エッジワース・カイパーベルト-2
ルースは謎の航宙艦を曳航し、イクシオンⅢに帰投した。
イクシオンⅢは一般的なドーナツ形状の密閉型コロニー一基でスタートしたが、数世紀に渡る増設に次ぐ増設で、現在は螺旋形状をしている。異様な形であるが、ルースにとってはそれが自然な世界の形だし、掛け替えのない故郷だ。
作業艇はコロニー先端部の宇宙港に入り、コウの船と共にランディングした。
船から出てきた彼はまるで何ヶ月も船内で過ごしてきたかのような有様で、身体は垢まみれ、髪の毛も髭も伸び放題だった。コウは剣を捧げ、ひざまづき、出迎えたイクシオンの上層部に深い感謝の意を伝えた。
彼の説明によると、彼の乗ってきた航宙艦は二重ブラックホール間に生じた重力カタパルトで光速の九九パーセントまで加速し、半年の船内時間を経て、太陽系に到達した、ということだった。地球に行くためにはこれから更なる減速の必要があったが、高G減速をするにしても水と食料は既に尽きていた。彼は補給を済ませたら、すぐにでも地球へ向かいたい、と望んだ。
しかし司令部は、何はともあれ身体を休めるよう勧めた。たとえ彼の言葉が嘘だったとしても、彼の航宙艦は最低でも惑星間を航行する性能を持っているのである。イクシオンⅢにとっては極めて貴重なものとなる。コウの来訪はイクシオンⅢの最高機密事項となり、ルースは旧軍事宇宙港内施設への軟禁を余儀なくされた。
宇宙港の中では安全面から気密服の着用が義務づけられている。作業からようやく帰ってきたのに、不自由で窮屈な生活を継続して強いられる。それでもルースはゆっくり考える時間がある、と前向きに考えることができた。
彼にとってコウとの出会いは晴天の
だが、人類は太陽系の外で生き延びていた。それは好む好まざるに拘わらず、イクシオンⅢに選択の時が訪れたことを意味する。イクシオンⅢからは恒星間航行ほど高度な科学技術は失われていたし、閉鎖的社会を数世紀維持せざるを得なかった背景がある。コウの来訪が一般の住民に知れ渡れば、イクシオンⅢの社会形態が崩壊しかねない一大センセーションを巻き起こすだろう。
しかし今のルースはある考えに囚われていた。それはかつての人類の若者にとってはごく自然な考えだったかもしれないが、コロニーに暮らす人間にとっては余計な考えだ。彼はコウのことを少しでもいいから知りたく思ったのだ。それはコロニーの利益とは全く関係の無い、彼自身の感情だ。コウのこと、他の惑星のこと、そして彼が行こうとしている地球のことを知りたく思った。だが軟禁されている彼にはその機会がなかった。それでも彼との邂逅から一週間後、不意にその時が訪れた。
監視付きの隔離部屋で再会したコウは、髪を切り、髭を剃り、全くの別人のように見えた。歳もルースとそう変わらないだろう。まだ十代だと思われた。コウは静かに手を差し出し、握手を求めた。彼は恐る恐るその手を握り、その温かさに驚きを覚えた。外宇宙から来たといっても同じ人間だと分かった。その手の温かさからは、ルースが知らない、彼が育った緑の大地を感じられた。
「ありがとう。ずっと君に礼を言いたかった」
コウは微笑んだ。
「どうしてだい?」
「だって、助けてくれたじゃないか」
「私はイクシオンⅢからの命令に従っただけだ」
「だけど歓迎してくれたのは君だけだ」
コウは皮肉な笑みを浮かべた。
「事情は分かっているようだね」
ルースは彼の表情を窺った。
監禁されているのに、この余裕はどこから生まれてくるのだろうか。
「僕はこのコロニーにこれ以上迷惑をかけるつもりはない。水も酸素も食料もこの孤立した世界に余分は一切無いはずだ。確かに僕はそのどれも持ち合わせていない。しかし代償は支払える。
「ドラグ・スチル?」
「君達はただの宇宙船だと思っているようだけどね」
「しかしもしそれが本当なら君は正直過ぎるな。そのドラグ・スチルとやらがそのエネルギーを生み出すのだとすれば、それを手に入れて解析すれば、数世紀どころじゃないエネルギーが手に入る。そういうことじゃないのか?」
「無理さ。彼は彼の意志を貫く。だから僕と運命を共にして星々の海を渡るんだ」
「彼?」
「そう。彼は宇宙船じゃない。自らの意志を持った、人類にとっては〝上位の存在〟だ」
外宇宙人のいうことをルースは理解できないが、気を取り直して訊く。
「君はどこから来たんだい?」
「〝
コウは静かに語り始めた。
寝転ぶと視界の全てを覆う青い空。
回転しなくても重力が得られ、天に向こう側の街などない。
空には雲がかかり、雨が降り、川となって海に注ぐ。
春には緑が芽吹き、夏には陽が燦々と輝く。
秋には大地に小麦が実り、冬には白い雪が静かに降り積もる。
平穏と自然の営みに充ち満ちた星。
その全てがルースにとっては想像の範疇を越えた世界の光景だ。
「……行ってみたい。その星に」
「……それはとても難しい。だけど君も地球には行けるはずだ」
「地球? 地球は滅んだんじゃないのか? 君は今、地球がどうなっているのか知っているのか?」
コウは頷いた。
「今、地球は文明が崩壊した代わりに、自然が息を吹き返した美しい星に戻っている」
「そうか……だから君は地球に行くんだね」
コウは首を横に振った。
「いいや。助けを求めている人がいるんだ。信じては貰えないだろうけど、僕にはその声が聞こえるんだ。だから、行く」
真摯な言葉がルースを貫いた。彼はその為だけに星々の海を渡ってきたのだろう。
(彼を地球に行かせてあげたい)
そんな強い感情がルースの中に芽生えた。小さな太陽しか見たことがない、太陽系の最辺境部で凍えながら生き延びているイクシオンⅢの住人達は、人類の故郷・地球に戻りたい、一目間近に見てみたいという気持ちを大なり小なり持っている。彼にとって地球に行くことが夢幻であったとしても、人類を育んだ太陽と共に、たとえ小さくても目の当たりにすることはできる。だからその気持ちは消えようがない。しかもコウは彼にとって宇宙に輝く無数の恒星の一つでしかない太陽を目指して長い旅をしてきた。彼はその苦難の旅すら、助けを求めている誰かのためだと答えた。それは自分の想像を遥かに超えた強い心がなければ成しようのないことだ。己のためではなく、他人のために星々の海を渡ってきた。それは小さなコロニーの中で己を殺しても、互いを支え合って生き延びたイクシオンⅢの住民の心を熱くさせた。彼も自分達と同じ人間なのだ。互いに助け合うために、生きているのだ、と。だが。
「コウ。私はイクシオンⅢの人間だ。長と司令部の命令は絶対を意味する。そうやって私達は数世紀を生き延びてきたんだ」
「ああ。分かっている」
「私には君の気持ちが分からない。だけど、少しは分かる気がするんだ」
ルースは宇宙服から弁当箱大の緊急パックを取り出し、コウに手渡した。
「受け取って欲しい。私があげられるのは、これだけしかないけど」
コウは悲しそうに唇の端を上げて、笑った。
「ありがとう。僕を助けてくれた、太陽系の友達。この気持ちだけで充分だ」
コウは緊急パックを抱きかかえると、瞼を閉じた。
ルースは力になれないのが申し訳なくて項垂れた。囚われの彼に緊急パックを渡して何になるとも考えたが、何もせずにはいられなかった。それは彼ができる精いっぱいのことだった。この部屋が監視されている以上、それだけでも厳罰が下されるに違いない。それでも、ルースは彼の気持ちを思うと、せずにはいられなかった。
しばらく項垂れたままでいたが、遠くに異様な破壊音が生じていることに気づき、ルースは頭を上げた。こんな音を聞くのは初めてのことだ。それが何か考える間もなく、見る見るうちに隔離部屋の壁が轟音をたてて崩れ落ちた。そして異邦人が乗っていた航宙艦の先端――鋼のドラゴンの頭部が現れた。
『コウ……行こう。地球へ』
鋼のドラゴンの声がルースの頭の中に響き渡る。
「ああ、いざゆかん! 彼女のもとへ!」
鋼のドラゴンの腹部が開き、コウは操縦席に乗り込んだ。ルースがエマージェンシーのヘルメットを被り、隔離部屋から急いで待避すると、咆吼が宇宙港の隔壁を破り、鋼のドラゴンがその巨大な翼を羽ばたかせてイクシオンⅢから飛び立った。
ルースは宇宙港へと駆け出し、コウと鋼のドラゴンの姿を追った。破られた隔壁まで辿り着くと、大勢の人間が外の様子を窺っていた。隔壁の向こう側に目を向けると、そこには見慣れた漆黒の宇宙がある。その一角に小さく消えていく鋼のドラゴンの姿があった。そしてドラゴンの向こうに、途方もなく鮮烈な輝きが生じ、ルースは目を背けた。
それがイクシオンⅢを救う光となることを彼が知ったのは、もう少し後のことだった。
イクシオンⅢの監視衛星が捉えた映像によれば、鋼のドラゴンは船首から閃光を放ち、E八九八七彗星を砲撃した後、地球への軌道を取り、消息を絶った。彗星は鋼のドラゴンが放った光を纏い続け、イクシオンの衛星軌道に乗り、イクシオンに昼と夜を作り出した。それはイクシオンⅢに途方もないエネルギーが供給されることを意味していた。
この二つ目の太陽の出現によって、イクシオンⅢは数百年間凍結されていた計画の再開を決めた。それは最後に残った外惑星航宙艦を修理し、地球探索を行う計画だった。ルースはその探索隊に志願し、ほどなく司令部に承認された。成り行きとはいえ、第二の太陽を生じさせた功績を評価されてのことであった。外惑星航宙艦の修理には数年を要する計画だが、彼は信じる。
コウが地球にたどり着き、愛する人を無事に助けたことを。
そして己が、彼と地球で再会できることも。
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