それはまるで天の音

 数日後。

 理純は少しずつ吹奏楽部の雰囲気に慣れて来た。トランペットも少しずつではあるが、上達している。

 この日の部活は個人練習で、理純はトランペット経験者の先輩に色々と教えてもらっているのだ。

 基礎練習のやり方や、トランペットの吹き方のコツなど、先輩から色々と教えてもらい実践してみると、何だか更に上達したような気になる理純である。


 しばらく練習し、理純は少しだけ休憩に入った。

 中学時代バドミントン部で体を動かしていた理純は、ずっと座ってトランペットを吹いていると体が凝り固まってしまうような気がした。だから休憩時間は少しだけストレッチをしたり、トイレに行くついでに少しだけぶらぶら歩いて体を動かすのである。

 理純は少しだけ自分が個人練習をしている教室から離れて歩いていると、別の教室で一人でフルートを吹く天音の姿が目に飛び込んで来た。

(あ……海藤くん、もう一人で個人練やってるんだ)

 理純はまだ先輩に教えてもらわないと何も出来ない自分と違って天音は凄いと思うのであった。


 音宮高校の吹奏楽部では、理純のように高校から楽器を始めたり、鈴子のように中学時代とは違う楽器を選んだ初心者は基本的にそのパートの先輩が面倒を見ることになっている。しかし、天音のような楽器経験者で高校でも楽器を変えない場合は一人で練習しても構わないのだ。高校でもトロンボーンを続ける寧音や、理純の幼馴染で中学時代から楽器を変えずチューバ担当になった弦太もそれは同じである。


 天音は配られた楽譜の音を吹いている。

 天音のフルートの音は、伸び伸びとしており軽やかだった。

 美しく澄んだその音は、まるでここではないどこかに連れて行ってくれるような音である。

(やっぱり海藤くんのフルートの音……ずっと聴いていたくなる。何て言い表したら良いんだろう……? まるで天にも昇るような……いや、天の音って感じかな)

 理純は天音のフルートの音を聴きながら、ぼんやりとそう考えていた。


「あれ? 星野さん?」

 天音に呼ばれ、理純は肩をピクリと震わせた。

 どうやら天音は理純の姿に気が付いたようだ。

「そんな所でどうしたの?」

 天音は不思議そうに首を傾げている。

 穏やかで柔らかい声なのだが、その声は理純をドキドキさせた。

「いや、その……ちょっと休憩してて。ずっと座ってトランペット吹いてたら体が固まっちゃう感じがしてさ。ほら、私中学時代運動部だったから」

 声が上擦り、しどろもどろになってしまう理純である。

「そっか。そう言えば星野さん、中学時代バドミントン部だって言ってたね」

「覚えててくれたんだ」

 ほんの些細なことでも天音の中に自分の情報が残っていたことに、理純の胸は高鳴った。何だか頬が緩みニヤけてしまいそうになる。

「うん。それに、俺もフルート吹きっぱなしだと疲れて、ちょっとストレッチとか体動かしたくなる。長時間こうやってフルート構えてると肩凝るし」

 天音はフルートを構える姿勢をして柔らかく苦笑した。

「うんうん。だよね。特にフルート、吹く姿勢が何か他の楽器と違うよね」

「俺も少し休憩しようかな」

 天音はフルートを机の上に丁寧に置き、両腕を伸ばして軽く伸びをした。

「星野さんってさ、高校から吹奏楽部に入った初心者だよね? 確か希望通りトランペットパートで」

「うん」

「星野さんは何で吹奏楽部に入ろうって思ったの?」

「えっと、クラスで仲良くなった子達が中学から吹奏楽やってて、高校でも入部するみたいだから何となく興味を持って」


 理純の脳裏に寧音と鈴子の姿が浮かんだ。

 二人の影響で理純は吹奏楽部に入部したようなものである。


「ほら、寧音と鈴子……トロンボーンの桃江寧音とクラリネットの浜須賀鈴子、分かるかな?」

「ああ、何となく。あの背の高い子達だよね?」

「うん。私、その二人と同じクラスで仲良くなってさ。その子達の影響。でも、それだけじゃないかも」


 理純は部活紹介の時の五重奏を思い出した。

 その中でも、フルートの圧倒的、絶対王者の音に引き込まれたのだ。


「部活紹介の時、あのフルートの先輩の音が凄くて、それで一番吹奏楽部に興味持った」

「ああ、大月おおつき先輩の」

 天音はフルートパートなので、すぐにその先輩の名前が出て来た。

「あの先輩、大月先輩って言うんだ」

「うん。大月かなで先輩。何か去年のフルートの大きなコンクールで一位になったらしいよ」

「あ、それ鈴子から聞いた。鈴子のお兄さんも音宮の吹奏楽部でファゴットやってるから、色々情報もらえるみたいで。吹奏楽部の雰囲気とかも、鈴子から楽しそうだって聞いたし」

「へえ、あのクラリネットの子、やっぱり浜須賀先輩の妹だったんだ。浜須賀先輩も妹が吹奏楽部に入って来てるとは言ってたけど」

 天音は律と鈴子が兄妹関係にあることを知り、ほんの少しだけ驚いていた。

「海藤くんは鈴子のお兄さん……浜須賀先輩とよく話すんだ」

「まあ、吹奏楽部は男子少ないし、自然と男同士で集まるようになるから」

 天音はクスッと笑う。

「まあそうだよね。確か三年の男子の先輩が四人で二年が浜須賀先輩だけで、一年は海藤くんの他にもチューバの弦太と、後はえっと……」

 理純は吹奏楽部の新入部員の男子を思い出してみる。


 天音と弦太は確実に頭に浮かぶ。他にも一年生の男子部員がいたのは覚えているが、その二人以外はうろ覚えだ。


「パーカッションに一人、サックスに一人、トロンボーンに二人、コントラバスに一人いるよ。名前は俺もうろ覚えだけど」

「結構いたね」

「うん。先輩達曰く、俺達の代の人数はかなり多いから、相対的に男子の数も多くなったんだろうなって思う」

 理純は天音と二人でクスクスと笑っていた。

 理純は天音ともっと話したいと思った。

(海藤くんって、フルートの音だけじゃなくて声も柔らかくて穏やかで優しくて……心地良いんだよね。だから海藤くんともっと話したいって思うのかな?)

 理純はそう結論付けた。

 自分の中にあるときめきの正体には、まだ気付かない理純である。


「そうだ、海藤くんってどこ中出身?」

 理純はふと疑問に思ったので、天音にそう聞いてみた。

譜美ヶ台ふみがだい中」

「譜美ヶ台かあ。私と方面逆だね」

 何故なぜかほんの少しだけ残念に思ってしまう理純。

「逆方面? 星野さんの出身中は?」

「幸多中。方面逆でしょ」

「本当だね」

 天音はまた穏やかにクスッと笑った。

 その笑みに、ドキッとしてしまう理純である。

「海藤くんは……他に同じ中学出身の人いるの?」

 天音から目をそらし、窓の外に目を向ける理純。


 グラウンドで必死にサッカーボールを追いかけるサッカー部員の姿が見えた。

 遠くから威勢の良い掛け声が、まるで勢い良く蹴り上げられたサッカーボールのように飛び交う。そして、ピッピッと規則的なホイッスルの音も鳴っている。

 それが理純と天音のいる教室まで聞こえて来た。

 しかしそれだけではない。

 隣の校舎にある音楽室からは、微かにドラムやマリンバなど、パーカッションのテンポ良い音がする。

 そして恐らく上の階だろうか、ノリが良くおどけたようなトロンボーンの音がする。寧音が遊んでいるのだろうかとすら思う。

 耳を澄ませると、放課後の音宮高校には様々音が飛び交っていた。


「まあ、いるけど。吹奏楽部の中なら小日向こひなた先輩かな」

 天音の声が聞こえ、理純は表情が和らいだ。

「小日向先輩?」

「小日向ひびき先輩。三年で、クラリネット唯一の男子の」

「ああ、部活紹介の時にクラリネット吹いてたあの先輩かあ」

 理純は部活紹介の時のことを思い出した。


 煌びやかで優雅、そして圧倒的、絶対王者の音を奏でるフルートの奏。そんな奏を優しく柔らかな音で支えて引き立てていたクラリネットの響。

 理純は奏のフルートだけでなく、響のクラリネットにも圧巻されていたのだ。


「他にも、チューバの三年の先輩とか、テナーサックスの二年の先輩も譜美ヶ台中出身だし、吹奏楽部以外にも他のクラスに同中はいるかな」

「そっか」

 理純は天音のことを知ることが出来て、ほんのり口角が上がった。

「ところで星野さん、かなり話し込んじゃったけど、練習戻らなくて大丈夫? 先輩とか待たせてない?」

「あ! 忘れてた!」

 天音との会話は、時間を忘れる程のものであった。

 理純はかなり時間が経過していることに気付き、目を大きく見開く。

「早く戻らないとね。今度星野さんのトランペット聞かせてよ。俺、楽しみにしてるから」

 穏やかで落ち着いた声。柔らかな笑顔。

 理純はほんのり自分の体温が上がったような気がした。

「うん」

 少しだけ頬を赤く染めて頷く理純。

 理純はそのまま天音のいる教室を後にし、自分の練習場所に戻る。

 その途中、天音のフルートの音が聞こえて来た。

(やっぱり海藤くんのフルートの音、好きだなぁ……)

 理純は天音のフルートの音に耳を傾けながら、軽やかな足取りで先輩がいる教室に向かうのであった。

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