第2話 黒猫とフラペチーノと

 一色善太と、ボク──星城ユノ。強い魂が内包する高い魔力はそのままに、けれど今は互いに人間のカラダで生きる身だ。優しい家族に恵まれていて、仕事もある。しかも若手トップ声優と居酒屋店員となれば、日々の接点はそう多くない。


 だけど今日もボクは気づけば、この男との邂逅を果たしていた。


「……何やってんの」

「む? ユノか」


 お店脇の細い路地に屈み込んでいる、黒Tシャツの青年。その向かいで一匹の猫が、魚のクズ身にがつがつと食らいついている。最近ますます強くなってきた表通りの日差しから逃れたくて、ボクも細い身体を路地に滑り込ませた。


「見ての通り、上顧客への対応をしておる。案ずるな、味付け前の魚だ」

「野良猫にエサあげちゃダメじゃん」

「エサではない。歴とした報酬よ」


 黒猫を見下ろしている善太の顔は相変わらずの無表情だったけれど、口調には謎の信頼が込められている。


「こやつは賢く、腕も確かである。この飲屋街に巣食うネズミ共を掃討する一味のかしらでな。訪れた場合にはどの店でも丁重に、『謝礼』を払うのが習わしなのだ」


 単にネズミ獲りが上手い猫ちゃんの話だよね?お前が言うと、どこかのマフィアとの抗争みたいに聞こえるんだけど。そうやって構えちゃうのはやっぱり、ボクがまだこいつを『魔王』として認識しているからなのかな。


「あ」


 そんなことをぼんやり思っていたボクの視界の中で、小さな黒い影が動く。上品に尻尾を揺らめかせ、黒猫が路地の奥へと去っていくところだった。なんだか映画のエンドロールでもはじまりそうな威厳があるなあ、さすがお頭。


 けれど黒猫は『謝礼』のすべてを受けとってはいないようだった。ボクは古くなった店のお皿の上に残った魚を見、首を傾げる。


「残すんだ。野良なのに珍しいね、お腹減ってなかったのかな──って、わぁ!?」

「ニャ゛ア゛アア」


 黒猫の気配が消えた途端、どこにいたのか路地のあちこちから猫が飛び出してきた。おでこをぶつけそうな勢いでお皿に群がった猫は、色も模様も違う四匹。血みどろの取り合いが勃発するのではと一歩引いたボクだったけれど、猫たちは小さな額を寄せ合って仲良く『謝礼』を分け合っていた。


「さきほどの頭の配下たちだ。こやつらもなかなかの手練てだれぞ」

「ふうん。孤高の一匹と四匹の部下なんて、なんだかお前たち──魔王と四天王みたいじゃん」


 おどけて言ってみせたボクに振り返らず、善太は静かに猫たちを見つめたまま答える。


「俺はそれほど、優れた王ではなかったよ」


 そういやこいつ、ボクと再会した時は自分のこと魔王ムーブで「我」なんて呼んでたけど、最近はこっちで使っている呼び方にシフトしたみたい。こうして見ると、本当に普通の人間だ。でもボクは妙にそのことが気に食わなくて、皮肉を投げてしまう。


「おい、野良猫に負けを認めるのか? 歴代魔王の中でも最も恐れられた、『闇と暴虐の支配者』のくせに」

「少なくとも俺は……配下に『分け前』を残したことはなかった」


 黒い髪の下、同じ色をした瞳がわずかに細くなる。目を離せば、その黒い背は路地の薄闇に溶けてしまいそうな気がした。


「十分な褒美を与え部下の士気を保つことは、上に立つ者の最たる役目。命を賭けてそう進言してきた者の首を、俺は何の迷いもなく刎ねたものだ」

「……だから今、せめてもの罪滅ぼしでネコにエサやってるっていうの? ふざけんな!」

「ユノ?」


 お腹の底から湧き上がってきた熱い衝動のまま、ボクは黒Tに覆われた善太の肩を掴む。振り向いてこちらを見上げた顔に残ったままの憂い、それを吹き飛ばすように自慢の声をぶつけた。


「ボクと──『勇者』と世界を割るほどの死闘を繰り広げた男が、そんな可愛らしい感傷になんか浸るな! 雨の中で野良猫に傘を差してやる不良がモテるっていうアレ狙いか!? さすがに似合わないんだよ、お前には!」

「落ち着け。何が言いたいのだ」

「だーっ、もぉ! つまり、キャラがブレてるって言ってんの!!」


 大きなリボンでひとまとめにしたストロベリーレッドの髪を荒ぶらせつつ、ボクは元魔王を睨みつけた。


「今のお前は、ただの居酒屋店員。高校を卒業したばっかりの新社会人だ。それだけで肩書きは十分だろ」

「……」

「余計なことを考えるヒマがあるならさっさとお店に戻って、夜の仕込みの手伝いでもしろ! お前がしょぼくれてちゃ、一緒に命を散らしたボクがバカみたいじゃないか。まったく……」


 やけにアツくなってる自分に気づいて、最後のほうはぼそぼそと声が小さくなってしまう。何が言いたかったんだっけ。というか、なんでボクがコイツのために貴重な午後オフのリソースを使わなきゃいけないんだ。ああ、なんか途端に恥ずかしくなって──


「……重要な肩書きをひとつ、忘れておるぞ」

「はあ? なんだ──よぉっ!?」


 ボクの手を肩から退かしつつ立ち上がった善太が、そのままズイと距離を詰めてくる。四天王のヤツらみたいな筋肉はないけど背が高くて、あっという間に見下ろされる形になった。


「たしかに今の俺は、ただの居酒屋店員。そして──」


 黒猫の艶やかな毛並みよりも深い、その夜色の瞳。

 強く握られているわけじゃないのに、ボクはその手を振り解けなかった。


「スーパーアイドル声優『星城ユノ』を、永劫推し続けることが使命の──強火のヲタクであるぞ」


 ただの十八歳には絶対にできないワルな微笑を浮かべたまま、ボクの白い手の甲にスマートな口づけをひとつ。少し涼しいはずの路地の中で、ボクの全身がカッと熱に包まれた。



「や、やっぱりお前ッ……大悪党じゃないかあああーーーーっっ!!」





「──ってコトとかもあってさ。アイツ、絶対ボクをからかってるよね!?」

「うーん」


 その数週間後。ボクの真剣な嘆きを受けとめてくれたのは、高校時代からの親友だ。


「大真面目なんじゃないかなあ、善太くん」

「どこが!? 飲屋街の路地でそんなカッコつけられたって、雰囲気ムードゼロじゃん!」

「ユノって結構、そういうとこ細かいよね」


 白い額のセンターから割って流れ落ちる、これぞ日本人の鑑といった綺麗な黒髪。耳の下から伸びる二房だけに、鮮やかな青のカラーが入っている。涼しげなストライプのシャツと細身のデニムから伸びた手足はスラッと長くて、小柄なボクには羨ましい。


 美人だしとびきり歌も上手いけど、どこから見ても一応は普通の女性。そんな彼女、『花月カノン』ちゃんは、なんやかんやあって──現『魔王』の看板を背負いし存在だ。


「だからボクが患ってるんじゃないってば!? ほんっとーになんやかんやあったの! 文字にして説明するなら一話丸々消費するくらいの、ヘヴィななんやかんやがあったんだよ!! くわしくは本編にて!」

「誰に向かって言ってるの、ユノ? なんかガルくんみたい」


 おかしそうに、でも慣れた様子で微笑む美女。あらぬ方角へ解説を投げていたボクは居住まいを正しつつ、ふと彼女の手にあるドリンクを見た。残暑にぴったりな季節のフラペチーノじゃなくて、ブラックのアイスコーヒーだ。


「あれ、珍しいねカノンちゃん。甘いもの好きなのに」

「う、うん……ちょっと最近、体重がね。ガルくんのお料理、美味しくて」

「なーるほどぉ? 料理やお菓子作りがプロ級のしごでき彼氏を持つと、大変ですなあ?」

「ふふ。ですなあ」


 ぐふぅ。こちらの皮肉に対してその返し、可愛すぎる。その口調でちょっとクセのある『彼氏』のことを思い出したのか、四角い氷をつんつんとストローでつつく親友の頬はほんのりと赤い。今じゃほとんど同棲ぐらいの勢いでお互いの家に通ってるって話なのに、いつまでも初々しさが抜けない二人だ。


「……」


 なんでだろう。ここでもうちょっとからかってやるのがボクの『キャラ』のはずなのに、不思議と今日はそんな気分になれない。それほど親友の瞳が愛に満ちていて、幸せそうにきらきら輝いていたからかな。


「ユノはすごいね。甘いもの食べても、ちゃんと体型をキープしてるし」

「あはっ、ありがと。でもボクだってこれでも最近は、ジム通いを増やしたんだよ」

「善太くん家のランチとか夜のごはん、食べに通ってるからでしょう?」

「そ、そうだけどっ! でもそれは『いっしき』の食べ物がぜんぶおいしすぎるからであって、別にアイツの顔を見に行ってるとかじゃ──!」

「あれ? 私、そんなこと言ったかなあ」

「っ!」


 少し太めの黒い眉を小粋な角度に持ち上げつつ、カノンちゃんがにやりと笑む。ああ、なんてことだろう。あれほど穢れなき精神を持っていた親友が、魔族どもの悪影響を受けつつあるだなんて。決してボクの自爆とかじゃない。

 

「とにかく、そんなに善太くんに対して構えることないんじゃないかな。ガルくんや他の四天王みんなとも、もうずいぶん仲良くなれたみたいだし」

「う……。それはわかってるんだけど……」

「やっぱりまだ元『勇者』としては、難しいの?」


 どうだろう。ボクは低脂肪クリームにカスタマイズしたフラペチーノを無意味にかき混ぜつつ考える。


「それもあるかもしれないけど……そもそもボクは、向こうの世界では男だったんだよ?」

「今はどうなの? 訊いてよければ、だけど」


 難しい質問だ。最近の世の中はそういう本人の意思や主張を尊重しようって流れになってるけど、たぶんボクの場合はちょっと違っていて。


「カノンちゃん。ボク……女の子に、見える?」

「それ以外の何者にも見えないよ。でもユノが男の人として振る舞いたいなら、私も配慮するし」

「そ、それってもしかして、こうやって一緒に買い物やカフェにも行かないってこと!?」


 ボクは思わず、椅子から半分腰を浮かした。だって彼女には恋人がいる。しかもとても逞しい、男の中のオトコって感じのヤツが。いや中身はどっちかというと、お母さん的なヤツなんだけど。


「そうは言わないけど……少なくとも、こうやって」

「むぐ」

「ケーキをシェアすることはなくなるかもしれないね」


 ボクの開きっぱなしの口に、NYチーズケーキが放り込まれる。カノンちゃんのフォークから受け渡されたそのスイーツを咀嚼して、ボクは細い喉を鳴らした。おいしい。


「……今の、間接キスって思った?」

「はぇ!? い、いや、そんなこと思うわけないじゃん!! おやつのシェアなんて、高校時代から何度もやってることだし──」

「でしょう。私もユノとこういうことするの、別になんとも思わないよ」

「!」

 

 ボクは数秒のあいだポカンとして、それから静かに着席した。たしかにこれがラブコメのワンシーンだったら、素敵な美女とおやつシェアをしてどぎまぎしちゃうところだ。


 同じフォークで引き続きケーキを切り分けながら、カノンちゃんが微笑む。


「もちろん、これだけでユノの認識を決めることはしなくていいと思う。でも前世がどうとか、だから今もこうじゃないといけないとかも、決めなくていいと思うんだ」

「カノンちゃん……」

「私も色々決めつけて、それで失敗しちゃったことがあるから──あっ!」


 ぱっと明るくなった顔で、彼女が誰を見つけたのかをボクはすぐに悟った。ほどなくして、どでかい書店の紙袋を抱えたどでかいマッチョが現れる。


「カノン殿、遅くなって申し訳ござらん! なかなかの激戦となりましてな」

「ううん、全然。欲しいもの、買えた?」


 二メートル近い金髪のマッチョだ、この国ではどうしても目立つ。近くの席のお客さんはぎょっとしつつその男──ガルシを見上げていたけれど、本人はユルみきった顔でアニメグッズが入った紙袋を抱きしめている。中身粉砕しないか、それ。


「おかげさまで初回限定版『らぶ♡ぎぶ-歴代魔法少女ぱーふぇくとだいじてん-』、入手完了でござる!」

「え、すごいじゃん。あれって完全限定生産で、当日配布の整理券ないと買えないんじゃなかったっけ」

「左様でござる、ユノ殿。なので拙者、朝の四時から待機しておりましたぞ」


 分厚い胸を叩いて誇らしげに言うアニヲタ──ちなみにこいつは魔族で、魔王軍四天王の一員だ──を見上げ、ボクはフラペチーノを掴んで椅子を引いた。ここから先はきっと、ボクのステージじゃない。


「話せてよかったよ、カノンちゃん。デート楽しんで」

「もう帰るの? 今日、夜はみんなで『いっしき』に集まろうって言ってて」

「ごめんね、ボクはパス。次のアニメの打ち合わせ入ってるから」


 そっかあと、ふたりの男女が揃って肩を落とした。挨拶のあと、ガルシはカノンちゃんの買い物袋を素早く抱えて出口へとエスコートしていく。ふん、魔族のわりになかなか『彼氏』も板についてきたじゃないか。


「……」


 さっきの『激闘』とやらを話しているのか、マッチョが興奮した様子でカノンちゃんに語りかけている。美女は一瞬目を丸くして、それから柔らかく笑った。ボクと話していた時には見せなかった、その表情は──。


「はーぁ、お熱いねえ。フラペチーノが溶けちゃいそうだよ」



 元勇者のわりに、ボクはそんなつまらないことしか言えないのだった。



***

近況ノート(キービジュアルつき):

https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16818792438099607208

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