二章 上級王立学院の研究者
第5話 歴史研究室の変人
「あのう。エリノア・フォーセットです。……サヴォイア教授はいらっしゃいますか?」
エリノアは指定された日時に上級王立学院に赴き、指定された場所――歴史研究室だと思われる部屋をノックした。しかし、返事はなかった。
何度かノックしても返事がなく、不安になったエリノアはドアを開けて、自分をここへ招いた人の名を呼んだ。
やはり、返答はない。
上級王立学院は王宮のすぐ隣に位置していた。
王立学園は、貴族街と平民街に跨るようにして建っていたが、学院は貴族街の真っ只中にあった。エリノアはこの古めかしく威厳のある石造りの建築物の敷地に入っただけで緊張していたのに、指定された部屋をノックしても返答がなく、緊張と不安はさらに増した。封筒から手紙を出して、自分が日時や場所を間違えていないことを確認すると、エリノアは思い切ってドアの中に入った。
部屋に入ると、本やら何かしらの資料がうず高く積み上げられていた。書物を保護するためか、窓の形は小さく、あまり陽の当らない部屋の中は昼間から魔力ランプの灯りが
書物はどれも古く、活版印刷以前のものもあるようだった。また、書物以外にも、メモのようなものが数多く散乱しており、それらの間を縫うようにしてエリノアは部屋の奥へと進んだ。
「サヴォイア教授、いらっしゃいませんか? エリノアです。お手紙をいただいて参りました」
本のにおい、そして埃っぽいにおい。
魔力ランプは最小限しか点いていないようで、しかもランプの灯りを邪魔するように本が積み上がっているので、室内はどうしても薄暗く、そこここに暗がりが落ちていた。
(あたし、騙されたのかしら)
手紙が届いたときの高揚感は吹き飛び、エリノアの中にそんな不安が忍び込んだときだった。
広い部屋の向こうの暗がりで、何かが動いた気配がした。
黒い、何か。(――化け物⁉)
「……!」
エリノアは悲鳴を上げることも出来ずに硬直した。しかし、そのすぐ後、震える足であたふたと逃げ出そうとした。
そのときだった。
「エリノア・フォーセット?」
その、黒いものが立ち上がって、エリノアの名前を呼んだ。
「は、はい」
エリノアは目に涙を浮かべながら、返事をする。
黒いものが近づいてくる。エリノアは恐ろしさに動くことが出来ずに、そこに立ち止まったままだった。
近くで見ると、それは化け物ではなく、人間であることが分かった。
黒いマントを羽織ってフードを頭から目深にかぶり、真っ黒なぼさぼさの髪を長く垂らして、その顔を隠していた。だから人間だと認識出来ず、黒い何かにしか見えなかったのだ。
「ああ、もうこんな時間だったのか。本に夢中で、時間を忘れていたよ」
黒い人物は懐中時計を手にして、そう言う。
「あのう、あなたは?」
「ボクは、マティアス。マティアス・D・サヴォイア。一応教授だよ」
「あなたが、サヴォイア教授⁉」
「家名は好きじゃないんだ。マティアスと呼んで欲しい」
「マティアス教授」
「教授、も、柄じゃない。マティアスでいい」
「はい、マティアスさま」
「……さま、ねえ。マティアスだけでいいんだけど、まあいいか」
マティアスはそう言うと、ぼりぼりと頭を掻いた。
(想像していた教授像と、全然違う……)
エリノアはもっと老齢の威厳のある「サヴォイア教授」をイメージしていた。しかし、マティアスはエリノアの想像とは全く違った外見をしていた。髪はぼさぼさだし、そもそも長い前髪が顔を覆っていて、顔もよく分からなかった。しかし全体のイメージは老齢ではなく、三十歳くらいの年齢にエリノアには見えた。エリノアの年齢からしたら若くはない年齢だが、教授としては若いのかもしれないとエリノアは考えた。
ちらりと見えた瞳は黒く、目の下には隈があるようだった。
(えーっと、この方、貴族よね? しかもかなり上位の。でないと学院に入れないし。……でも)
マティアスは、ふああああっと大きな欠伸をした。
(でも、とても貴族には見えない……)
「あたし、ここで研究者として働けるということで、伺ったのですが、間違いないでしょうか」
「ああ、うん。そうだよ。君の卒業論文は実に興味深いものだった。とても美しい論文だったよ。だからぜひ、歴史研究室に来て欲しいと思ってね」
マティアスはフードの下で微笑んだようだった。
エリノアは、胸の高まりを抑えつつ、頭を下げた。
「ありがとうございます! ……あのう」
「何?」
「寮があるという話だったのですが。寮はどちらでしょう? 荷物を置いてきたいのですが。それから、他の研究室の方はどちらにいらっしゃいますか?」
「いないよ」
「え?」
「歴史研究室のメンバーは、ボクだけ。あ、君が入ったから、二人だね」
「……ええっ⁉」
「だってさ、考えてもごらんよ。歴史だよ? マイナーだよ? 研究室があるだけマシってもんさ」
「はあ」
(確かに花形からは遠く離れているけど……でも!)
エリノアはくじけそうになる気持ちを奮い立たせ、でもここで頑張るのだという気持ちを強くした。
マティアスはまた大きな欠伸をして、黒い髪をかきあげた。
「あのう」
「ん?」
「寮はどこにありますか? 荷物を置きたくて」
エリノアは手にした鞄をマティアスに見せた。
「そこ」
マティアスは研究室の奥の扉を指さした。
(まさか)
エリノアは震える声で尋ねた。
「そこ、とは?」
「その奥の小部屋のこと。あ、水回りはあっち」
「……寮は?」
「だからさ、マイナーな研究なんだよ、歴史って。だから、研究室兼寮ってわけ」
(ああ、やっぱり!)
エリノアはがっくりと肩を落とした。
(あれ? マティアスさまはどこに住んでいらっしゃるの? まさか同じ部屋?)
エリノアの不安気な視線に気づいたマティアスが言う。
「ああ、だいじょうぶ! ボクの部屋はあっちだから。物置を片づけたんだ。だから、研究室はこんなに散らかっているんだよ」
(嘘だ。いつも、こんなふうに散らかっているに違いない!)
エリノアはそう確信していた。
「じゃあ、まず、荷物を片づけさせていただきます」
「はい、どうぞ」
エリノアはマティアスの前を通って、部屋の方へと進んだ。
エリノアとマティアスの距離が近くなる――
――そのとき、マティアスはエリノアを見て驚いたように目を見開いた。
(目が……光った?)
「へえ。……君、おもしろいね」
「え?」
「ボクさ、若い女の子が苦手なんだよ。年上の方がずっといい。落ち着いていてさ。君がボクより年上で安心したよ」
「は? 何をおっしゃっているんですか? あたしはまだ十八歳ですよ!」
「ふふふ」
マティアスは嬉しそうに笑っていた。
(……あたし、大丈夫かしら?)
エリノアは部屋に入り、後ろ手で扉を閉めると、ほうと息を吐いた。
ジョゼットの嬉しそうな顔が胸に浮かんだ。それから、父や母、義兄の笑顔が。
(頑張る! ここでやっていくしかない!)
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