第二章

第27話 新生活

 ヤコブ・ヘルトル男爵子息。そんな人間に心当たりはなかった。ゲーム内でのアレクサンドの側近候補に、そんな人間は存在しない。


「絶対おかしいのよ……!」


「何が?」


 帰りの馬車の中、頭を抱える私を見てシヴァは首を傾げながら尋ねてきた。ゲームがとか、前世とか、そんな話を言えるわけもなく私は口を閉ざす。そんな私の頬に、シヴァは触れてきた。


「いたたたたっ!」


 遠慮なく頬を引っ張られ、私は声を上げてしまう。そんな様子を見てシヴァは噴き出した。


「似合いもしない難しい顔してるから」


「私は難しいこと考えてないって言うの……?」


「考えてるのか?」


「そんな頭は無いです」


 引っ張られた頬を押えながら返事をすると、シヴァはなんだか満足そうだ。


「慣れないことはするな。困ってるならどうにかしてやるから……で、何があったんだ?」


 これは、ちゃんと答えるまで離してはくれないだろう。諦めて私はため息をついた。なんだか悩んでいたのが馬鹿らしくなってくる。


「ヤコブっていう男爵子息。彼については私、全然知らなかったから。急に紹介されて本当に驚いたのよ」


「成績優秀者ってことで、今回選ばれただけなんじゃないのか?」


「それなら二年生の成績優秀者だって、側近候補じゃないとおかしいじゃない。なんでわざわざ一年生から選ぶのよ」


「……まあ、確かに」


 私の訴えに、シヴァは頷く。少し考えて、彼はメモを取り出した。さらさらと何かを書き込んでいく。


「調べといてやるよ。ルネさんにも聞けば、情報をもらえるかもしれないし」


「本当? ありがとう!」


 本当に、シヴァは親切だし有能だ。私のためにと、積極的に動いてくれる。最近は表情も柔らかくなったし、本当に大好き!

 気が緩んだことで、私はぐっと伸びをするとポケットからお菓子を取り出した。ハンカチに包まれたクッキーは、バルバラが小腹が空いた時用に準備してくれていたものだ。一つ口に入れると、シヴァの口にも一つ放り込む。少し驚きながらも咀嚼するシヴァを見ながら、私は微笑んでいた。






***






「おはようございます。モンリーズ令嬢」


 早速翌日、ヤコブは私の後ろの席に着くと挨拶をしてきた。ちゃんと王妃教育を受けていたせいか、私も彼と同じ成績優秀者のクラスに入れていたのだ。

 学園のクラスは三クラス。成績順で振り分けられている。そこに身分差はないようにとの学園の意向だが、本当はどうだか分からない。

 席は決まっていないので、好きな場所に座る。さすがに次期国王の婚約者の公爵令嬢の近くの席を使うのは憚られるのか、私は一人を満喫中だった。そこにやって来たのが彼だった。


「おはようございます」


 笑顔で返事をすると、彼は柔和な笑みを浮かべたまま荷物を整理し始めた。周囲は格下の男爵子息が公爵令嬢と話しているので不思議そうにしている。私だって、理由はよく分からない。


「何故、私があなたに気軽に話しかけるのか疑問ですか?」


 考え込んでいると声を掛けられ、私はついびくっと反応してしまう。慌てて振り返ると、面白そうにヤコブは笑っていた。


「アレクサンド殿下の婚約者ですから。側近になるのでしたら、把握しておかないとと思っているだけですよ」


 その言葉に少し納得してしまって、ほっと息を吐く。彼はそんな私を真っすぐ見つめていた。


「……あなたは、随分と正直な方のようですね」


「え?」


「思っていることが顔に出やすい」


 淑女教育でたしなめられてきたので、ポーカーフェイスが出来ないわけではない。しかし、ずっとやるのは疲れるのだ。公式な場以外は、ポーカーフェイスでいられないことを許して欲しい。


「……もっとポーカーフェイスがお上手だと思っていましたが、違うようです」


 なんんだろう。ヤコブは、何が言いたいのか分からない。含みのある言葉に、何と返そうか言いよどんでいる内に教師がやってきて挨拶が始まる。慌てて私は彼から視線を逸らし、前を向いた。




 自己紹介の時間がもうけられるが、成績優秀者のクラスはさすが頭の良さそうな、大人しい子が多い。そんな中、目を引いたのはイザベラだ。彼女はこのクラスの中で私の次に爵位の高い侯爵家の出だ。他とは少し違う凛とした雰囲気を持つ彼女は、よく通る声で話し始めた。


「ナンニー二侯爵家のイザベラ・ナンニー二です。立場は気にせず、皆様話しかけて下さると嬉しいですわ。最近、隣国から新しい宝石が入りましたので、気になった方がいましたらぜひお話しください」


 そう言いながら金髪のポニーテールを揺らす。服装は学園の制服だが、髪飾りも耳飾りも付けていて、お金持ちオーラ全開だ。ゲーム内でも似たような光景を見た気がして感動していた。そんな間にも自己紹介は進み、私の番になる。教師に名前を呼ばれて、私は慌てて立ち上がり姿勢を正す。


「リリアンナ・モンリーズです。どうぞよろしく」


 色々考えすぎて、自己紹介で何を言うのか考えていなかったせいで、特になんの面白味もない、無難な自己紹介になってしまった。それでもしっかり周囲の視線が向いているのは、第一王子の婚約者だからなのか、公爵令嬢だからなのか、はたまたリリアンナの美貌なのか分からない。


「レオナルド・リヒハイムだ。皆、よろしくな!」


 最後に自己紹介をしたのは、一番後ろの席にいたレオナルドだった。視線を向けると目が合い、ウインクされる。軽薄な雰囲気はあるが、今の彼ならば落ち着いた学園生活が送れるだろう。

 一通りの自己紹介が終わって、早速授業に入った。レベルが高い授業は、次期王妃教育のためかすんなりついて行ける。王妃教育もしていないのに、これについて行けてそうな周囲に感心してしまう。




 授業が終わると、私はうんと伸びをした。この後はお昼休憩の時間。シヴァを待たせているし、すぐに教室を出ないとと準備をしていると後ろから声がかけられた。


「すぐに行くんですか?」


 真後ろの席にいたヤコブだ。


「え、ええ……」


「もしよろしければ、昼食をご一緒しても?」


「あ、姉上! 俺も行く」


 レオナルドも近寄ってきて声を掛けてくる。王族に最優秀成績者を連れて行くなんて、周囲の目が気になってしまうがそもそもリリアンナの立場上、付き合える相手は彼らくらいだろう。元平凡な女子高生だった私には荷が重いが、ため息をつくと了承した。

 教室を出て、食堂までの通り道にある庭園前でシヴァと合流する。私の後ろにつく二人を見て、シヴァは目を見開いたがすぐに丁寧にお辞儀をした。そういえば、レオナルドもヤコブも従者を連れていない。


「貴方達、従者は?」


「恥ずかしながら、私は従者を学園に連れて来られる余裕がありませんので……」


 確かに、身分や経済力的に難しいのだろう。困ったように笑うヤコブの様子を見て、それ以上追及はしなかった。レオナルドに視線を向けると、彼はあっけらかんと言う。


「学園中に従者がいるし、常に影に護衛が付いてるからな。わざわざ近くに呼んだりしないですよ」


 ヤコブとは全く逆の理由に、王の凄さを感じる。私が呆れてため息をつくと、レオナルドが明るい笑顔を向けてきた。


「そうだ。せっかくなので、王族専用の食堂で昼食を摂りませんか?」


「え? そんな場所があるの?」


 思わず問い返してしまった。そういえば、ゲームで攻略キャラとの親密度が上がれば招待されていたような気がする。やっぱり、一般生徒とは完全に隔絶された場所があるようだ。


「はい。兄上から聞いたんです。兄上達にも会えるかもしれませんよ」


 レオナルドは、私とヤコブを交互に見る。ヤコブは一年生最優秀成績者とはいえ、王子であるレオナルドや公爵令嬢である私の隣にいるのは、身分を考えれば異例だ。普段はそんな格式高い場所に行くこともないだろう。


「私はいいけど、ヤコブはそれで大丈夫?」


 私の言葉に、ヤコブはすぐに柔和な笑顔を浮かべ、深々と頭を下げた。


「大丈夫です。アレクサンド様との挨拶もしたいですし、ぜひご一緒させて下さい」


 ヤコブの許可も得て安心した私は、シヴァも連れてレオナルドの言う王族専用食堂へ向かった。




 辿り着いた王族専用食堂は、まさに別世界だった。重厚なオーク材の扉が開くと、外のざわめきは完全に遮断される。高い天井には豪奢なシャンデリアが輝き、壁には歴代王族の勇壮なタペストリーが飾られている。磨き上げられた石造りの床は、窓から差し込む午前の光を反射し、室内全体に格調高い静けさを漂わせていた。

 すでに食堂の中央、窓際の大きなテーブルには、アレクサンドと、ステファン、そしてロミーナが席についていた。私達に気付いたのか、アレクサンドの黄金色を纏った瞳が私を射抜く。


「やあ、リリアンナ嬢。それに、レオナルドとヤコブも」


 彼は私たちを歓迎するように微笑んでくれた。レオナルドは嬉しそうにアレクサンドへ駆け寄る。


「兄上! 言われた通り、姉上を連れてきましたよ」


「こういう場所があると紹介しただけで、連れてこいと言った覚えはないんだけどな」


 アレクサンドは困ったような笑みをレオナルドに返す。テーブルにはまだカップが用意されているだけなので、食事はこれから運ばれてくるらしい。タイミングが良かった。


「リリアンナ様、隣にどうゾ」


 ロミーナが私のために隣の椅子を引いてくれた。相変わらず、彼女の言葉は片言だ。しかし、アプリコットのまん丸な瞳を瞬かせて私に笑みを向けてくる姿は素直に可愛らしい。微笑み返して、私は彼女の隣に腰を下ろした。

 席順は、窓際の下座からロミーナ、私。端の上座にアレクサンド。廊下側には上座からレオナルドとステファンが座り、ヤコブは控えめに、テーブルの末席に静かに座った。

 給仕のため、すぐにシヴァが私の背後に控える。紫がかった黒いメイド服が、周りの華やかな色合いの中で際立っていた。高位貴族ばかりの上、重厚な雰囲気で少し緊張していたが、後ろにいる彼が、私をそっと支えてくれているように感じて嬉しい。


 テーブルの上には、銀の食器が整然と並べられ、宝石のように色鮮やかな料理が運ばれてきた。王族と高位貴族のみが集うこの場所の空気は、特殊な緊張感を纏っていたが、アレクサンド達が親しい雰囲気にしてくれているのは感じ取れた。

 給仕によって運ばれたレモンバームティーが、湯気を立てて私を温める。テーブルの上には鮮やかな彩りの料理が並び、王族専用食堂は、親愛と活気に満ちていた。


「授業はどうだった? ついていけたかな」


 アレクサンドが、柔らかな笑顔で私に問いかけた。彼の周囲からは、私に対する純粋な歓迎の空気が伝わってくる。


「王妃教育のおかげで何とか。あのレベルについて行ける皆さんを尊敬しますわ」


 私が謙遜を込めて答えると、ステファンが自信に満ちた口調で言葉を継いだ。


「各家の元々の教育レベルが高い上に、本人の能力も高いですから当然です」


 淡々としているが、公爵子息である彼にとっては当然なのだろう。確かに、彼はゲーム内でも影で実直に努力する人だった。こんなコメントにも納得だ。ステファンの言葉に、ロミーナも静かに頷く。会話の邪魔をしないように振舞う様子は、さすが淑女。私も見習わないといけない。


「うん、そうだね。やはりそれくらいでないと、上に立つ者としては心配だ」


 アレクサンドは満足そうに言ってくれる。それに対して、レオナルドは困ったように笑いながら言った。


「残念ながら、オレの場合はギリギリです。教育も満足でなかったのに、ちゃんとついてこられるヤコブの方が凄いですよ」


 急に話を振られたヤコブが、目を見開いて驚いた様子を見せる。


「えっ」


 みんなの視線を集めたことで動揺するも、彼はすぐに姿勢を正し、普段通りの柔らかな笑みを浮かべ直した。


「いえ、私なんて全然……本来であれば、ここにだって来られないような立場ですから」


 ヤコブの謙虚さを好ましく思ったのだろう。アレクサンドは静かに頷く。


「いや、能力がある人物は重用したいのが私の考えだ。1人での使用は難しいだろうが、ぜひリリアンナやレオナルドと一緒に、またここに来てくれ」


「分かりました。ぜひ」


 ヤコブの表情はさらに和らぎ、テーブル全体が穏やかで和やかな雰囲気に包まれた。窓から差し込む光が、その和やかな空気を祝福するようにきらめいている。その時、レオナルドは、悪戯を思いついたような顔で私に話しかけてきた。


「姉上、ここは王宮のコック見習いが作っているんですよ。今の内に言っておけば、将来姉上好みの料理が食べられますよ」


「そんな職権乱用みたいなことはしないわよ」


 超一流の王宮のコックが、私好みの味付けの料理を作ってくれる。それは魅力的だが、誘惑を払うようにして私は答えた。レオナルドは頬を膨らませて子供っぽい拗ねた様子を見せる。

 未来を素直に語る彼の様子が、今の私には少し心苦しい。アレクサンドと婚約解消したら、彼は私にどんな態度を取るようになるんだろう。そんな考えを振り払うようにして、私は白身魚のソテーにフォークを突き刺した。

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