第6話 魔法学校に編入

 きっかけはささいなものだった。

 一心不乱に修行に明け暮れていたとある日。

 テレビのついたリビングにて、その足が、画面の前で止まった。


 つい最近まで、かなりの修行を課していたツバキ。

 食事も重力室が中で済ますようになり、一階に上がるのも風呂に入る時ぐらいのものだった。


「今は、朝か……」


 ふと、こうしてリビングに立ち寄ったのも、随分と久しぶりな気がした。

 何気なしにCMを見ていた。中高向けの、塾のCM。

 それに出てくる制服姿の人物に、目を奪われていた。


「……今って何年だっけ」


 そんな疑問が、沸いた。

 カレンダーを覗いた。

 そして、彼の時が止まった。


 2020年 11月14日


「…………え」


 目の前の現実に、理解が追いつかなかった。

 自分はもう、十七歳。本来であれば、高校二年生を過ごしている年齢になる。


「まじか……まじか」


 ツバキの顔は、一気に青ざめる。

 慌ててトルモのもとへ駆け込んだ。


「トルモさん! 俺、学校に行きたいです!」

「え……? そんなに重要かの」


 いつも通りの調子で返すトルモだったが、ツバキは珍しく語気を強めた。


「どうしても! 高校は卒業したいんです! 前の世界ではできなかったから。そもそも、俺が修行してたのは強く生きるためです。外に出なかったら、修行してる意味もないじゃないじゃないですか!」


 その真っ直ぐな訴えに、トルモは目を丸くした。


「……なるほど。そこまで言うなら、探してみようかの。少し待っておれ」


 こうして、義務教育を受けていないツバキが編入できる学校を、トルモは片っ端から調べ上げた。

 そしてようやく、たったひとつだけ通える場所が見つかる。

 手続き、適性試験、必要な書類……ツバキはすべてを一気に片付けた。


 そして、時は2021年 4月9日金曜日


「なーんであんなに夢中になってたんだろ」


 ぽつりと呟き、ツバキは一つ首をかしげた。

 そして迷うことなく、風を切るように玄関の扉を開け放つ。


 いつぶりだろうか。まともに外の景色を目にするのは。

 頬をかすめる風が冷たく、それでいてどこか懐かしかった。


 この家が建つ山は、年中吹雪が吹き荒れる。標高は高く、空気は薄い。窓の向こうにはいつも霧のような雪の幕がかかっていて、その先に何があるのか__ツバキは、いつの間にか考える気すらしてこなかった。

 斜面は急で、踏み外せば命はない。目印もない、冷たさだけが支配する白の世界。

 ツバキはその絶壁を、迷うことなく踏み切った。


 一度の跳躍で、彼は山を飛び越えた。

 空気が変わる。圧が抜け、風が違う。

 標高が下がるごとに、重く張りついていた冷気が剥がれ落ちていく。

 視界に差し込んだ朝日が、何年も忘れていたまぶしさを連れ戻してきた。

 ツバキは目を細めて、その光を正面から受け止める。


「すぅー……はぁ……」


 冷えた空気が喉を通り、肺を満たす。

 高山の薄い空気に慣れきった身体にとって、ここは天国のようだった。酸素が濃い。それだけで全身の細胞が活性化していくのが感じられた。

 ツバキは目を閉じ、胸いっぱいに空気を吸い込んだ後、ゆっくりと吐き出した。


「っし。行くかぁ」


 目を開け、地平を見据える。

 一歩目は、ただの歩み。だがすぐに、速度は跳ね上がる。

 瞬く間にツバキの姿は、朝露に濡れた草原へと溶けていった。


 この世界の大地は、不思議なほど前の世界とよく似ていた。

 六つの大陸に別れ、ちょうどツバキがいる土地は、前の世界でいうところの、日本の土地だ。

 この世界では“サッポウ”という名前の国。

 その西部には、かつて大阪市があったあたりに建てられた巨大な壁の都市、“カレストロ”がある。

 そしてツバキが向かう魔法学校は、その都市の中心にそびえるビル群の中にあった。


「えっと、今日から三年A組でお世話になるツバキです! 短い間だけど、みんなよろしく!」


 ごく一般的な学校の教室。ファンタジーからは程遠い風景の前方。黒板のすぐ前で、ツバキは朝からハキハキと、元気よく自己紹介した。

 大きな拍手が教室に響き、ツバキの編入は、快く受け入れられたようであった。

 __ただ一人を除いて。ではあったが。


 ツバキを唯一受け入れてくれたこの魔法学校。それがここ、私立カレストロ魔法学校である。

 この学校は、魔法医療・研究・ギルドなど、魔法職への登竜門として知られ、通常の高校で学習する内容に加え、魔法の知識や技術も身につけることができる。


「それじゃあツバキ君は、あそこの空いてる席。そこに座って」

「はーい」


 中央最後尾の席を案内され、久々の空気を感じながら指定の席へ向かう。それまでの周りの視線は実に不思議なものだった。周りでもヒソヒソと話をしている様子も見られ、何やら普通ではない事を悟る。


 席についたツバキは、右の生徒に軽く挨拶し、次に左の生徒にも挨拶__といったところで、なにやらただならぬオーラを感じた。


「おはよう。よろしくね」


 この左の生徒。灰色のツインテールが特徴的な少女だが、その目はまるで、化け物を見るようだった。目を大きく見開き、あんぐりと自分の目を見ている。恐怖と驚愕が混ざったようなそんな様子に、思わず声をかける。


「……だ、大丈夫?」


 固まったまま反応がない。何か言おうとしたのか、口がプルプルと震え出したその時、


「それじゃあ始業式が始まるから、みんな廊下に並んでー」


 そこに担任の指示が入り、少女はハッとして去ってしまう。その間もツバキから視線を外す事なく、彼女は廊下へ出ていった。

 心当たりのない感情の眼差し。あまりの怯えように動揺したが、呆けている場合ではない。ツバキも急いで順番に並び、体育館へと向かった。


 その放課後、帰ろうとしたところに、声をかけられた。


「なあ、ちょっといいか?」


 呼び掛けに、ツバキは振り返る。

 声をかけてきたのは、金髪の男子だった。

 短いながらも整えられたヘアスタイルに、明るい緋色の目は、興味津々に輝やいていた。


「俺はタレック。この学校の実質ナンバーワンってことでよろしくぅ!」

「ん? よ、よろしくぅ!」


 “実質”という言葉が気になり反応が遅れつつ、ツバキも同じ明るさで返事をした。


「いきなりでなんだが、時間あるか?」


 そう言う彼の周りには、これから帰ろうと支度を済ませ、複数の集まりができている。それらが一斉に、ツバキとタレックの会話に注目した。


「あるよ」

「なら、頼みは一つ__」


 タレックは、大きく息を吸い、


「俺と手合わせしてくれ!」


 勢いよく頭を下げた。

 それを周りは、まるでわかっていたようにざわつき始めた。


「おいおいいきなりやんのか」

「どんな魔法使うんだろうね」


 周囲の声がひそひそと飛び交う教室。

 登校早々にして、驚愕の視線を向けていた銀髪の少女も、今度は強く睨みつけていた。


 突然の申し込み。少しだけ目を右往左往とさせ__そして、うなずく。


「いいよ。どこでやるの?」

「しゃぁ!」


 その声は少し抑え気味になったが、対するタレックはハイテンションで跳ねた。


「グラウンド! 俺、先に行って待ってっからな! 対戦ありがとう!」


 深々と頭を下げ、大はしゃぎで教室を飛び出していくタレック。

 怒涛の展開に、ツバキは呆然と彼の背中を見送った。


「あー、ここに来て早々、タレックが悪いな」


 不意に声をかけられ、ツバキは顔を上げた。

 教室の前方で集まっていた数人のうちの一人が、苦笑を浮かべていた。


「あいつは相当な戦闘狂でな。初対面だろうと、構わず勝負をふっかけるんだよ。下級生にはやらないけど、同学年は全員一回はやってる。まあ、あいつなりの挨拶ってやつ」


 その言葉で、教室に漂っていたざわめきの理由がようやく繋がった。

 ツバキは小さく頷き、決心する。


「そっか。そういうことなら、ちゃんと答えてあげないと。ありがとう」


 そうしてツバキが教室を出ると、誰に言われるでもなく、その背を追う者が現れた。

 見物しようとする生徒たちが次々と列を作り、グラウンドへ向かう行列が静かに延びていく。


 “謎の編入生”ツバキ。

 その力を一目見ようとする期待と興味が、学校中を巻き込んでいった。

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