ド陰キャの俺を拾った陽キャギャル、実は超一途でした

赤いシャボン玉

第1話

 今日は、いつにも増して最悪だった。


 朝の電車では人身事故の影響で遅延、クラスではまた“あの陽キャグループ”の笑い声にビクつき、さらに帰りには夕立――。


「……やってらんねぇな」


 校舎の裏手。誰にも見られたくないときに、僕がいつも逃げる場所。

 生い茂る木々と雨音に紛れて、小さく呟いた声も虚しくかき消えていく。


 傘なんて持ってきてるわけがない。

 というか、天気予報で“晴れのち曇り”って言ってたじゃんか……。


 全身がずぶ濡れで、カバンの中身も心配になる。けれど、教室には戻りたくなかった。


 ――誰も、僕に気づかないでくれ。


 そう祈るようにして縮こまっていた僕の前に、唐突に声が降ってきた。


「なにやってんの、そんなとこで?」


 耳に馴染みのない、明るいトーン。

 顔を上げると、そこには見慣れた“ギャル”がいた。


「……橘、さん?」


「やっぱそーだ! 空翔そらとくんじゃん!」


 橘陽南たちばなひな

 クラスでもひときわ目立つ存在で、いつも誰かと笑ってる陽キャグループの中心人物。


 当然、僕とは住む世界が違う。

 だから、こうして名前を呼ばれたことに驚いた。


「……なんで僕の名前、知ってるの」


「えっ? そりゃ同じクラスだし?」


 あまりにも自然に言われて、返す言葉に詰まる。


 僕なんて、誰の記憶にも残らない存在なのに。

 彼女の言葉は、雨音以上に不思議な音を立てて、胸に落ちてきた。


「ねえ、ほらこれ。入ってて」


 橘さんが差し出したのは、自分の持っていた透明なビニ傘。


「いや……それ、君が濡れちゃうじゃん」


「いいの。空翔くんの方がずぶ濡れでかわいそうだし」


「かわいそう、て……」


 ギャルって、こんな優しかったっけ?

 あざといというか、媚び売るタイプかと思ってたけど……それとも、これはドッキリ?


 ――まさかクラスの連中が隠れて見てたりとか、そういうアレでは?


「……別に、放っといてくれてよかったのに」


「え~、それは無理だってば。空翔くん、すっごい“拾いたくなる雰囲気”出してたもん」


「拾う……?」


「うん。雨に濡れてじっとしてる子猫みたいな?」


「俺は猫じゃねぇよ」


 思わず口調が素になった。

 けれど橘さんは、くすくすと笑っただけだった。


「じゃ、明日からさ――お昼、一緒に食べよ?」


「……は?」


 この人、何を言ってるんだ。


「お昼、ひとりで食べてるでしょ? 空翔くん」


「なんで知ってるの……」


「見てた」


「……は?」


「……って、あ、ストーカーとかじゃないからね!? たまたま目に入って、そしたら、ちょっと気になっちゃって」


 また、くすっと笑う。


 どうしてだろう。

 あんなに騒がしくて、近寄りたくないと思ってたはずのギャルの笑顔が、今日は妙にまぶしかった。


「じゃ、明日ね。お昼、裏庭で!」


「ちょ――」


 僕の言葉を聞く前に、彼女は走り出した。

 その背中が、まるで光をまとっているように見えて、なんだか悔しいくらいだった。


 ……一緒に食べるって言ったけど、冗談だよな? 明日になったら、何もなかったみたいに笑って終わる。

 どうせ僕なんかに、本気で関わる人なんていない。ずっと、そうだったんだから。


 でも――


「……ほんと、変なギャルだな」


 初めて名前を呼ばれて。

 初めて、傘を差し出されて。


 心のどこかが、確かに少しだけ揺れた気がした。

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