第20話 過去の君と今の君

「好きだよ」

 マティアスは迷いなく即答した。


「年上だからですか? それとも、ここでは特別に思える知識や視点があるからですか?」

「そうとも言えるが、それだけではない。君の魂の過去である乃愛のあは、ノア、君の一部だと思うから」

「あたしの?」


「そう。魂の過去と今の君と、どうして分けて考えるんだい? どちらも同じ『エリノア』じゃないか。過去の君があって、今の君がいる。ただそれだけのこと」


「ただそれだけ……」

 ただそれだけのこと、と言われて、エリノアは拍子抜けしてしまった。

「そうさ。ラグシア王国も、ずっと続いてきた歴史の上に、今の国がある。君も同じだよ」


(確かに、あたしは乃愛が最期に思っていたことに強く影響されて、勉強を頑張ろうと思ったし、卒論のテーマを決めるときも乃愛の意識が影響したわ)

 エリノアは俯いていた顔を上げて、研究室を見回した。

(ここでこうして研究者として働くことが出来ているのも、乃愛の意識によるところが大きい)


「過去の君と今の君、分けて考える必要は全くないよね。どちらもノアだ。どちらも素敵で――そして、特別だよ」


「……ありがとうございます」

 エリノアはなぜだか泣きたいような心持ちになっていた。


(前世のことは、ずっと誰にも言えなかった。分かってもらえない気がして)

 だけど、マティアスの特殊能力が乃愛を見つけた。そして、彼は乃愛もエリノアだと言う。

(あたし、このままでいいんだ……!)

 エリノアは深く息を吸った。浮かんだ涙は零れる前に、指で拭った。


「そもそも、過去であるところの乃愛の知識があったからこそ、ここまで、謎が解けたんだ。もちろん、今のノアのひたむきな努力なくしては叶わなかった。君がいなかったら、双子月と氾濫の関係は、少なくとも今の時点では分かっていなかったと思うよ」


 そう言ったマティアスは優しく包み込むよう目で、エリノアを見ていた。


(マティアスさま。あたし、マティアスさまのもとで働けて、本当によかった。頑張ったらちゃんと、頑張りを認めてもらえる。それは何て幸せなことなんだろう?)


「マティアスさまのお力になれたなら、すごく嬉しいです……!」

「ノアの存在は研究を大きく前へ進めたよ。ノアが日記や備忘録を読むといいと言っただろう? ボクは私的な書物はあまり重要視して来なかったんだ。集めてはいたけどね。だけど、今回、ノアの言葉をきっかけに読んだ『リリアーヌ・ロティエの日記』や『グレゴワール・D・ドルレアン公爵の備忘録』、それから『シルヴェストル・フォーセット伯爵の回顧録』から、かなり重要なことが分かったよね? だからノアはね、ボクの力になったというよりも、このラグシア王国の力になったのさ」


 エリノアの心に、石碑のところから見た風景が浮かんだ。

 緑豊かで澄んだ水が流れる、ラグシア王国。

 王国の悩みの種はさまざまな災害だ。

 その一つ、川の氾濫の仕組みの謎に迫ることに尽力出来たのなら、こんなに嬉しいことはない。

 エリノアの胸の中に、大切な人たちが浮かぶ。


(父さん、母さん。それから、姉さんとイーヴにかわいいヴィヴィ。フランツも、それから友だちも、みんな)

(笑っていて欲しい。ずっと)


「そんなわけだからね、変な心配はしていないで、川の氾濫の具体的な日にちを予測しよう。また、文献と顔を突き合わせることになるね」

「はい。……あの、ところで、マティアスさま。あたし、不思議に思っていることがあって。どうして、金環と氾濫の関係を、これまでの人たちは気づかなかったのでしょう?」


(夜空に浮かぶ金環はかなり印象的なはずだ。どうしてそれが「不吉」とされないのだろう? そうなってもおかしくはないのに)


「ああ、それは、第一に、天気が悪いと金環が見えないことがあるのが原因だろう。川の氾濫した日、曇りだったり雨が降っていたりしたら金環は見えない。それから、何しろ、八十年周期というのは、今の人間の寿命を考えると、長い。これは前にも言ったことだが、そもそも周期があるいうことが、把握しづらいのさ。それに、その氾濫の度に、様々な書物や資料も失われていたことも大きな原因だね。だから余計に『神の御心』となってしまうのさ」


「なるほど――」

(乃愛のときも天体ショーのときは天気が心配されていたわ。天気が悪いと見えなくて。意識していてもそうだもの。意識していなければ、川の氾濫のときに月なんて見ないかもしれない。それにそもそも、もしかしたら昼間に氾濫が起きたこともあったかもしれないわ)


 マティアスは『リリアーヌ・ロティエの日記』『グレゴワール・D・ドルレアン公爵の備忘録』『シルヴェストル・フォ―セット伯爵の回顧録』を机の上に並べ、真剣な目をした。


「『神の御心』という言葉で思考停止している場合じゃないよね。次の川の氾濫はすぐそこさ。もう少し具体的な日にちを予測したい」

「はい!」

「過去、何月何日に氾濫が起こったか、まとめよう。そうすることで見えることがあるはずだ。『リリアーヌ・ロティエの日記』は、物語風に書かれていたから、具体的な日にちは文章を読み取らないと分からないだろう?」

「その通りです。でも、日にちの特定は難しいですが、何月かということは読み取れば分かると思います」

「『グレゴワール・D・ドルレアン公爵の備忘録』に関しては、ボクが調べておこう。それから、まだ全部読めていない『シルヴェストル・フォーセット伯爵の回顧録』から、川の氾濫の記述を、日付を意識して探して欲しい。あと少しで辿り着けるはずだ」

「分かりました」


(あたしはそれから、黒髪黒目に関する記述も探したい。どうして、黒髪黒目が「不吉」とされてしまったのだろう? 金環が不吉と伝えられる方がやはり自然である気がする。……何か理由が分かるかもしれない)

 マティアスの黒髪と黒い目を見ながら、エリノアは密かに決意をした。


「書記官の記録で、分かるものは既に年表に書いてあるから、それと比べよう。――急ぐぞ。恐らく、時間はあまりない」




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