カイジンストラグル

酒呑亭

第一章 カチコミ! バレンフラワー編

第0話

 昼寝から目覚めて五秒で怪人に襲われたので、とりあえず逃げた。


 


「ゴァァァアアアァァッッ!!」


 耳を聾するような咆哮が背後から聞こえた。

 振り返るべきか逡巡し——俺は普通に逃走を続行。


 ガッシャァァン!!


 と、ド派手にガラスの割れる音は背後から。

 どこかの店のショーウィンドウでも割られたのだろう。

 硬い蹴爪がアスファルトを蹴立てる重い音がする。——数は五。


 ヒュッ——


 風切音が鳴る——反射的に上体を傾ける。

 耳に空気の擦過音が捩じ込まれた。

 頭があった場所を弾丸の速度で石塊いしくれが通り過ぎ、視界の先で携帯端末デバイスショップのシャッターがひしゃげた。

 建材を剥き出しにしてガラスの破片とディスプレイ中の最新機種が店内に飛び散る、見事な被災物件の一丁上がりだ。

 俺はさすがに振り返る。


 五体の怪人は俺に殺意を向けている真っ最中だった。

 二体は二本足で駆け、一体は四つ足で疾走し、もう一体はハリウッドのニンジャばりに壁を走る。

 最後の一体は高く飛び上がり、ハンドボールのジャンプシュートのように二個目の石塊の投球フォームに入っていた。

 そいつが投げると同時に横へステップ。

 ミサイル のように飛んだ石塊が、俺の足元に突き刺さった。


 ガツンッ!


 と、火花が散って跳弾し、石塊はアーケードの彼方へ。

 アスファルトの方には、石塊がぶつかった拍子にめり込んだ跡が残されていた。

 ——人間なら即死だな。背中を冷たい汗が伝った。


『——夕方の七種ななくさ駅前の怪人出現確率は90%! 最寄りの戦闘防壁区画バリアフィールドへお早めの避難を……』

 アーケード全体に流れているのは流暢なAIキャスターのアナウンス。

 道理で周りに誰もいないはずだ——と俺は怪人予報を聞き漏らしていた自分の間抜けを棚上げする。


 東京都の片隅——七種町の駅前は古い町並みの面影だらけだ。

 老舗が軒を連ねる商店街のアーケードを、俺は平均的な男子高校生の全力疾走に近い早さで走り回っていた。

 もちろん命の危機から身を守るため。


 防衛省から国民に無料配布されている『怪人対策マニュアル』には、怪人と突発的に遭遇した場合の対処法について、実に素敵な文言が書かれている。

 ——ずばり「諦めてください」と。

 日頃から怪人予報をよく見て、危険地域の住民は最寄りの戦闘防壁区画バリアフィールドへの事前避難がマスト。

 逃げ遅れても自己責任——というドライな対策マニュアルが逆に防衛意識を高めたのか、ほとんどの国民は自主的に避難する習慣が根付いている。

 まぁ、連日のバイト疲れの寝不足が祟り、警報音サイレンの鳴る空の下で健やかに昼寝していた俺のような間抜けもいるわけだが。


「ゴルァァアアァァァッッ!!」


 ドスを利かせたチンピラの怒声に似た、あまり知性の感じられない咆哮。小遣い渡したら見逃してくれるかな、なんて一瞬考えたが、きっと話し合いにならないだろう。


 十年前に怪人に襲われた時も、こんな感じだったかな。

 あの時は運良く英雄ヒーローが助けてくれて……俺も英雄ヒーローに憧れたんだった。


 俺は溜息を吐き、今後の身の振り方を考えることにした。


 このままアーケードを走り抜けて河川敷の方まで行けば、避難用シェルターを兼ねた最寄りの戦闘防壁区画バリアフィールドがある。この辺りの住民も、大体そこに避難しているはずだ。

 そこまで辿り着けば、おそらく何とかなる。

 問題は——


「——うぅ……ママァ……」


 ……問題は、どこからともなく子どもの泣き声が聞こえたことだ。

 声のした方に視線を走らせる。

 アーケードから横道に逸れた飲み屋の横丁に、男の子が一人、ぽつねんと立ち竦んでいるのが見えた。

 親とはぐれた——ということなのだろう。

 

 背後には五体の怪人。気付かず通り過ぎてくれる——なんて虫の良い話があるわけもなく、振り向けば四つ足の怪人が、明らかに男の子の声がした方に首を向けていた。

 ——考えるより先に、勝手に足が横道へ駆け込んでいた。


 走りながら、泣いている男の子を抱きかかえる。

 背後では派手な破壊音——横道に雪崩れ込んだ怪人の群れが、細い店前通路に積まれた空き瓶やら看板やらを薙ぎ倒した音だろう。

「うゔぁ————っ!!」

 啜り泣きからギャン泣きに変わった男の子。

 その手には、大事そうに英雄ヒーローのソフビ人形が握られていた。


 子どもを抱えて障害物だらけの狭い通路を走る俺と、障害物を全て力尽くで薙ぎ払いながら迫る怪人たち。

 ……高校生程度の身体能力では、追い付かれるのは時間の問題だった。


 俺は選択を迫られていた。

 一番……英雄ヒーローが来てくれると信じて逃げ続ける。

 二番……英雄ヒーローの代わりに、俺が戦う。

 三番……英雄ヒーローなんていない。子どもを置いて逃げる。


 一番は運任せだから期待してはいけない。さすがの英雄ヒーローでも、全てを救えるわけじゃない。

 だから残る選択肢は二番か三番だが——程度の身体能力で、怪人五体と戦えるわけがない。

 このまま子どもを抱えていれば、二人仲良くあの世行きだ。

 エベレストで登山中に一人が助かるためならもう一人の命綱を切っても許されるように、ここで子どもを置いて行っても、俺が罪に問われたりはしないだろう。


「グルルァァアアァァ————ッッ!!」


 背後に迫る咆哮が、さっきよりも近付いている気がした。

「ゔぁぁあああぁぁぁん!!」

 男の子の泣き声も一段と大きくなった。

 ——男の子の握り締めた英雄ヒーローの人形が、俺の方を見ていた。


 そんなことしないよな——とでも言いたげに。


 その赤い英雄のことは、俺もよく知っている。

 名前は真紅色の竜騎士スカーレット・ドラグーン——。

 もう十年も後任が決まらない、歴代最強と謳われた伝説の英雄ヒーロー

 俺が憧れた英雄ヒーロー

 俺が目指した英雄ヒーロー

 俺が、届かなかった英雄ヒーロー——。


「……そうだな。そんなことしねーな」

 ぽつりと、俺は呟いていた。


 俺は男の子を強く抱き締め、よりもちょっぴり早めに足を動かす。

 怪人たちを置き去りにし、乱雑に置かれた障害物を旋回するように躱し、飛び跳ねて避け、足の捌きで抜き去ってゆく。

 横道の狭い通路を走り抜けた先——大通りを河川敷方面に曲がったところで、俺は足を止めた。

 その場に抱えていた男の子を降ろす。

 男の子を置き去りにするため?


 ——もちろん否だ。


 俺は振り向いた。五体の怪人が勢いを殺し切れず、横道から転がり出て向いの服屋のショーウィンドウに突っ込んだ。

 ガラスのブチ割れる激しい音——。

 数瞬の後に、身体に纏わり付いた布切れを裂いて、怪人たちがショーウィンドウからゆっくりと姿を現した。

 俺との距離は五メートルほど——。

 逃げる気を失くした獲物を狩る愉悦でも味わうように、五体とも顔に厭な笑みが貼り付いていた。


「う……ゔぅぅぅ……」

 俺のすぐ後ろで、男の子が泣いていた。

 そりゃそうだ。怖いだろうな。

 ……俺もそうだったから、よく分かるよ。

 その子と怪人との間に、俺がしっかりと立ち塞がる。


 俺は怪人たちを見据えた。

 普通の高校生では怪人と戦えるはずがないことを、俺は知っている。

 ——裏を返せば、

 人間の【深淵】を知っている——。

 必要なのは……覚悟だけだと知っている。


 四つ足の怪人が一体、「ぎゃは」と嗤って——四肢の爪で地を蹴り、豪速で迫る。


 もうに戻れない覚悟を——俺は決めた。

 英雄に守られた俺が、

 怪人から守るための、


 覚悟を——。


 俺の肚の底から、黒い雷火が爆ぜた——。

 黒い熱が、右腕に満ちた——その時だった。


 薄紅色の光がはしった——。

 

 ——直後、四つ足の怪人が凄まじい衝撃音と共に吹っ飛んでいた。

 残り四体の怪人に突っ込んで、ボーリングのように五体が転げた。

 薄紅の光を見て——

 俺は——を捨てる覚悟を捨てた。

 ……まだのだと、ホッとしていた。

 肚の奥で蠢いていた黒い熱が、すっと引いてゆく。

 背後で男の子が「わぁ」と感嘆の声を漏らすのが聞こえた。

 俺も、安堵の溜息を吐いた。


 俺の目の前には、英雄ヒーローが立っていた。

 全身を鎧う白と黒の装甲。

 装甲上を力強く走る薄紅色のエネルギーライン。

 フルフェイスの面頬マスク

 冗談みたいにヒロイックなデザインの英雄ヒーローが、その背中で「もう大丈夫」と語っていた。

 背は俺よりも小さくて、肩幅だって華奢なのに——

 彼女は、紛れもなく英雄ヒーローだった。

 その英雄ヒーローの名は薄紅色の戦乙女ペールピンク・ヴァルキリー

 今年の四月にデビューしたばかりの、新人の女性英雄ヒーローだった。


 英雄ヒーローの足元のアスファルトにはヒビが入っていた。

 先ほどの一連の動きを、俺は思い出す。

 かろうじて見えたのは、流星のように空から落ち、現着と同時に放った綺麗なブラジリアンキック。足の軌道が空気中に描いた薄紅色の光跡の残光が、今も目に焼きついていた。

 飛び掛かってきた怪人の顔面に叩き込まれた蹴足。その鋭さを物語るように、転げている四つ足の顔面が足の形に凹んでいた。


 英雄ヒーローは何も言わず、ただ目の前の怪人たちに意識を集中させているように見えた。

「邪魔だからさっさと逃げろ!」

 薄紅色の戦乙女ペールピンク・ヴァルキリーの野太い怒声……ではなかった。

 怒声は——空からだった。

 見上げると、全身を白い装甲に鎧われた人影が二つ浮いていた。

 英雄ヒーローの組織に所属する、ただの下っ端隊員たちだと分かった。

「ここは我々に任せて、早く戦闘防壁区画バリアフィールドへ避難してください」

 先ほどの怒声とは別の丁寧な声が、少し浮いたまま避難指示を出した。

「す、すみません。……じゃ、行こうか」

 英雄ヒーローたちに礼を告げ、俺は男の子をおんぶした。

「バイバイ!」

 男の子が英雄ヒーローたちに手を振った。

 背後を振り返ることなく、薄紅色の戦乙女ペールピンク・ヴァルキリーだけが、すっ、と手を振り返すのが見えた。

 英雄ヒーローは、やっぱりいつだって英雄ヒーローだった。

 俺は頭を下げ、そのまま大通りを河川敷方面へ軽く走った。


 河川敷エリアに建設された戦闘防壁区画バリアフィールドは、巨大な半透明のエネルギードームに覆われていた。このエネルギードームは二重の構造になっており、主に二つの役割がある。

 一つは外からの衝撃に耐えるシェルターとしての役割。

 そしてもう一つは——

「ママー!」

 戦闘防壁区画バリアフィールドのドームの入り口が見えて来た頃、おぶっていた男の子が叫んだ。

 その声に、はっと振り返った女性が、泣きそうな顔で駆けてくるのが見えた。

「……良かったな」

 そう言って背中から降ろした途端、男の子は走ってママの胸に飛び込み、しばし感動の親子のご対面だ。


「あの……うちの子を助けていただいて、ありがとうございました」

 男の子を抱き締めながら、ママは俺にそう言った。

 俺はきっと、歯痒くて——少しだけ切ない顔をしていたと思う。


「——いや、助けたのは俺じゃなくて……AWONヒーローですよ」


 事実だから、そうとしか言えなかった。

 立ち去ろうとした俺の背に、

「バイバイ!」

 男の子が手を振っていた。

「うん、バイバイ」

 振り向いて、俺も手を振った。

 男の子の握り締めた英雄ヒーローも、俺の方を見ていた。

 何を言おうとしてくれていたのか——俺には、分からなかった。




 ——この時、俺はまだ気付いていなかった。

 薄紅色の戦乙女ペールピンク・ヴァルキリーとの間に、すでに因縁が生まれてしまっていたことに——。




—————————————————————

読了ありがとうございました。

どうやら普通ではないらしい主人公による、人と怪人の物語の始まりです。

少しでも面白いと思っていただければ幸いです。

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【次回】幼馴染ヒロインが——。

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