第2話 ワカコさんとトワコさんを救え!

 その日の夜に東京のイトコに電話してみたけど、「ウワサしか知らないよ」「本当にいたの? じゃあサインもらってきてよ」なんて言われるだけで何の収穫もなかった。

 がっかりして、翌日。

 あたしは「四月八日だから四と八を足して、出席番号十二番の人」というスガセンの指名でいきなり日直になった。

 だから昼休み、歴代の五年一組で飼ってる金魚の水替えのために、バケツに水をくんでせっせと運んでいたんだ。

 その水を持ってやっと教室に着いたと思ったら……なんだかすごく騒がしい。

 金魚のワカコさんとトワコさんの前でさわいでいるのは……六年生?

「おーいワカコ、トワコ。おれらのこと覚えてるか~?」

「あいかわらず目でかいじゃん。わ、つついたら逃げてく」

「大丈夫かなぁ、そんなにつついて……」

 ギャハギャハ笑って金魚をつつき回してるのは、大里くん、中村くん、それからオロオロしてる小森くん。

 いかにもガキ大将って感じの子が大里くんで、前髪がパッツンでメガネなのが中村くん、ちょっとぽっちゃりしてるのが小森くんだ。

 あたしの取材メモを見なくてもわかる、悪ガキトリオでけっこー有名な三人だった。

 三人とも、元五年一組なんだよね。

 っていうか。

「なっ……何やってるんですか!」

 あたしはあわてて割って入った。

 ワカコさんとトワコさんもイヤがってるでしょうがっ!

 相手は六年生だしちょっと怖いけど、でもでも、ちっちゃな生き物をいじめるのは許せないんだから!

「何だ? このちっこいやつ」

 三人がけげんそうにあたしを見下ろしてくる。

 くっ、こうして近くに立つと、大きい……!

「あ、城田っすよ。ほら、ジャーナリストが~とか言っていろんなとこウロチョロしてるヤツ」

 ウロチョロだなんて失礼な。日々の大事な取材だもん。

 教室に残っていた子たち数人も、心配そうにあたしたちを見ている。

 でも、怖くて何も言えない……って感じ。

 やっぱりあたしがはっきり言わないと……!

「とにかく、やめてください。ワカコさんとトワコさんも困ってます!」

「おれたちだって元は五年一組なんだぜ。前飼ってた金魚が元気にしてるか、見に来たっていいじゃねーか」

「それならもっと大事に扱ってもらわないと……!」

「コミュニケーションってやつだろ!」

「あっ」

 ドンッって大里くんに肩を押されて。

 バシャッ……って。

 ああっ!

 バケツの水がこぼれて、あたしに思い切りかかった。

 ~~つ、冷たい……。

 胸から濡れたし、足元がビシャビシャだ、最悪すぎる……!

「うわ、やべっ……」

「お、おまえが突っかかってくるからじゃん!」

「そ、そそそうだよ、ぼくたちは悪くないよね……⁉」

 一応わざとじゃなかったみたいで、三人ともしどろもどろ。

 あたしは――はあ。

 心の中でため息をついた。

 ……ヒジョーに腹立たしいことではあるけど、ちょっとあきらめてしまうのは、これがよくあることだからだ。

 あたし、生まれつき、どうも――不運みたいなんだよね。

 別に何もしてなくてもトラブルが向こうからウキウキでやって来るの。

 そりゃあ自分がちょっとドジなことも否定はできないけど。

 何か騒ぎがあればすぐ突っ込んでいくことも――まあ、否定できないけど。

 ただ寝てるだけで目覚まし時計が動かなくなったり、朝ご飯を食べてるだけで電子レンジがピーピー異音を出しまくったり、登校中におばあちゃんが目の前で大量のみかんをぶちまけたり、子供が転んだ拍子に泥団子をあたしにぶちまけたり、もう「絶対あたしのせいじゃない!」って言えるトラブルがよく起こる。

 不本意ながら、周りからも「トラブルメーカーなんじゃ?」って言われるくらい。

 だからバケツの水も気をつけなきゃとは思ってたんだよね、アハハ……はあ。

 だからってこんなこぼれ方をするのはさすがにわかるはずないし、気をつけようもないんだけど。

 ――とにかく、これくらいでめげてなんていられない。

「バケツのことは、わざとじゃないならもういいです。でもこれ以上ワカコさんたちにちょっかいかけるなら……!」

「大丈夫?」

 ……へ?

 意気込んだあたしに割り込んできたのは――あ、あ、明くん⁉

「体を冷やすと良くないよ」

 彼は落ち着いた態度でハンカチを手渡してくれた。

 丁寧な折り目のついた、爽やかな青色のハンカチ。濡れたあたしが受け取ったことで、シミができてしまう。それがもったいない気がして……受け取ったまま固まっていると、明くんはあたしの手ごとつかんで、ハンカチで顔を拭いてくれた。

「気にしなくていいよ。使って」

 彼の涼しげな声音が、熱くなっていたあたしの頭を冷やしていく。

 べ、別の意味で顔が熱くなった気もするけど……!

「あ……ありがと……」

「うん」

 やわらかくうなずいた明くんは、大里くんたちに向き直った。

 明くんの雰囲気に気圧されて、三人は一歩後ずさる。

 それを気にした風でもなく、明くんはカチャリとメガネの位置をかけ直して淡々と話しかけた。

「知っているかな。金魚は神聖なんだ」

「へ?」

 大里くんたちも、あたしも、おそらくクラスのみんなも意味がわからなかったと思う。

 だけど明くんはそのまま続ける。

 まるで朗読でもするかのようによどみなく、滑らかに。

「金魚は古くから富や繁栄の象徴とされていてね。幸運を引き寄せる存在としても信じられている。その美しさからスピリチュアルな意味を見いだされることも少なくない」

「す、スピ? なに?」

「そんな神聖ともされている金魚に悪いことをして――呪われても知らないぞ」

 シン……

 教室が静まりかえる。

 明くんの言葉には、なんとも言えない迫力があった。

 明くんの表情は変わらなくて、何を考えているのか読めない。

 それがますます不思議な説得力となってあたしたちの緊張感を高める。

 やがてその沈黙に耐えきれなくなった大里くんたちは、引きつった声で「フン!」とさけんだ。

「別に怖くねーし! で、でもなんか飽きちまったな! 行こうぜ!」

「お、おうともっ」

「い、行こう、行こう」

 声が震えててちょっと情けなかったけど……おかげで空気がゆるんで、日常に戻ってきた感じがする。

 あたしはホッと息をついた。

 よ、良かったぁ~……どうなることかと思ったけど、とりあえず無事にワカコさんとトワコさんを助けられたみたい……、ん?

 ちょっと待って。

 あの三人、廊下に出てからも、まだチラチラとこっちを見て怪しげな雰囲気……。

 あたしの勘がピン! と告げる。

(あれはきっと、悪だくみだ……!)

 あたしはそっと三人のあとをつけた。

 こっそり、こっそり近づいて……。

「何だよあいつ、いきなり変なこと言い出して」

「転校生っすよ。丹野とかいう」

「どうりで見たことないヤツだと思った……。どうする? もうやめとく?」

「それは負けたみたいでイヤだろ! 今度は邪魔されないように、夜中に忍び込んで金魚にイタズラしてやろうぜ!」

 な……なんですって⁉

「ダイちゃん頭いい~っ」

「怒られないかなぁ……⁉」

「何だよ小森、怖いのかよ。だったらついてこなくていいよ」

「そ、そうじゃないけどぉ……」

 三人はヒソヒソと計画を練っている。

 あたしはこぶしを握り込んだ。

 そんな計画、許せない……!

 ――だけど、ここで出ていっても、きっとあたしじゃ相手にしてもらえない。

 先生に言っても、今の段階じゃ簡単にシラを切られちゃう。

 考えろ考えろ。どうにかあの六年生からワカコさんとトワコさんを助ける方法を……!

 ――ぐるぐる考えて、ようやく一つの結論にたどり着く。

 やっぱり……動かぬ証拠を突きつける、つまり現行犯逮捕が一番なんじゃない?

 逮捕はジャーナリストの仕事じゃないけど、証拠を撮ったりするのはジャーナリストにも無関係じゃないよね。

 うん、そうしよう!

 ひそかに覚悟を決めて教室に戻ったあたしは、明くんを探した。お礼、言わなきゃ。

 明くんは……席に戻って、またケーキの型を取り出してる。

 ど、どんだけハマってるの?

「明くん」

 声をかけると、明くんはケーキの型を置いてあたしを見上げた。

「舞さん」

 ま……舞さん……!

 なんだか新鮮で反応が遅れてしまう。

 今まで男子は呼び捨てか名字で呼んでくることが多かったから。

 それに女子も、呼び捨てだったり「舞ちゃん」だったり「まいまい」だったり……。

 名前にさんをつけて呼ばれるの、あんまりなかったかも。

 明くんってやっぱり少し、大人っぽい。

「? 名前、間違ってたかな」

「あ、ううんっ。合ってるよ。城田舞、です。……もう名前覚えてくれたの?」

「ぼくの自己紹介のとき、立ち上がってたから印象に残ってて」

「あ、あははは、ははははは。そうだったね」

 そうでした。何も知らない人からすればちょっとした奇行だよね。悪目立ちしちゃってたかぁ……。

「けっこう濡れてたけど、大丈夫だった?」

「うん。着替えもあるから、後で着替えてくるよ」

「着替え? 用意周到だね」

 明くんが目を丸くする。

 あたしは笑ってごまかした。

 あたし、いつハプニングで泥だらけになったり鳥のフンが落ちてきたりするかわかったものじゃないからね……。備えあれば憂いなし、ってやつだ。この言葉はママに教えてもらった、あたしのモットーの一つ。

「それより! さっきは助けてくれてありがとう。ハンカチも」

「助けたというほどじゃないよ。でも、どういたしまして」

 優しいだけじゃなくて謙虚なんだ。

 そう感心していたら、明くんは不思議そうに首をかしげた。

「ただ、彼らはどうしてあんなことをするんだろう。意図がわからないよ」

「い、意図?」

「だってメリットがないだろ。直接話してみればわかるかと思ったけど、結局わからなかったな……」

 あたしからすれば、彼らはイタズラ好きで生意気なだけだと思うけど……。

 明くんって、気にするところがちょっと変わってるかもしれない。

「あの……」

「うん?」

 ……明くんに、さっきの大里くんたちの会話を教えるべきか。

 ちょっと悩んで、やめた。

 教えたところで、明くんはきっと困るだろうし。

 あたしの勝手な正義感に巻き込むのはちがうなって思うし、ね。

「ううん、何でもない。ハンカチは洗って返すね」

「気にしなくてもいいのに」

 そう言った明くんは、……ちょっとだけ、ほほえんだように見えた。

 わ、わっ。

 まだ二日目だけど、でもなんか、レアなものを見た気分!

「舞〜。バケツ、あのままで大丈夫?」

「へっ? あ! やばい! ごめん、今片付ける!」

 友だちに声をかけられてあわててさけぶ。

 そうだ! 日直の仕事、途中だった!

 あわてていると明くんが腰を浮かせた。

「手伝おうか?」

「ううん、大丈夫! そこまでお願いできないよ。ハンカチ、ほんとにありがとうね!」

「……わかった。気をつけてね」

「うん!」

 笑って明くんから離れる。

 でも少しだけ気になって、バケツを拾いながら振り返ると……明くんは席に座って、ケーキの型の底を外し始めていた。

 え、何で外したの?

 しかも接着剤とか取り出して……え? 工作?

 それから黙々と謎の工作を始める明くんに、あたしは唖然として何も言えなかった。

 あ、明くんって一体……。


 明くんメモ:

 明くんは優しくて、マイペースで、変わってる。

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