第2話 嗅覚とは何か、そしてなぜ難しいのか
視覚は網膜を通して脳に届く。聴覚は鼓膜を震わせ、やがて言語や音楽として処理される。いずれも比較的「距離を保った」知覚であり、外界と自分を切り分けながら把握する感覚だ。
それに対して嗅覚は、脳にとってもっと「直接的」で「侵入的」な感覚だ。
鼻腔の奥にある嗅上皮には、数百万もの嗅細胞が並び、空気中の微細な分子をキャッチする。捉えた匂いの情報は、大脳辺縁系──とくに扁桃体や海馬といった、感情や記憶に強く関わる部位に即座に伝達される。
つまり、匂いとは「理性を経由せず、感情と記憶を直撃する感覚」なのだ。
この仕組みがあるからこそ、人は匂いによって唐突に過去の情景を思い出す。パンの焼ける匂いで思い出す学校の給食、古い図書館の紙の匂いで蘇る受験期、ある香水の香りに伴う別れの記憶……。視覚や聴覚よりも深く、そして不意打ちのように記憶を引きずり出すのが、嗅覚の特性である。
だが、創作においてこれを「描く」となると話は別だ。
なぜなら嗅覚は、最も主観的で、最も言語化しにくい感覚だからだ。
たとえば「赤い」「丸い」「硬い」といった視覚・触覚の表現は、読む人のなかに比較的一様なイメージを喚起することができる。音についても、擬音語や音階、会話のトーンなどでかなりの情報が伝えられる。
だが匂いには、「共通語」がほとんど存在しない。
「甘い匂い」と書いたとき、それがバニラを指しているのか、熟した果物なのか、焼けた砂糖なのかは人によって異なる。「古い匂い」も、木の湿気を思う人もいれば、畳の埃を思い出す人もいる。
描写のための語彙が貧弱なのではなく、読者ごとの受け取り方が多様すぎるのだ。
さらに、嗅覚には「順応」がある。しばらく同じ匂いを嗅いでいると、脳がそれを無視するようになる。たとえば香水をつけている本人だけが香りに気づかなくなったり、台所の匂いに慣れてしまって家族に「くさいよ」と言われたり。
これは創作においても同様で、匂いを何度も繰り返して描写すると、その情報は次第に「背景化」し、読者にとっての感覚的インパクトが薄れてしまう。
つまり、嗅覚は「描写の濃度を一定に保つことが難しい感覚」でもある。
それでも私は、嗅覚を描くことには大きな価値があると信じている。
それは、匂いが「物語の感情レイヤーを変える力」を持っているからだ。
視覚が風景を描き、聴覚がテンポを作るなら、嗅覚は「情緒そのもの」を立ち上げる。論理や構造とは別の場所で、登場人物の心の動きや、読者の潜在的な記憶と物語をつなぐ架け橋になってくれる。
また、嗅覚は身体の内側を意識させる。
呼吸とともに入りこむ匂いは、肺を通して胸の奥へ届き、目には見えないはずの感覚を物理的に「感じさせる」。これは、読者の身体性に語りかける表現になる。
匂いを描くことは、うまくいけば、読者の体ごと物語の中に引きずり込むことができる。
読んでいるあいだ、ページの向こうに「香り」が立ちのぼるような文章。言語が言語を越えて、嗅覚という曖昧な領域に触れる。
その可能性に惹かれて、私はこの挑戦を続けている。
創作初心者としては、まだ探り探りだ。
だが、言葉で表しきれないものをどう表すか──という問いこそが、物語を面白くするのだと思っている。
ところで、あなたの記憶の扉を開く「鍵」となる匂いは、一体どんな香りだろうか?
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