第20話 二つの道
アンティークショップの応接室に、重い沈黙が落ちる。
目の前には、二つの道。
一つは、アマノが提示する、安全で快適な『地下水路』ルート。しかし、その先には、彼女への大きな「貸し」という、見えない鎖が待ち受けている。
もう一つは、バランが提示する、危険で不確実な『霧の谷』ルート。魔物や遭難のリスクはあるが、誰にも縛られず、自分たちの力だけで進む道だ。
俺の決断に全員の視線が集中する。
「決まっているではありませんか、ユウキ様」
最初に口を開いたのは、セレスティアだった。彼女は、うっとりとした表情で俺を見つめ、アマノの方に優雅な視線を送る。
「もちろん、こちらの淑女のご厚意に甘えるべきですわ。ユウキ様の類まれなるカリスマは、このような有力者をも惹きつけてしまうのですね。まずは、この銀狐商会を傘下に収め、大陸の経済を掌握することから始めましょう」
「始めねえよ! なんで話がそんなに飛躍するんだ!」
俺のツッコミも虚しく、セレスティアは「そして、その財力をもって、神聖にして偉大なる『ユウキ帝国』を建国するのです……!」と、壮大な妄想を繰り広げている。
もう、こいつの意見は参考にならない。
「あたしは……」
おずおずと、ミィナが口を開いた。
「暗くて、ジメジメしたところは、ちょっと怖いニャ……。でも、魔物が出るのも、もっと怖いニャ……。だから、ユウキお兄ちゃんが決めた方なら、どっちでも、頑張ってついていくニャ!」
健気なミィナの言葉に、俺の胸が少しだけ痛む。彼女に、危険な思いはさせたくない。そう考えると、アマノの提案は、非常に魅力的に思えた。
「そうよ、ユウキ。可愛い猫ちゃんのためにも、安全な道を選ぶのが、賢明な判断というものじゃないかしら?」
アマノは、俺の心を読んだように、追い打ちをかけてくる。
その隣で、バランは黙って腕を組み、俺の顔をじっと見つめている。彼の目は、「お主の好きにせい」と言っているようだった。
俺は、目を閉じて、深く、深く息を吸った。
俺が望むのは、何だ?
安全か? 快適さか?
いや、違う。俺が本当に望むのは、誰にも、何にも縛られない、『自由』だ。
たとえ、それが貧しくて、危険で、みすぼらしいものだったとしても。自分の足で立ち、自分の意思で生きる平穏なスローライフ。
アマノの支配下に入ってしまえば、それは絶対に手に入らない。彼女の「貸し」という名の首輪をはめられたまま、一生、彼女の掌の上で踊らされることになる。
答えは、決まった。
俺は、ゆっくりと目を開けると、まずアマノに向き直った。
「……アマノさん。あんたの提案は、ありがたい。だが、断る」
「あら?」
アマノの眉がぴくりと動いた。
予想外の答えだったのだろう。
「俺たちは、俺たちの力で、この道を切り拓きたい。あんたの世話には、ならない」
次に、俺はバランに向き直った。
「バランさん。あんたが示してくれた、『霧の谷』ルート。そっちを行かせてもらう」
俺の決断を聞いて、バランは、ニヤリと満足そうに口の端を吊り上げた。
セレスティアは、「まあ! ユウキ様、なんと男らしいご決断! 危険な道こそ、わたくしたちの愛を育む、最高の試練ですわね!」と、目を輝かせている。解釈がフリーダムすぎる。
ミィナは、少しだけ不安そうな顔をしたが、すぐに「うん! 頑張るニャ!」と、小さな拳を握りしめた。
アマノは、しばらくの間、黙って俺の顔を見ていたが、やがて、ふっと、楽しそうに笑い出した。
「……そう。そう来なくっちゃ、面白くないわよね」
彼女は、怒っているわけでも、がっかりしているわけでもないようだった。
むしろ、俺の選択を、心から楽しんでいるようにすら見える。
「いいわ。あなたの決断、尊重する。でも、これだけは覚えておいてちょうだい。私の『投資』は、まだ始まったばかりよ」
彼女は、そう言うと、一枚の金貨を指で弾き、俺に向かって投げた。俺は、それを咄嗟にキャッチする。
それは、銀狐商会の紋章が刻印された特別な金貨だった。
「お守りよ。いつか、本当に困って、どうしようもなくなったら、それを誰かに見せなさい。大陸のどこにいても、私の助けが届くはずだから」
「……」
「まあ、使わないに越したことはないでしょうけどね。せいぜい、野垂れ死にしないように頑張ることね」
アマノは、悪態をつくような口調で、しかし、その瞳の奥は笑っていた。
彼女は、部下を連れて颯爽と店を後にした。
嵐のような女だった。
「……さて、と。決まりじゃな」
バランが仕切り直すように、パンと手を叩いた。
「じゃが、霧の谷へ行くにしても、準備は必要じゃ。食料、装備、薬……。わしの店の品物、好きに持っていくとええ。餞別じゃ」
「いいのか?」
「かまわん、かまわん。どうせ、わしも一緒に行くからのう!」
こうして、俺たちの進むべき道は決まった。
目指すは、北の『霧の谷』。
その先にある、隣国『獣人連合』。
俺の仲間は、暴走しがちな最強聖女、純粋無垢な猫獣人の少女、そして酸いも甘いも噛み分けた老獪なドワーフの商人。
なんとも、ちぐはぐで、前途多難なパーティだろう。
俺は、握りしめた銀狐の金貨をポケットの奥にしまい込んだ。
(こんなもの、絶対に使うものか)
心にそう誓いながら、俺は、これから始まる、本当の意味での『冒険』に、身を投じる覚悟を決める。
平穏なスローライフへの道は、どうやら、とんでもない寄り道から始まるらしい。
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