呪詛返し

「雪さん。・・・いいや、雪ちゃーん。早く起きたほうがいいよぉ?」




やけに色っぽい男の声がした。横になっていた雪は、ゆるゆると目を開ける。




「君は今、私と二人きりなんだから。もうちょっと危機感を持ってもらわないと。男の矜持が傷つくなぁ」




雪は「え?」と目をぱっちりと開けた。視界に入ってきたのは、真っ黒な衣と、死神の顔だった。




雪は小さく悲鳴を上げる。慌てて起き上がると、床を這い、距離を取った。




死神は満足げに笑っている。




「その反応。君は生娘だね。いやあ、たのしい、たのしい」




「す、菫ちゃんは!?」




雪はあたりを見渡し――息を呑んだ。




ここは城の地下牢のようだった。木の格子は頑丈で、鍵がなければ出られない。




中にいるのは、雪と死神、それからいびきをかいて寝ている菫と、壁によりかかる見覚えのない女性だった。




死神は女性を見やり、「あれは死人しびとだ」と興味深げにいった。




「死人・・・とはなんですか」




「死んでもなお動き続ける死体のことさ。呪詛をかけられ死んだようだね。お陰で肉体も魂も生前のように動くことができる。でも、――ごらん。呪詛がこびりついて離れないあの身体を」




女性の顔にも手の甲にも、真っ黒な文字が絶えず動き回っている。




「あの子を死に至らしめた術者の意に沿わぬ事をすれば、焼きごてを肌に押し付けられたような痛みを味わわされる。術者を殺さない限り、永遠に操り人形のままだろう。・・・まだ若いのに、かわいそうだねぇ」




「っ!」




雪は迷わず立ち上がると、女性に駆け寄った。




「何をする気かな?」




死神は雪の背中からひょいと顔をのぞかせた。構わず雪は女性の手を取った。死臭が漂うその手は、生前はさぞ美しかったであろうと察せられる。




(――可哀想に)




雪は瞼を伏せた。――半眼。御仏の瞳へと変わる。




死神からいつもの下品な笑みが消えた。食い入るように雪を見つめる。




雪は呪詛の文字へ、唇を寄せる。女性の手の甲へ、軽い音を立てて口づけた。




刹那、女性の身体から黄金の光がほとばしった。




魂を蝕んでいた呪詛は粉々に散る。黄金の桜の花びらのごとくびゅうびゅうと部屋中を乱舞した。それにとどまらず、黄金の呪詛は牢屋の天井の隙間へ吸い込まれていった。




「呪詛返し――だと?」




死神は呆気にとられ、呪詛が消えた天井を見上げた。




「う・・・」




女性の口から、声が漏れた。




浅黒かった皮膚は生者と何も変わらない肌質に戻り、唇も桃色に戻った。ずたぼろだった髪の毛も、雪と引けを取らない――いや、そっくりな美しい髪へと変わる。




女性は目を開けた。




「ここは・・・? あなたは、だれ?」




「どっかの地下牢だよ」




かわいい声がした。菫が起きたらしい。菫は遠慮なく女性の膝にまたがると、その匂いをクンクンと嗅いだ。




「美味しそうな匂いから、にんげんの匂いに変わったね! でもこの匂いはどちらかというと・・・? あれぇ?」




菫は首を傾げる。




雪は正気に戻ると、ふらりと身体が傾いた。死神が手を伸ばしたが、菫があわてて、雪をささえる。女性の隣に雪をもたれさせた。




女性は雪がぐったりとしているのに首を傾げて見つめながらも、自らの身体におきた信じがたい奇跡に感無量な様子だった。




一方。死神は、歓喜に打ち震えていた。




顔は高揚しきっている。その瞳には好奇心と欲情さえ入り乱れていた。




(長らく死神をしてきたが・・・。死人を完璧に蘇らせただと・・・!?)




こんな事例はどれだけ過去をさかのぼってもない。




(悪魔が欲しがるわけだ)








鬼の血と御仏の加護。どちらも持ち得る雪は、まさに妻とするにふさわしい。














肉の焼ける音。




眼は充血し、肌には一部の隙間もなく呪詛が焼け付く。皮膚がただれる。




呪詛返しを受けた男はそれでもなお、笑みを絶やさない。




――おもしろい。




ぺろりと、舌なめずりした。












「わたくしの名は、露と申します。我が父は十六夜 芍薬でございます」




雪は眼を丸くした。




「わたしは十六夜 薔薇の娘です」




露姫は息を呑んだ。




「あの生まれてすぐに消息を消したという、紅葉さまでらっしゃるの?」




「紅葉は父がつけた名前です。わたしは乳母に育てられ、『雪』として生きてまいりました」




「ならば、わたくし達は従姉妹・・・?」




「それで間違いないよ」




菫が言った。




「顔立ちも髪の毛が長いのもいっしょだし、雪お姉ちゃんと匂いが似てるもん」




互いに納得がいき、雪と露は手をとりあう。家族ができたのは初めてだ。




露姫は、事のあらましを語り始めた。




「わたくしは、生まれたときから政の道具として扱われてきました。ところがある日、父が疾走し、薔薇さまもいなくなり――変わって、薔薇さまのご長男、夕顔さまが十六夜家のいっさいを取り仕切るようになったのです」




薔薇が残していったものをかき集め、父親同様、呪詛を使って将軍の命を狙い始めた。




「わたくしに呪詛をかけ、上様を殺めるようにと命じました。わたくしは花嫁ではなく、刺客として送り込まれたのです」




だができるわけもなかった。




「上様はわたくしを愛してくださいました。わたくしも上様をお慕いするようになり・・・。生きていても使い物にならないと判断なさった夕顔さまに、呪詛で殺されたのです」




死してなお、城をそぞろ歩き、上様を邪気で殺せとムチで子鬼に打ち据えられていた。




「雪さん。あなたのお陰で、上様を殺さずにすみます。ありがとう」




「いいえ。――あの、露ちゃんとお呼びしても?」




雪はうずうずした。歳は露姫が上だろうが、まともな親族とやっと出会えたのだ。仲良くしたい。




「かまいませんわ。わたくしも、雪ちゃんとお呼びします」




二人は、楽しそうに笑った。蚊帳の外になった菫は雪の膝を陣取りながら、眼球は死神を観察していた。




死神は正気に戻ったようだった。どこからともなく大鎌を取り出す。露は短い悲鳴を上げた。




「あなたは誰ですの?」




「私は死神さ」




死神は大鎌を振り回し、格子をあっさりと切り裂いた。ばらばらになった木材の破片を踏み越え、死神はさっさとゆく。




神であるから、一人なら脱獄など簡単だろうが、自由への扉を強引にこじ開け、わざわざ脱出させてくれたところを見ると・・・。ついてこい、ということだろうか?




雪と露は顔を見合わせ、菫に手を引かれながら死神の背を追って小走りした。




「死神ってなにかしら?」




「いこくの神だよ。ぼくが見るに、ただのスケベオヤジだけどね」




菫が言う。死神のことが嫌いらしい。




雪は




(龍胆さまもここにいるのかしら)




と密かに胸を手で抑えた。




――逢いたい。




龍胆に逢いたい。また以前のようになにか起きているのなら、彼の身が心配だ。それに、悪魔が花嫁にしようとしているという。冗談じゃない。




自分は龍胆と添い遂げたいのだ。




はやく抱きしめてほしいと願いながら、雪はしっかりしなきゃと自分を鼓舞した。




ふと、死神は振り向き、娘二人に笑いかけた。




「君たちの家系は、多くの血と魔物の上に成り立っている。ねえ? 無邪気でかわいいお嬢さんたち」




地下牢の階段をのぼりながら、死神は続ける。




「片方は死人。片方は第六天魔王の娘。なんとまあ業の深い。――露姫。結婚式もお葬式も体験したんだろう? 雪ちゃんにどんなだったか教えてやりなよ。君のせいで雪ちゃんの結婚式はぶち壊しになったのだから。くくくっ!」




雪はムッとした。




「あなたに『ちゃん』付けで呼ばれると悪寒がします・・・!」




「まあっ、結婚式をめちゃくちゃに? 私のせいで?」




露は足を止める。雪ははにかんでその手を引いた。




「だいじょうぶ。龍胆さまも、小梅ちゃんも戻ってくれば、またやり直せるから、気にしないで」




露は瞼を伏せた。




「わたくしの結婚式も、あってないようなものでしたわ」




ただの政略結婚ならまだマシだった。露は思い出す。




刺客として送り込まれた花嫁の露は、なんの疑いもなく三三九度の盃をかわす夫に、涙が溢れそうだった。




将軍の枕の下に置けと渡されたわら人形。しかし露はそれを捨てた。




「この人を愛してはいけないと思いながら・・・、結局愛してしまった。だって上様は、わたくしがなにか隠し事や心配事があるとすぐに見抜かれて・・・。かんざしをくださったり、着物を贈ってくださったり。桜を見に連れ出してくださったり。夜だって、ぎゅっと抱きしめてわたくしが寝付くまで背を撫で続けてくださいました」




これはとんでもない惚気話が来た。死神はうえっと舌を出す。菫は呆れ顔で、(バカめ・・・)と心のなかで嘲った。




雪はなんだか悔しくなった。龍胆だって素敵な旦那様になってくれる。




「わたしの龍胆さまだって、お料理を毎食つくってくださるわ」




「まあ、鬼さまがお料理を?」




「ほっぺが落ちるほどおいしいのよ? わたしが死にかけていた時は、おかゆを手ずから冷まして食べさせてくださったの・・・!」




「りんどうさんは貧乏だからね。将軍様みたいにやれ着物だのかんざしだのはほいほい買えないよ」




菫の悪口。――きっと今頃、龍胆はくしゃみでもしているだろう。




その悪口を聞いている子どもがもう一人いた。・・・小梅だ。




小梅は柱の陰に隠れたまま、菫の悪口に深く賛同していた。




(そうだ。あの男は貧乏。戦い以外に、甲斐性がない)




愛する雪の夫は自分が決めてやる。小梅はそう誓う。




――見定めてやる。雪にふさわしいかどうか・・・!






小梅は桃色のベールを翻す。消える間際、めずらしく雪に菫が怒られていたが、気にしなかった。




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