい、その通りです」


 アレスの問いに、ソフィアは頷く。


「私たちの身分は、学生です。ですので、一定以上の成績は取らないといけません。よって、そのための取り決めを設ける必要があります」


 ソフィアの言うことは尤もだ。

 そもそも、アレス以外の班員は好成績を取ることに強い拘りを持っているのだから、この取り決めは必須であった。


「実地演習の期間は、三日間です。ですので、勝負をするのは、二日目以降からということにしませんか? 最低でも一日目は、お互いに成績向上のために費やすとしましょう」


 試験期間の内三日で、試験に取り組む日数を一日のみに絞るとは、随分大胆だ。

 そのことに苦笑しつつ、アレスは頷く。


「わかった、俺はそれでいい。だけど、他の班員の意見も聞かなきゃいけないから、返事は少し待ってもらっていいか? わかったら、またソフィアに伝えるよ」

「はい。お待ちしております」


 それを機に、アレスとソフィアはそれぞれの教室へと向けて歩き出していった。





 プレアデス士官学園では、幅広い分野の授業を受けることができる。

 それでいて授業の内容はハイレベルときた。

 そんな学び舎で教育の受けられるというのだから、アレスは間違いなく幸運であろう。

 その筈、なのだが……


「不思議だ。もう昼だというのに、授業を受けた記憶がない」


 素晴らしい教官による授業はどこにいった?

 俺をエリートにしてくれる授業はいつ終わった?

 そんな疑問が頭の中でグルグルぐるぐる。


「……あなた、やる気あるの?」


 アレスが物思いに耽っていると、不意にそんなことを言われた。

 声の主へと目を向けると、そこには能面少女ことティナちゃんが立っていた。


「……初日の午前の授業を、居眠りして終わり。昨日だって、学園長の演説で爆睡してた」

「授業をしてくれた教官には申し訳ないと思うが、ジジイには何も思わない」


 おっと、表情そのまま、ティナちゃんの視線が心なしく冷たくなった気がする。

 なんとなくマズい気がするので、ここはひとつ話題を変えるとしよう。


「腹が減ったなぁ! 飯にしないか?」

「……寝てたのにお腹は空くんだ」

「腹が空だからな」

「……頭も空のようで」


 これ以上の会話は俺の心を傷つけかねないので、俺はバックのサンドイッチを貪る。

 むしゃむしゃうめえ。


「ははは、アレス、寝覚めなのに元気だね」


 サンドイッチを貪っていると、ディトが従者のカリスを伴ってやってきた。

 整った顔立ちから繰り出される、破壊力抜群の爽やかスマイルを浮かべている。


「ディトとカリスか。丁度いいや。ちょっと話を聞いてくれないか?」

「ん? なんだい?」


 アレスはティナたちに、今朝ソフィアと話した勝負の取り決めについて話した。


「てな訳で、ソフィアとの勝負は二日目以降でいいか?」

「そんなことか。僕は構わないよ」


 ディトからは二つ返事が返ってきた。

 カリスは何も言わないが、沈黙は肯定と聞くし肯定だと思うことにする。


「……私も、それでいい。最悪、あなた一人を送り出して、三人で演習に挑めばいい」

「ひどくない?」


 俺たちチームだよ?

 そんな想いを込めた視線を送るが、ティナは無視。


「アレス、話は決まったんだ。なら、ソフィアさんに知らせた方がいいんじゃないかい?」


 ディトに、もっともな事を言われた。


「おう、そうだな。ありがとう、ディト。そうするよ」

「うん。いってらっしゃい」


 ディトたちに見送られ、アレスは教室を後にした。


「ねぇねぇ、カリス。僕、入学以来初めてお礼を言われたよ。これはもう友達だよね?」

「え、ぷっ、えぇ。ふ、勿論ですとも、ディト様。ぷふっ」





 教室を出て、アレスはソフィアを探すこととした。

 アテもなく探すには学園は広すぎるため、居るかもという場所の一つに足を運んだ。

 その場所とは、学園長室。

 彼女は学園長であるエピスの弟子なのだから、居てもおかしくはないだろう。

 前に一度行っているので、迷うこともない。

 そしてアレスは学園長に辿り着き、こんな光景を目にする。


「すみませぇぇぇぇん! 策士策に溺れた敗北者エピス・パライオン殿はいらっしゃいませんかぁああああああああ?」

「居ませぇぇええん! 人類史始まって以来のパーフェクトイケメンにして人類の答え、エピス・パライオン様は御留守でェェええええええええええす!!」


 一枚の紙を握り締めながら学園長室のドアを叩きまくる師匠という、恥ずかしさのあまり赤面するしかない光景を。

 恥ずかしい師匠ことノンナは喚く。


「お主鏡を見たことある!? 皺塗れがイケメンを名乗るな! 謙虚を覚えろ敗北者が!」

「吾はいつ何時でもイケメンですぅ! というか何が敗北者だ! 吾は負けとらん!」

「ならばドアを開けろ! そしてこのアレスの合格通知を突き付けてくれるわ!」


 嘘だろあんた、弟子の合格通知でマウント取るの?

 我が師ながら恥ずかしすぎる。


「あー! アー! 嗚呼―!! 聞こえんなァ!? 吾はこれから優雅なランチタイムなのだ!!」

「あら、真ですの? よろしければご相伴に……貴様ドアノブから手を離せ!!」


 あぁ、ダメだ、見てるこっちが惨めになる。

 頭痛すら覚えそうになる下らない喧嘩を見ているアレスの横から、不意に声がする。


「何をやっているのですかお爺様……」


 声の方へと向き直ると、そこには今のアレスと似たような想いを抱いていそうな、苦い顔をしたソフィアがいた。

 彼女は苦笑しながら、アレスへと向き直る。


「こんにちは、アレス君。どうしてここに?」

「ああ、今朝話した勝負のルールについて話そうと思ってな。それで、学園長室に行けば、居場所くらいはわかるかもと思ってな」

「成程、道理ですね」


 ですがアレス君、と口にしてから、ソフィアは苦笑した。


「私はお爺様の弟子という身分ですが、お爺様といつも居る訳ではありませんよ? 私が今ここにいるのは、学園長室が騒がしいという相談を受けたからです」


 相談というのは、見ての通りノンナのことだろう。

 本当に、申し訳ない。


「それなら俺はドアの前の幼女を片付けるよ」

「えぇ。私は中のお爺様をなんとかしましょう」


 役割分担を済ませ、アレスが真っ先に前に踏み出し、ノンナへと歩み寄った。


「む?」


 そんなアレスの気配に気づいたらしく、ノンナガマの抜けた表情で向き直る。

 そして愛弟子の姿を見て、彼女は無邪気な笑みを作った。


「おぉ! アレス、丁度いい! これからあの老害を憤死にまで追い込む所なのだが」

「師匠」

「む?」


 言葉を遮られ、ノンナが顔を曇らせる。

 だがそんな彼女が言葉を紡ぐ前に、アレスは合格通知をひったくった。


「ああ、何をする!?」

「師匠、俺は情けねぇよ」

「何じゃと?」


 失望を含んだアレスの言葉に、ノンナは不愉快そうに眉を潜める。

 普段なら小動物のように震えあがり、縮こまっていたことだろうが、今は状況が違う。


「師匠、あんたと腹黒古木に因縁がある事は、俺も承知してる。けど、これは無ェだろ?」

「むむむっ」


 アレスに言われて、ノンナは己の所業を客観的に見つめ直して、不意に思う。

 あれ? 儂、めっちゃ恥ずかしい? と。

 そんな思考が過って硬直した隙を、アレスは見逃さない。


「と、いう訳だからこっち来い」


 アレスは子猫を運ぶ飼い主が如く、首根っこを掴んでノンナを連れ出した。

 そのタイミングを見計らい、ソフィアが学園長室のドアをノックする。


「お爺様、ソフィアです」

「む? ソフィアか? 丁度良い所にきた。今、物の怪が来ていてな。撃退するのに手を」

「失礼します」


 ソフィアはエピスの言葉を最後まで聞かず、ドアを開けて学園長室へと入っていった。


「おぉ、よく来た、ソフィア。表の」

「お爺様」

「ど、どうした、ソフィア。吾はただ」

「お爺様」

「…………」


 学園長室は無言となり、しばらくすると、中からソフィアがドアを開けて出てきた。

 彼女は微笑みながら、口を開く。


「お待たせしました、アレス君。そちらも落ち着いたようですね」


 ソフィアの視線の先には、しょんぼりとした顔のノンナがいる。


「立ち話もなんです。先程の話の続きは中でしませんか?」


 特に断る理由もないため、アレスはソフィアの提案に頷いた。


「そうさせてもらうよ」


 そう言って、ノンナの首根っこを掴んだまま入室する。

 アレスが入室して、室内を見回すと、床に正座しているエピスがいた。

 それを見て、アレスは……


「はんっ」

「貴様ッ!」


 エピスが額に青筋を浮かべて立ち上がり、


「お爺様」


 すぐさま正座し直した。


「「ざまぁ」」

「貴様らッ」


 エピスの顔が真っ赤に染まる!

 だがノンナを見ると、すっと顔から怒りと赤みが引いた。


「子猫かな?」

「貴様っ!」


 今度はノンナの顔が真っ赤に染まる!

 アレスは冷めた目でそんなやり取りを一瞥すると、ソフィアへと向き直った。


「アレス君、私たちは私たちで話を済ませちゃいましょうか」


 苦笑しているソフィアの提案に、アレスもまた苦笑しながら頷いた。

 そして両者は、手近のソファーに座る。


「それで、アレス君。班員の皆さんは、何と?」

「ああ、問題ないってさ。心置きなく、競い合えるって訳だ」

「それを聞いて、安心しました。勝負、楽しみですね?」

「それは、少しばかり気が早いんじゃないか?」


 うきうきしているソフィアに、アレスは苦笑する。

 すると不意に、横から指で横腹を突かれた。


「うひっ」


 変な声も出てしまった。

 仕方ないじゃない、急所なんだもん。

 アレスは半眼となり、犯人ことノンナを見つめる。

 いつの間に隣に座ってたんだ、このババア。


「何すんだよ、師匠」

「儂を無視してイチャつくからじゃ、不孝者め」


 それで、と区切りを入れて、ノンナは問う。


「して、勝負とは何のことなのだ? 儂は何も聞いておらんぞ」

「ああ、明日の実地演習でな。ソフィアと勝負することになったんだよ」

「……ソフィア、真か?」


 いつの間にか、ソフィアの隣に座っていたエピスが、愛弟子へと問いかける。

 それにソフィアは、何の気負いなく頷いた。


「はい、お爺様。私、どうしてもアレス君と戦ってみたいのです」


 ソフィアの発言に、エピスの顔に苦味が走る。

 暫しの沈黙の後に、エピスは口を開く。


「ソフィア、其方といえど、この小僧相手に敗北は赦さんぞ?」

「えぇ、私も負けるつもりはありません」


 にこやかに答えるソフィアの顔を見て、エピスは満足そうに頷いた。

 そのやり取りを見ていたノンナの首が、弾かれたようにアレスへと向き直る。

 怖い。


「勝て」

「…………はい」


 怖い。

 アレスの心が恐怖に満ちているのを他所に、ノンナは不機嫌そうな顔でエピスへと問う。


「して、儂らの弟子のやり取りは、さて置いて。儂が注文したものは、できておるのか?」

「はんっ、吾を仕事のできない無能と一緒にするな。とっくに出来ておるわ」


 エピスの顔が、そこで醜く歪む。

 にちゃあ、なんて擬音が聞こえそうな邪悪な笑みであった 。


「品があるのは、他大陸だがなあ」


 ノンナの顔から感情が抜け落ち、無言のまま剣を構える。

 刃を抜かない理性は残っているようなので、アレスは巻き込まれぬよう、そっと離れた。

 対するエピスは、


「おっと、手が滑り続けそうだ」


 なんて意味不明な言葉の後に、両手に一冊ずつ辞書を持って構えを取る。

 ソフィアを一瞥すると、彼女も大目に見ることにしたのか、エピスから離れた。

 不意に、こちらの視線に気が付いたのか、彼女はこちらへと顔を向け、目が合う。


(行きましょうか)


 ソフィアは声を発さず、こちらに唇の動きで退室を促してきた。

 断る理由もないため、アレスは素直に頷く。

 意思が統一されたことで、両者は即座に動き出した。

 喧嘩が始まる前に、彼らは静かに、師を刺激しないように、学院長室から脱出する。

 二人が退室した直後、


「「くたばれぇぇぇええええええええええええええええええええええええ!!」」


 部屋の中で、ドッタンバッタン大騒ぎが始まった。

 顔を合わせる度に喧嘩をするのは、本当に勘弁してほしい……



――――――――


エピス「吾は負けてない!」

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