第9話 邂逅

邂逅-1

『感じたか?』


 蛇がシャワーを浴びて一息ついたシアンに言った。 


 華帝国の東北に位置する燕との交渉が終わり、シアンと一三騎のD・E・M、そして使節団は燕と華帝国の属国の国境地帯にまで下がっていた。属国の軍事基地の一角に用意された滞在施設にいた時のことだ。


 シアンは左手の甲にある蛇珠だじゆに目をやり、頷いた。


「とても強い術者が術を使ったのはわかりました。咄嗟に跳ね返してしまいましたが……」


『跳ね返すのは良くなかったな。それだけで何かがあると相手に知らせてしまう。逆らわず、流せれば良かったのだが』


 蛇は最近、シアンの師匠のような物言いをするようになった。


「今の僕にその技術はありません」


『おいおい覚えればいい。相手は恐らく〝深淵の隠者〟だ』


「〝竜〟ですか……」


 シアンはいよいよだと覚悟を決める。〝竜〟に会うことがシアンの当面の目標だ。どうして星の海を渡ってきたのか、聞きたかった。


 蛇には蛇の理由がある。どちらが正しいのか知りたいと言う。しかしそれを決めるのは蛇であり、その結果がどうなるのかは気になるが、今のところシアンには関係がない。ただ会った先に人類の未来があることが感じられる。


「いろいろ用意します」


『そうだな。これからは単独行動だ。本当にいろいろ用意した方がいい』


「宮廷育ちの僕に単独行動ができるのでしょうか」


『そのような些末なことを私が知るはずがないだろう。別にお前が死んでいようと生きていようとこの先にあるものが変わるではないし、そう差があるものではないが、人の身は死ぬのはまだイヤなのだろう?』


 蛇は呆れたように笑った。


「人の身では訳が分からないことを言わないでください」


『では死なないよう全力を尽くすのだな』


 シアンは頷いた。


 強い術が来た方向は分かる。それは〝竜〟の縁者が乗っていると蛇が言う第三ファウンデーションの小型飛行機が向かっている方向とも一致している。


 一刻も早く向かいたいところだが、帝国の交渉団を率いる身であるだけに、シアンが1人で出立するには時間がかかった。帝の許可を取り、紅のD・E・Mがいなくなったが最後、他のD・E・Mもいなくなるのではないかと不安に怯える交渉団の文官を説得し、水や食料、野営道具を紅のD・E・Mに積み込み、交渉団から離れるまで二日を要してしまった。


 紅のD・E・Mを飛翔させ、シアンと蛇は西に向かう。人型のD・E・Mが濃い大気の中を飛翔するのは難しい。大気が薄い成層圏まで上れば速度が出るのだが、華帝国の技術では完全にコクピットが与圧できず、与圧服に頼る仕様だ。装備が重くなることを嫌い、今回は普通の飛行服を着てきたので、高度はあまり上げられず、速度も出ない。


 しかし急ぐこともない。時折、強い術が飛んでくる。術が飛んでくるということとはまだ〝竜〟が目標を見つけていないからだと思われた。目標はあの小型飛行機に違いない。最初は小型飛行機を追おうかともシアンは考えたが、すぐにその考えを改めた。術は強力だがその分、航路を追いやすかった。〝竜〟に会うことが目的だ。優先順位に迷うことはない。


 しかし電子機器をほとんど積んでいない紅のD・E・Mで旅をするのはなかなかに難儀だ。コンパスで方位を、六分儀で太陽と月と星を測定し、地図を見て現在位置を確認する必要がある。そうでなければ広大なユーラシア大陸で迷子になってしまうからだ。


 夜になると説明書を読みながらテントを張り、軍用のガソリンストーブで慣れない炊飯をし、テントの中で寝袋にくるまって眠る。それは面倒ではあるが、宮廷育ちのシアンにとってとても楽しいひと時だ。


 蛇は枕元でとぐろを巻いてシアンの側にいる。シアンは蛇に語りかける。


「とても楽しいよ。ありがとう」


『初めに言っただろう。〝竜〟と交わること以外、すべてお前の自由だと』


「なら、もっと蛇さんと旅をしたいな」


『それでは〝深淵の隠者〟と変わらない』


「きっといろんなことを知ることができます」


『それもまた自由だ』


 蛇はそれっきり黙ったのだった。




 夏蓮シアリェンが使用している小型飛行機の泣き所は太陽光充電システムに飛行に要するエネルギーを頼っているところである。小型飛行機の機体に塗布されているミクロレベルの太陽光発電ユニットは理論値で太陽光を電力に変換し、機体そのものも軽く、飛行にそれほどのエネルギーを必要としないが、曇りの天候には弱い。


 機械文明が崩壊する前であれば、この程度の小型飛行機はホビーで使われるレベルに分類されただろうが、今となっては第三ファウンデーションが有する最も使い勝手がいい航空機だ。必要な知識を維持していても、需要がなければそれが必要になる状況になるまで知識がカタチになることはない。


 夏蓮は昨日と同じように、エネルギーゲージで残量を見つつ、まだ明るいうちに野営に入った。翌朝は、天候不良だった。厚い雲を隔てて弱い太陽光で充電できているものの、満充電には遠い。しかしファウンデーションが華帝国の手に落ちてからでは、暗黒ダークエネルギー干渉装置を持ち帰っても手遅れだ。急がねばならない。


 夏蓮は一か八か、残りのエネルギーで厚い雲を抜けることを決めた。厚い雲の上には太陽光が降り注いでいる。風は西に吹いている。充電しながら距離を稼ぐことができそうだからだ。だが、この厚い雲の西側がどうなっているかは不明だ。力を使うこともできるが、強い術者には術を使ったことが分かってしまうし、体力が惜しい。ここには夏蓮が倒れて看病してくれる人はいない。二つの危険性を天秤に掛けた結果決めたのだった。


 夏蓮は午前中いっぱい天候が変わるのを待ったが、晴れ間は見えず、小型飛行機を離陸させた。なるべくエネルギーを使わないよう風を読みながら高度を上げ、厚い雲の中に入る。濃霧の中、計器飛行するが、次第に上も下も分からなくなってくる。ただ計器を見つめて、左右が水平であり、機首が上を向いていることを確認して、自分の判断が正しいことを祈るばかりだ。


 不安なことばかりの旅だが、一つだけ心強く思えることがあった。それは時折、何もしていないのに〝竜〟の映像ビジョンが脳裏に浮かぶことだった。鋼の身体を持つ竜が、東に向かっているのが分かった。強い術者が術を使っていることは間違いない。〝竜〟の目的が何かは分からない。だが東に向かっているのは、地球に降りてくる時と同じように、D・E・Mとの対決を意図している可能性がある。それは地球の人類にとって心強い援軍となるであろう。


 夏蓮は〝竜〟との遭遇を心待ちにする。そして〝竜〟によって救いがもたらされることを祈り続ける。その祈りに何の意味があろうかと疑問を覚えることはない。ただ祈っていたい。そうでなければこの重要な任務の中、責任感で押しつぶされそうになる。


 計器飛行を一時間ほど続けた頃だろうか、雲が薄くなり、やや視界がひらけてきた。雲を抜けるのだと思ったが、同時に機体にカンカンと何かが当たり始めた。大きな雹だとわかり、夏蓮は焦る。雹があるということは地上では雨が降っているということだ。


 不幸中の幸い、雹はすぐにやみ、小型飛行機は雲を突き抜ける。機外の酸素は薄く、気温もマイナス数十度の世界だが、小型飛行機のコクピットは与圧されている。快適な気温の中、風防の向こうに青い空と輝く太陽を見つける。


「ああ……」


 温かく感じる陽光は夏蓮に自分が生きていることを実感させる。


 しかし正面の風防越しに見えた巨大な黒い渦に夏蓮は絶望した。黒い渦はこの地域では珍しい巨大な嵐だったのだ。機械文明が崩壊して気象が安定するようになっても、まだ三世紀しか経っていない。時折地球上ではこのような巨大な災厄が生じることがある。ぱっと見ただけでは大きさが理解できない。しかし夏蓮が駆る小型飛行機がこの嵐から逃れられないことだけはすぐにわかった。


 風は渦の中心に向かって吹いている。エネルギーゲージを見る。残量はほとんどない。この猛烈な風に抗って針路を変えるのは現実的ではなかった。


 できる限り風に抗わないように高度を維持し、充電し、嵐をやり過ごすほかないように夏蓮には思われた。太陽光を受けて充電しつつ高度を維持するためには風に乗るしかない。風に乗ると当たり前だが渦の中心に向かって行く。


 そしてついにバランスが崩れるときが来た。渦の中心まで一〇〇キロを切った頃、暴風圏に入ってしまったのだ。激しい風で小型飛行機は高度を維持できず、再び雲の中に突入する。これまで飛行してきたような穏やかな雲中ではない。雹が激しく降り、小型飛行機の機体表面を激しく叩く。これでは太陽光発電ユニットは無事では済まないだろうと考えていたら、今度は激しい横風にあおられて水平を維持できなくなり、機体が反転した。夏蓮は操縦桿を手に立て直そうとするが、すぐにきりもみ状態に入り、大Gが身体全体にかかり始めた。操縦どころか夏蓮は意識を保つことすら難しくなる。


(……ここまでか……)


 今、自分が諦めたら第三ファウンデーションは間違いなく華帝国の手に落ちる。その先に平和な世界統一が待っているのならばいいが、実際には月世界をも巻き込んだ戦乱が巻き起こるに違いない。その後に待っているのは長い長い停滞の時代だ。人類は二度と文明を築くことはできないかもしれない。


(諦めない! 〝竜神〟よ。我に力を!)


 夏蓮は両手で操縦桿を握り、小型飛行機を引き起こそうと必死に力を振り絞ったのだった。

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