第32話

 辺り一帯は、静かだった——。

 暗くて、埃っぽくて、ひんやりしていて、どこか匂いがする。地上の喧騒とは隔絶された、時間の止まった地下世界。

 俺は怪人を右肩に担いで、地下鉄の線路の上を歩いていた。電車に轢き殺される心配はない。とうの昔に、この路線は死んでいる。


 百年前の第一次怪人戦役と、五十年前の第二次怪人戦役。

 二度の戦火の残り香は、今もこの国の地下水脈のように流れ続けている。

 大規模な崩落、経営母体の消滅……。都内に存在した多くの地下鉄の廃線は、その影響の象徴だろう。


 七種高校ナナコーの地下を通っているのもそんな廃線の一つだ。

 元々の名前は……たしか“都営三畑線”。

 一年の頃に武邑先生がテキストを無視して「実はこの高校の地下には大昔の地下鉄の廃線が通っててね——」なんて横道に逸れた話をしていたのが珍しくて、妙に印象に残っていた。

 まさかこんなところで役に立つとは。……たまには授業を聞いとくのも悪くない。


「うぅ……」

 俺の肩に全体重を預けながら、怪人が呻いた。

 しっかり自分の足で歩いてもらいたいが、そんな体力があったらまた襲ってくるだろうから、しばらくはこのままでいてもらうことになる。


「しっかりしろ……とは言えねーけど、しっかりしろよな」

 俺は怪人を励ました。

 ……本当は自分を励ましたのかもしれないが。


 体重二百キロほどはある怪人を右肩に担ぎながら、俺は左手で携帯端末デバイスを操作する。

 薄明かりの画面には、さすが何でもお見通しの美人さんからのメッセージが一件届いていた。

 ……まったく、いつから“観て”いたのやら。

 文面を要約すると「そっから五十メートルくらい道なりに歩いたとこで待っててやるから、そのバケツみてーなのも連れて来い」とのこと。

 ……バケツ?


 俺は右肩に担いだ怪人を見た。昔遊んだゲームでは、この怪人の頭に良く似た形のグレートヘルムという兜が、友達の間でバケツ呼ばわりされていたことを思い出す。


 「……バケツだってよ」

 「うぅ……」

 俺の声に応えるように、怪人バケツが呻いた。


 怪人バケツを担いで暗い線路を携帯端末デバイスの頼りないライトを頼りに真っ直ぐ歩くと、やがて少し開けた場所に出た。

 どうやらこの廃線のホームであるらしい。


 廃線になってから長い間放置されていたことを示すように、辺りには割れたガラスやら蛍光灯の破片やら瓦礫やらが散乱している。


 天井は崩落したのか電気系統の配線がブラブラと飛び出し、ホームドアやらコンクリの壁やらもあちこち崩れて、当時の破壊の凄まじさを物語っていた。


 俺が周囲の様子に見入っていた時、前方から突然ブルゥン! と聞き覚えのある車のエンジン音が鳴り、ヘッドライトが俺を照らした。

 左手をかざしてライトを防ぎつつ目を細めて前を見れば、予想通りの見慣れた真っ赤なスポーツカー。


 地下鉄の廃線こんなとこにどうやって乗り入れたのかなんて、野暮なことは聞かない。

 運転席から降りて来た女性が線路上の車の前に仁王立ちし、ヘッドライトに切り取られた鮮明なシルエットを俺の目に焼き付けた。


 金髪黒スーツに、こんな闇の中でも外さないグラサン。

 はち切れんばかりの胸部装甲クソデケー乳

 グラサンの奥はもちろん、獰猛が過ぎる黄金の瞳。

 畜生スマイルがこれ以上なく似合う我が上司——佐渡島美人さんのご登場だ。


「よう、カイジンくん! どうにもメンド臭せーことになってるじゃねーか。さすがだぜ」


 朝まで秘密結社へのカチコミを繰り返していたはずなのに、一切の疲れを見せずゴキゲンな声の美人さん。だが俺は警戒を怠らない。

 ……というより、怒られる前に自白する。


「お疲れ様です、美人さん。実は……ここに来る前に、何度か七種高校ナナコーで【異能アビス】を使っちゃったんすけど……」

 美人さんは急に胸の内ポケットを左手でまさぐり始めた。


 俺は担いでる怪人バケツを盾にした——が、杞憂だった。

 怪人のドタマも余裕でブチ抜くMC社製の愛銃【ドリフトスティングレイ】こと通称ドリチンを眉間に喰らうかと身構えていたのだが……美人さんは普通にタバコを取り出した。


 スパスパ吸いながらグラサンを下げて、黄金の瞳を俺の遥か後方——七種高校ナナコーの方へ向け、

「んー、まぁ、【異能アビス】はその怪人バケツが使ったってことになってるみてーだしよー、ギリ誤魔化し切れてんじゃねーか?」


 ——どうやらお咎め無しなご様子で、俺は安堵の溜息を吐いた。肩の重荷を降ろすように、怪人バケツを降ろして線路の上に寝かせた。


「この怪人バケツ、レイジングソニックってのに操られてたみたいなんすけど……美人さん、なんか知ってたりします?」


 美人さんは興味無さ気に怪人バケツを一瞥すると、胸の内ポケットから携帯端末デバイスを取り出し、空気中に投影した立体映像デジタルソリッド石板タブレットを俺にヒョイとぶん投げた。


 ずっしりとした重さまで電気的に再現して、人間に重量と質感を誤認させる立体映像デジタルソリッド製の石板タブレット。そこには、俺のバイト先であるダイコクドミニオンの総統から下された任務ミッションが記されている。


 おまけに今回は緊急任務エマージェンシー。その内容は——



【緊急任務】:敵対秘密結社の殲滅


【副次任務】:無頼結社【レイジングソニック】の懐柔、もしくは殲滅


【任務標的】:遺灰結社【アッシュクラフト】


【任務領域】:貧民街スラム灰燼街かいじんがい】全域


【達成難度】:C


【達成報酬】:10,000DP


【追加報酬】:戦闘員100DP、幹部1,000DP、最高幹部3,000DP、首領5,000DP、【レイジングソニック】一名につき10,000DP


【稀少品目】:機密文書『塵芥契約』



 ——つまり。

灰燼街かいじんがいを獲って来いってことですか?」

 俺が任務ミッション内容を理解したと判断したのか、任務石板ミッション・タブレットはザフッと音を立てて砂のように崩れた。


 任務内容は理解したが、理解できないこともある。

【副次任務】の項目に載ってるレイジングソニック。メインターゲットの遺灰結社アッシュクラフトとはどういう関係なのだろうか?


「そもそもアッシュクラフトがどんな組織かは知ってるよな?」

 美人さんからの唐突な問いに、俺はなけなしの知識を総動員する。

「……元々は【塵芥組】でしたっけ? 怪人戦役で廃棄された国家の一等地に流れて来たホームレスとか戦災孤児が、灰燼街っていう貧民街を作って……その自警団だった塵芥組が、後にアッシュクラフトになった——で、合ってます?」


 灰燼街に関する、ネット上に流布する都市伝説——それらを読み解くと、遺灰結社アッシュクラフトという与太話の輪郭が、概ねそんな形で浮かび上がる。


 分からないのは、なぜただの自警団が、百年も行政が踏み込んで来ない灰燼街という魔境に君臨しているのか、ということだが——。

 俺の疑問を先読みしたように、美人さんが答える。


「密約があったらしいぜ。特権階級おえらいさんと塵芥組でな。灰燼街の自治を認めてやる代わりに、特権階級おえらいさんが犯した罪は灰燼街の人間ガキこうむる——つまり裏取引だな」

 ——なるほど。冤罪にならない合法的な誤認逮捕……か。


「支配体制を維持するために供物を差し出す——まるで原始人っすね」

「世も末だろ?」

 俺は顔を顰めたが、美人さんは美人さんらしい、シニカルな笑みを浮かべ、煙と共に言葉を吐いた。


「身寄りと戸籍のねー灰燼街のガキが無実の罪で罰を受けるってのは、やんごとねーことこの上ねー遊びだろうな。……今では立派な裏稼業として顧客を拡大中らしいぜ。代行殺人の真逆——代行刑罰ってところか」


 犯した罪を誰かに擦り付けて、それで罪の意識が消えるとも思えないが……そもそも罪だと思ってないから、そんなことが出来るのか?


 俺は不意に寒気を覚えた。

 理解の出来ない世界が、今も社会の足元に広がっている。

 閉鎖されて、誰も足を踏み入れない世界が。

 巧妙に隠されて、複雑に絡み合って……廃棄された地下線路図のように——。


「——ま、そのアッシュクラフトが実効支配してる灰燼街には、ヤツらの傘下の秘密結社が幾つもあるが——レイジングソニックってのは、その中で最強の戦闘集団ってことだ」

「……なるほど。厄介なのに狙われてるってことは、よく分かりましたよ。狙いはもちろん、ですか?」

 、と言って俺は肚の炉心リアクターを指差す。


「そういうこった。ま、今日の放課後バイトを楽しみにしとくんだな」

「ははっ、そーすね」

 俺は放課後の世界征服バイトについて考えることにした。

 百年前から続く、戦争の爪痕の、その続きを——。


「う……うぅ……」

 呻き声——もしくは泣き声を聞いて、俺は線路に置いた怪人バケツのことを思い出した。


「——で、そのレイジングソニックに利用されてただけっぽいコイツはどうします?」

 美人さんは咥えタバコのままグラサンを下げて怪人バケツをじっと見詰めた。すぐに怪人バケツの右手側に移動すると深々とヤンキー座りし、怪人バケツの右手の小指を摘むようにして持ち上げた。


「まず、原因はだな」

「コイツって——小指ですか?」

「いいや、小指から伸びてるだぜ」


 美人さんは怪人バケツの小指の先からまるで糸でも出ているかのように、小指の先端付近の空気中を親指と人差し指で挟み込むように摘んで、ゆっくりと横にスライドさせた。


 吊り上げられているかのように、怪人バケツの右手が宙に浮いて見えた。

「——何にも見えないんすけど……糸か何かなんすか?」

「物理的な糸じゃねー。【異能アビス】の糸だぜ。障害物に邪魔されずどこまでも伸びる——てめーの【黒龍穴ブラックホール】と同じ、心象世界の部分的表出だな」


異能アビス】の部分的表出——心の深淵が、現実に作用するとなって現れること。

 何となくではあるが、そういう意味だと俺は理解している。


「……おもしれーことによー、この糸そのものには身体操作系の効果は一切ねーってことだ」

 美人さんは少しだけ嬉しげに笑った。強者が、遥か各下の弱者の頑張りを微笑ましく眺めるように。


「てことは……他の【異能アビス】との複合技コンビネーションってことですか?」


「雑魚にしちゃあ……中々の練度だぜ。お互いの【異能アビス】を理解してなきゃできねー芸当だ。全く異なる系統の【異能アビス】を組み合わせて遠隔操作の【異能アビス】をチームとして成立させたわけだからよー。んで、この糸も可視光線では見えねーみてーだが、——」


 言って、美人さんは指を離すと同時に軽く手刀を振り下ろす動作をした。糸が切れた人形——ってわけじゃないが、怪人バケツの手が力無く地面に着いた。


「——ま、これで操られるってことはねーだろうよ。オラッ! 起きやがれ!」

 美人さんは怪人バケツに軽く蹴りを入れた。


 ごいーん、と地下空間に鐘のような音がこだまする。闇の中に、殷々と余韻が溶けていった。


 余韻が鳴り止むのを律儀に待って、美人さんは少量の回復薬マザイ怪人バケツに掛け、残りは飲み干していた。


「うぐ……ぼ、僕は……助かったの?」

 怪人バケツが目を覚ました。まだ身体は動かせないようだが、マザイの効果である程度の体力は戻ったと見て良いだろう。


「助かった……って言えるかは微妙だけど、とりあえず、もう操られることはねーんじゃねーかな?」

 俺の言葉に安堵したのか、怪人バケツは顔を綻ばせた。

「良かった……早く、家に帰りたい……」

 その声に、思わず俺と美人さんは顔を見合わせた。


「いやいやいや、ダメに決まってんだろ。何言ってんだてめー?」

 美人さんが顔の前で手を振り、怪人バケツの安堵を台無しにした……が、俺も同意見ではある。


 六百人の生徒を前に変異する瞬間を見られた怪人が家に帰りたいなんて、さすがに道理が通らない。

 美人さんはグラサンを下げ、ゴミを見るような冷たい黄金の目を怪人バケツに向け、その秘密を丸裸にし始めた。


馬尻邦亮ばじりホウスケ、十七歳。円城高校二年三組、出席番号十八番。本命の有名進学校受験日に腹を壊し、受験中にビチグソを漏らし試験会場から逃走したのがウンの尽き。滑り止めだった底辺高の円城高校エンコーに通うハメになるも、もちろんクラスに全く馴染めてねー終身名誉ぼっち。一人親の母親に心配掛けたくねーから不登校にもならずに通ってるってのは、まぁ、なかなかどうして健気じゃねーか。けどよー、そんなんはどーでもいーぜ……」


 獰猛な視線になんとも不穏な気配を感じ、俺は息を呑んだ。

 入り組んだ地下の闇さえ、その視線一つで凍り付いたようだった。

 怪人バケツの目が、怯えていた。

 判決を下す裁判官のように冷たい声で、美人さんは告げた。


「……てめーだよな? 朝からニュースになってる円城高生エンコーせい殺人事件の犯人はよー」




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読了ありがとうございました。

異能アビス】の説明でたまに出て来る『心象世界の部分的表出』って何なんでしょうね? なんとなく『イメージの顕現』みたいなニュアンスで使ってるんですけど、それだけじゃないような気もします。

少しでも面白いと思っていただければ幸いです。

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【次回】犯人はお前だけど——。

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