第3話 聖女様の過剰な奉仕

「いいですか、ユウキ様。このお風呂は『奇跡の泉』から直接お湯を引いております。一日の疲れを癒すだけでなく、あらゆる傷や病を治癒し、さらには美肌効果も期待できる、まさに神の恵みとも呼べるお湯でございます」


「……なあ、セレス」


「はい、ユウキ様」


「なんでお前も一緒に入ろうとしてるんだ?」


 白亜の城(仮)の中に用意されていたのは、古代ローマの公衆浴場もかくやというレベルの、無駄に広くて豪華な大浴場だった。

 湯気で霞むその空間で、俺は腰にタオルを一枚巻いた姿で仁王立ちになっていた。


 そして俺の目の前には、同じくタオル一枚の、非常に目のやり場に困る姿のセレスティアが、にこやかに立っている。


「ユウキ様のお背中を流させていただくためですが、何か?」


「何か?じゃねえよ! 問題しかないわ!」


 俺のツッコミも虚しく、セレスティアは「ご遠慮なさらずに」と、全く悪びれる様子もなく、スポンジ片手ににじり寄ってくる。

 その完璧すぎるプロポーションが、湯気と照明に照らされて妙に艶めかしい。いかん、これは目の毒だ。スキルがどうとか以前に、健全な男子高校生には刺激が強すぎる。


「わ、わたくしでは、不満でございますか……? ユウキ様のお好みの体型ではなかった、と……?」


「そういう問題じゃねえ!」


 うるうるとした瞳で上目遣いに見つめられて、俺の心はグラグラと揺れる。

 ここで許してはいけない。一度許せば、なし崩し的に全てを許すことになってしまう。


「いいか、男女七歳にして席を同じくせず、だ! 風呂は一人で入るもんだ!」


「だんじょ……? ユウキ様の世界の素晴らしい教えですね! ですが、わたくしたちはもはや一心同体。性別など些末な問題に過ぎません!」


「俺にとっては重大な問題なんだよ!」


 結局、俺は全力で彼女を風呂場から叩き出し、内側から聖魔法でガチガチに施錠された扉を物理的に壊さんばかりの勢いで押さえつけながら、カラスの行水のごとく入浴を済ませることになった。

 扉の向こうからずっと声が聞こえる。


「ユウキ様、お背中は……!」

「せめて髪だけでも洗わせて……!」


 という悲痛な声が聞こえてきたが、もちろん全て無視した。


 風呂から上がると、今度は豪華なディナーが用意されていた。

 見たこともない輝くような肉料理に、宝石のように彩り豊かなサラダ、ほかほかのパン。一人で食べるには多すぎる量の食事が、長いテーブルにずらりと並べられている。


「さあ、ユウキ様。あーん」


「自分で食える!」


 正面に座ったセレスティアが、フォークに刺した肉を差し出してくるのを、俺は全力で拒否する。

 しかし彼女は諦めない。


「では、こちらの『千年樹の雫』はいかがでしょう。不老長寿の効果が……」


「いらん! 普通の水でいい!」


「でしたら、こちらのパンを。わたくしが一口サイズにちぎって……」


「やめろ! 俺は幼児じゃない!」


 食事の間中、セレスティアの過剰な奉仕は続いた。

 俺が水を飲めば「喉の渇き具合はいかがですか?」と問い、肉を口にすれば「お口に合いましたでしょうか?」と尋ね、パンをちぎれば「硬さはちょうどよろしいですか?」と確認してくる。


 飯くらい静かに食わせてほしい。

 味は最高だったはずなのに、何を食べたのかさっぱり覚えていなかった。


 食事が終わり、ようやく解放されるかと思いきや、最後の関門が待っていた。


 寝室だ。

 案内された部屋には、天蓋付きの、どう見ても二人用のベッドが一つ、どーんと鎮座していた。


「……セレス」


「はい、ユウキ様。今宵は冷えますので、わたくしがユウキ様を温めさせていただきますね」


「俺の部屋はどこだ?」


「ここがユウキ様のお部屋であり、わたくしの部屋でございます」


 にっこりと、聖母のような微笑みを浮かべるセレスティア。

 もうツッコむ気力も残っていなかった俺は、無言で踵を返し、適当な客室に駆け込んで内側から鍵をかけた。


 もちろん、扉の向こうからは騒がしい声が止まない。


「ユウキ様ー!」

「なぜですかー!」

「せめて子守唄だけでもー!」


 そんな声が聞こえてきたが、俺はベッドに倒れ込み、そのまま意識を手放した。

 スローライフまでは、あまりにも遠い。


◇◇◇


 翌朝。

 俺が目を覚ますと、なぜか部屋の扉は破壊されており、ベッドの脇には甲斐甲斐しく俺の寝顔を眺めているセレスティアがいた。怖すぎる。


「おはようございます、ユウキ様。昨夜はよくお眠りになれましたか?」


「……お前のせいで悪夢を見た気がする」


「まあ、奇遇ですわね。わたくしも、ユウキ様と結ばれる夢を見ました」


 会話が噛み合っているようで、全く噛み合っていない。

 俺は重い頭を抱えながら、ベッドから起き上がった。


「なあ、セレス。この城、いつまで維持できるんだ?」


「わたくしの魔力が続く限りは。あと三日三晩は余裕でございます」


「……そうか。じゃあ、今日中に出るぞ」


「えっ!? なぜですか!?」


 驚くセレスティアに、俺は窓の外を指さした。荒野の地平線の彼方から、小さな砂煙がいくつかこちらに向かってきているのが見えた。


「あれ、多分、昨日の城のせいだ。こんな何もない場所にいきなり城が現れたら、誰だって見に来るだろ。国の騎士団とか、冒険者とか、最悪、盗賊団とかが来ないとも限らない」


 そうなれば、面倒なことになるのは目に見えている。

 俺は追放された身だ。聖女であるセレスティアと一緒にいるところを見られれば、誘拐犯か何かと間違われる可能性だってある。


「……確かに。愚かな者たちが、ユウキ様の安息を妨げるのは許せません」


 セレスティアも、俺の言い分には納得したようだった。彼女は少し悔しそうに唇を噛んだ後、ぱっと顔を上げた。


「分かりました。では、出発の準備をいたしましょう! 次の街までは、ここから半日ほど歩いた場所にございます!」


「ああ、そうしてくれ。荷物は……って、俺は何も持ってないんだった」


「ご安心ください! わたくしが全て用意いたしました!」


 そう言って彼女が取り出したのは、巨大なバックパックだった。中には着替え、食料、水、野営道具、果ては予備の武器まで、完璧に詰め込まれている。準備が良すぎる。


「それと、これをどうぞ」


 セレスティアは、一枚のローブを俺に差し出した。フードが深く、顔を隠せるようになっている。


「街では、追っ手もいるかもしれません。わたくしもこれを着ますので、ユウキ様もどうか」


「おお、助かる」


 ようやく、まともな提案をしてくれた。


 俺とセレスティアはそれぞれローブを羽織り、顔を隠す。セレスティアが魔法を解くと、白亜の城は光の粒子となって霧散し、後には元の荒野が広がるだけだった。


 うん、これでいい。これが普通だ。


 こうして俺たちは、ようやく最初の目的地である街へと向けて、歩き始めたのだった。

 隣を歩くセレスティアが「ユウキ様と二人きりの旅……まるで新婚旅行のようですね」などと呟いているのは、聞こえないふりをした。


 半日後。

 俺たちの目の前に、ようやく石壁に囲まれた街が見えてきた。街の名前は『リンドブルム』。王国東部の、比較的小さな商業都市らしい。


「よし、着いたな。まずは宿を確保して、それから……」


「ユウキ様、お待ちください」


 街の門をくぐろうとした俺を、セレスティアが引き留めた。

 なんだ? と思って振り返ると、彼女は真剣な表情で、門の横に掲げられた掲示板を指さしていた。

 そこには、数枚の手配書が貼られている。


 そして、その一番上にあったのは。


【お尋ね者】

 聖女セレスティア様を誘拐せし、大罪人

 特徴:黒髪黒目の東方人風の男

 名:アイカワ・ユウキ

 懸賞金:金貨1000枚


 俺とあまり似ていない似顔絵が、それはもうデカデカと貼り出されていた。


「……」


 俺は、ゆっくりと天を仰いだ。

 スローライフ、始まる前に終わったかもしれない。


「ゆ、ユウキ様……これは……」


「……セレス」


「は、はい!」


「……お前のせいだからなッ!!!」


 あまりの絶叫に、門番の兵士が「どうした!?」とこちらを振り向く。


 俺たちは慌ててフードを深く被り直し、人混みの中へと姿を消した。


 波乱万丈の異世界ライフは、まだ始まったばかりだった。というか、始まってすらいないのかもしれない。

 俺はマイナスからのスタートを切ったのだ。

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