第37話 潜入先の宿屋

 城塞都市ガレリア。その巨大な城壁に守られた内部は、活気と混沌が入り混じった、まさにるつぼのような場所だった。

 様々な獣人たちが行き交い、力強い活気が満ちている。だが、その反面、路地裏からは、屈強な者たちの鋭い視線が、新参者の俺たちに向けられているのを感じた。


 バルボスが言っていた「きな臭い」という言葉が、肌で理解できる。


​「……まずは、宿だ。目立たない、そこそこの宿を……」


「ユウキ様! あちらの、一番大きな建物はいかがでしょう! 天を突くようなあの白亜の塔こそ、我らが一夜の城にふさわしいですわ!」


「却下だ! なんで一番目立つ場所を選ぶんだよ!」


​ 俺がセレスティアの暴走を止めると、今度はイヴが、何の感情も浮かばない瞳で寂れた宿屋を指さした。


​「マスター。あちらの宿は、構造上の欠陥が三箇所。セキュリティレベルはEマイナス。宿泊は推奨できません」


「お前は調査が的確すぎて逆にやりにくい!」


​ 結局、俺たちは、バランの商人としての勘を頼りに、大通りから少しだけ外れた、小綺麗で目立たない中級の宿屋『獅子の寝床亭』に宿を取ることにした。


​「へい、らっしゃい。……ん? 人間とドワーフと、猫人族か。珍しい組み合わせだな」


 ​宿の主人は、恰幅のいい猪の獣人だった。

 俺たちの姿をジロジロと見るが、特に詮索する様子はない。


​「部屋は、どうする?」


「ああ、ええと……」


 ​俺が答えに窮した、その瞬間。待ってましたとばかりに左右から声が上がった。


​「もちろん、わたくしとユウキ様は、同じお部屋ですわ! 新婚旅行ですもの!」


「マスターの安全確保のため、私が同室で警護を行います。ツインベッドの部屋を要求します」


​「「……」」


 ​セレスティアとイヴが、カウンターを挟んで、火花を散らす。宿の主人は、そのただならぬ空気に「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。


​「……若いの。お前さん、大変じゃのう」


 ​バランが心底同情した目で、俺の肩を叩いた。


 俺は、もはや羞恥心を捨てて、宿の主人に頼み込んだ。


​「……すまん、オヤジさん。一番安いシングルルームを一つ。それと、女性用の大きめの部屋を一つ。あと、このじいさんの部屋を一つ。頼む」


「えっ!?」


「マスター!?」


​ 俺の決断に二人の美女が悲鳴のような声を上げる。


​「ユウキ様! なぜです!? なぜ、このわたくしを、この鉄屑女と同じ部屋に!」


「論理的に不可能です、マスター。このポンコツ聖女と同室では、あなたの警護という最優先事項に、多大な支障が……」


​「うるさい! 俺は一人で静かに寝たいんだ! これは決定事項だ!」


​ 俺は、有無を言わせぬ勢いで、鍵を受け取ると、さっさと自分の部屋に逃げ込んだ。

 扉の向こうから、二人の恨み節が聞こえてきたが、知ったことか。


​◇◆◇


 ​しばらくして、部屋に落ち着いた俺とバランは、今後の計画を練るため、情報収集に出かけることにした。


​「いいか、お前ら。絶対に、部屋から出るなよ。騒ぎも起こすな。特にお前と、お前だ!」


 ​俺は、セレスティアとイヴに、強く、強く、念を押した。

 二人は、不満そうに口を尖らせていたが、一応、頷いてくれた。ミィナには、二人の見張り役を頼んでおく。


​「さて、と。まずは酒場じゃな」


 ​俺とバランは、フードを目深に被り、街の酒場へと向かった。獣人たちが集まる酒場は、熱気と酒と、獣臭い匂いでむせ返っていた。

 ​俺たちは、カウンターの隅に座り、それとなく、周囲の会話に耳を澄ませる。そして、バルボスの言っていた「きな臭い」噂の正体をすぐに知ることになった。


​「聞いたかよ。また『黒牙』の連中が、市場で暴れたらしいぜ」


「ちっ、あいつら最近調子に乗りすぎだ。これも、今の『獅子王』様が穏健派だからだ」


「ああ。先代の『牙王』様が生きてりゃあ、狼族なんぞに、好き勝手はさせなかっただろうに……」


 ​黒牙。獅子王。狼族。

 断片的な情報をバランが補足してくれた。


 このガレリアは、古くから、勇猛なライオンの一族『獅子王家』が治めている。しかし、現在の王は、平和を重んじる穏健派。

 それに反発するように、より過激で、力による支配を望む、狼族を中心とした武闘派勢力『黒牙』が、近年、急速に力をつけてきているらしい。

 街の治安の悪化は、その二大勢力の水面下での小競り合いが原因だというのだ。


​「……面倒なことになってやがるな」


 ​政治闘争。

 俺が、最も関わりたくない種類のトラブルだった。で、さらに情報を探ろうとした、その時だった。

 酒場の扉が、勢いよく開かれ、血相を変えた猪の獣人――俺たちが泊まっている宿屋の主人が駆け込んできた。


​「た、大変だ! 俺の宿で冒険者どもが、女の子たちに絡んで……!」


 ​その言葉を聞いた瞬間、俺の血の気が、さっと引いた。


 女の子たち。まさか。


 ​俺とバランは、顔を見合わせると、代金も払わずに全力で酒場を飛び出した。

 胸騒ぎが、止まらない。


「頼むから、間に合ってくれ……! セレスティア、絶対に暴発するんじゃないぞ……!」


 ​俺は、祈るような気持ちで、宿屋へと全力疾走した。束の間の平穏は、どうやら一時間と持たなかったらしい。

 胃が猛烈に痛い。

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