第9話 鬼の僧侶

*流血表現があります。苦手な方はお控えください。



『――人斬り龍胆。噂を聞いて来てみれば、ずいぶんと優男だな』

『・・・』


龍胆は顔を上げた。


『・・・誰だ、貴様は?』


当時、十九歳の青年の頬には、返り血の花びらが散っていた。いや、顔だけではない。無数の惨殺死体が足元に転がっている。

人通りの少ない路地裏。


右手の刀には、べったりと赤黒い人間の油が付着し、辺りには血臭が立ち込めている。


『名乗るほどのもんじゃない。おせっかい焼きの旅の坊主さ』


男はそう言って、編笠の先をつまむと、くいっと持ち上げる。四十も半ばだろうか。目尻のシワが妙に人懐っこく、この場に似つかわしくない穏やかな笑みを浮かべていた。


坊主らしく、漆黒の法衣を着ている。袈裟も、袖の先も、年季が入っているのか、ところどころ破れていた。


坊主はおもむろに目を閉じる。次にまぶたを開けたとき、龍胆はぎょっとした。


――暗闇の中、らんらんと光る青い瞳。


(もののけかっ!?)


龍胆は身構えた。人間相手なら負ける気はしないが、果たしてこの刀で妖かしが斬れるのかと思考を巡らす。

坊主はのらりくらりと口を開いた。


『俺は屍食鬼。・・・死体を喰うバケモンだ』

『鬼、なのか。あんた』


脂汗がたらりと流れる。坊主――鬼は、ゆっくりとした動作で龍胆の足元に転がる死体へ手を伸ばした。

『お前さんが斬ってくれたおかげで、俺は今夜の晩飯にありつけたわけだ。俺は生きた人間は喰えない。死期が迫っている者なら、話は別だが』


そう言って、鬼は地面の赤い血を指に絡める。飴をしゃぶるように、その唇へ持っていった。


『あんた・・・。それでも坊主なのか?』


龍胆は思わず口走っていた。

おぞましい光景だ。疑問が次々に湧いてくる。


『なぜ、仏に仕える身でありながら、鬼になった? なぜ、死体を喰うことに抵抗がない?』

『お前さんがそれを聞くのかい?』


鬼は顔をあげると、きょとんとした様子で首を傾げた。


『二束三文の金で人に雇われ、明日の食料のためなら人だって殺す。俺となにが違う?』

『・・・・・・』


龍胆はしばし口をつぐんだ。ぷいっと顔をそらす。


『鬼のくせに説教か。鬼なら鬼らしく、大人しく死体でも喰っていろ!』


踵を返し、青年はその場を後にしようとした。――だが、後ろからぐいっと首根っこを掴まれると、勢いよく壁に叩きつけられる。

凄まじい腕力だ。


『ガッ・・・!?』


うめき声を上げた。

その首を締め上げ、鬼はずいっと顔を近づける。


『年寄の話は聞くもんだぞ、小僧』


その瞳は、嘲笑しているかと思いきや、恐ろしいほど真剣だった。首の拘束を緩められ、龍胆はその場に崩れ落ちる。激しく咳き込んだ。

鬼は続ける。


『お前さんのその穢れきった肉体は、血を浴びすぎて徐々に妖気を帯び始めている。――あと一人でも人を斬ったら、俺と同じく屍食鬼になるぞ』

『・・・・・・なに?』


――鬼になる? 俺が?


龍胆は目を見開く。血で汚れた両手が目に入った。


『鬼は辛えぞぉ。特に屍食鬼は、生きているのか、死んでいるのかもあやふやだ。そのくせいつも空腹だ。四六時中、飢餓に苦しむことになる』

『ふふ・・・はははっ!』


急に、龍胆は笑い始めた。


『ならば今までと何も変わらないじゃないか』


いつも腹をすかせていた。満腹になるまで飯を食ったことはない。

心が満たされたことも。


『やれやれ。若造はまだわかってないねぇ』


坊主は深々とため息をつく。ふと、なにか思いついたようにぽんと手を叩いた。


『この穢土から遠く離れた村がある。花散里という、小さな村だ』

『・・・そんな場所を俺に紹介して、なんとする?』

『別に。だがあそこに行けば、お前さんを変える出会いが待っているかもしれん』


鬼は密かにほくそ笑む。


――恋をすれば、人は変わるからな。


『その村に、雪という親をなくしたばかりの娘がいてな。お前さんに世話してほしいんだ』

『鬼が人間の娘の心配か? しかも俺に頼むのか。・・・鬼畜め』


龍胆は眉をしかめる。坊主は『気まぐれだ』とほがらかに笑った。


刹那、凄まじい突風が龍胆の視界を塞いだ。


『――・・・?』


眼を開ければ、鬼の姿はなかった。

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