第7話 黒髪黒目のマティアスと、研究費のこと
エリノアが上級王立学院に来て、一週間ほど経った。
最初こそ緊張があったけれど、すぐに慣れてひたすら書物を読み解く日々となった。
(貴族のマティアスさまと二人きり、とか、マティアスさまは男性だし、とか、来たばかりのころはすごく緊張したわ。だけど、当のマティアスさまが全然貴族っぽくないし、ひたすら本を読んでいるだけだし。あたし、本に囲まれた生活は元々好きだから、あっという間に馴染んじゃったのよね)
寮ではなく、研究室の中の小部屋が住居というのも驚きだったが、鍵がかかるし、そもそも実家に比べれば十分広いしきれいだし、設備は整っている。
(恵まれているなあ。マティアスさまはいい方だし)
エリノアは、大きなテーブルの向こう側で書物を読んでいるマティアスをじっと見た。
相変わらずの黒いフード姿。
顔は髪で隠れて、ほとんど見えない。
(顔を隠すのは、あの伝承のせいなのよね)
マティアスは「ボクが怖くないのかい?」「黒髪黒目のこの姿を不吉だとか不気味だとか、思わないの?」とエリノアに訊いた。
エリノアは「全然怖くないし、不吉とも不気味とも思いません」と答えた。
(マティアスさまはほっとしたみたいに見えたわ)
そのとき、マティアスがふいに顔を上げたので、エリノアと目が合った。エリノアは、マティアスを見つめていたのがばれて、なんとなく気恥ずかしくてすぐに書物に視線を落とす。
(黒髪黒目が怖いはずないわ。だって、あたし、前世は日本人だったのだもの。だから、黒髪黒目が不吉だとかいう伝承も迷信に違いないって思ってたし、黒髪黒目の姿は、むしろなんだか懐かしいような気さえしたわ)
ラグシア王国の人たちは基本的に色素が薄い。
エリノアはハニーブラウンの髪と目だし、ジョゼットもハニーブラウンの髪に薄茶の目だ。母親のマノンの髪は薄茶で目は緑、父親のモーリスは金色の髪にハニーブラウンの目をしている。
(だから、確かに黒髪で黒目のマティアスさまを見たとき、最初は驚きがあったわ。でも、それは嫌な驚きではなくて、懐かしさとか嬉しさの驚き)
エリノアの中に
(黒髪黒目って、安心するのよね)
自然に笑みがこぼれた。
ラグシア王国において、黒髪黒目は不吉だとされているのは知っていた。
黒髪黒目の人間が、ラグシア王国に厄災を招くと。そうしてラグシア王国を混乱に陥れると。
そういう伝承があり、多くの人たちがそれを信じていた。
(でも、そんなこと、あるはずないじゃない。髪の色も目の色も、たまたまその色になっただけだし、つまりは遺伝子の問題よね。黒くなるのはメラニン色素のせいでしょ? 黒髪黒目が不吉だったら、日本は滅んでいるわ)
エリノアは知らぬ間に、ふふふと声に出して笑っていた。
「何かそんなにおもしろいことが書いてあったのか?」
マティアスが不思議そうな声を出す。
「いえ! 思い出し笑いです、ごめんなさい」
「……なるほど」
マティアスはそう言うと、長い黒髪の間から、意味ありげな視線をエリノアに送った。
(マティアスさまのこの視線、ちょっとどきどきするのよね。なんだか見透かされているような気持ちになる)
「ところで、エリノア。君はどうして月に着目したんだい?」
「ああ、それは二つの月が珍しかったからです」
「珍しい?」
「あ、いえ。あの」
(まずいまずい。乃愛の感覚で答えてしまった! 前世の日本では月は一つだったから、月が二つあるって、なんだかとても神秘的な感じがして、興味をひかれたのよね)
「ふーん。おもしろいね」
(あ、また、マティアスさまのあの視線。目が光ったようにも見える。なんだろう? ……まさか心を読まれているとか? いやいや。心を読む力があったら、学院でもっとうまく立ち回っている気がする。こんな小さな、あたし入れて二人しかいない研究室じゃなくて)
「そういえば、確認するのを忘れていたけど、エリノアは生活魔法、使えるんだよね?」
「あ、はい!」
研究室の設備は魔法で動くものばかりだった。
「よかった。たまに魔力が全くない人がいるからね。確認し忘れていたよ」
(一週間も経ってから?)
エリノアはまた笑いが込み上げてきた。
食事は食堂でとることが出来たので、ここで煮炊きをする必要はなかった。しかし、魔力ランプや水道なんかを使うには生活魔法が必要だった。もし、魔力が全くなかったら、とても生活は出来なかっただろう。
(この方、ほんとうに研究のことしか頭にないのね)
マティアスは既に書物に視線を落としていた。
そして、マティアスが読み終わった本を脇に置いたとき、雪崩が起きて本の山が崩れた。
「ああっ!」
(マティアスさまはよい方だけど、この研究室の有様はいただけないわ。整理整頓しないと!)
「マティアスさま。あたし、本の整理しますよ。本棚買いませんか?」
「ない」
「ない? 本棚が?」
「そうじゃなくて、研究費がもうないんだよ」
「え?」
「言っただろう? 歴史研究室はほとんど、見向きされていないって。だから、研究費がないんだよ。本を集めるのに使ってしまったから」
「……本棚も買えないんですか?」
「ああ。サヴォイア家からの援助も叶わない。何しろ、魔法学部に入れと厳命されていたのに、ここにいるからね」
「そう、なんですね」
「そうだ。だから、川の氾濫のメカニズムを解明して、研究費をもらうんだよ。そうしたら、もっと歴史書編纂にも力を入れられる!」
(なるほど)
「あ、心配しなくても、君への報酬は別会計だから、きちんと支払われる。何しろ、王命だからね」
「はい!」
(でも、きっと、人員を一人増やすところまでしか出来なかったのだろう)
研究費が足りなくて本棚も買えないような中でも研究に没頭しているマティアスのことを思うと、自分も力になれたらいいとエリノアは思った。
そしてエリノアが新しいページを捲ったとき、ドアがノックされた。
「……誰だ? 来客予定はないはずだが?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます