第22話 婚約解消に向けて
はっきり好意を自覚したのは、いつだろうか。
「私についてきてくれる?」
そう、婚約者と会ってきた晩にオレにそう言った時だったか。あの時はどことなく、リリーと離れずに一緒にいられる未来を想像して嬉しくなった。はっきりオレを好きだという言葉が嬉しかった。確かに、あの時からオレはリリーが好きだった。
じゃあ、この気持ちが恋愛感情から来るものだと分かったのは? 本気で彼女を、愛おしいと思ったのは?
「シヴァ……」
きっと、涙に濡れながらオレの顔をハンカチで拭っていた時だ。
トラウマとも言える人間を目にして、完全にオレは恐怖で身動きできなくなっていた。吐きそうで気持ち悪くて、前だってよく見えていない。それでも感じたのは、何度もオレを呼ぶ声だ。リリーが心配して触れてくる、温かい体温だ。
「シヴァ、大丈夫? もうすぐ家に着くわ。もう大丈夫よ」
オレは、何度彼女に救われるんだろう。これから何度、彼女に惚れるんだろう。
心配して、寄り添ってくれる。何があっても傍にいようとしてくれる、安心感。それを感じた時、確かにオレはリリーを愛おしいと感じていた。
それに気付いてから、婚約者の存在がうっとおしく思えた。オレではなく、リリーの傍にいて、いずれ結婚するであろう相手。リリーがいくら嫌がったって、抗いようもない相手。いつも傍にいるはずなのに、結局彼女と結ばれるのは、オレじゃなくあいつだなんて。
でも、ただの従者でしかないオレに何ができる? 傍にいて守り支えることしか、オレにはできないじゃないか。それなら、最善を尽くそう。昔のように、危険になんて晒させない。もう二度と、恐怖で泣く彼女の姿なんて見たくないから。
「今度は、守れたな」
婚約者なんかじゃない。何があっても、リリーを守るのはオレ自身なんだ。
***
男が取り押さえられ、連行されるとアレクサンドは真っ先に私達へと駆け寄って謝ってくれた。
「本当に申し訳ない。油断したよ。無事でよかった」
「ええ、そうですね」
アレクサンドに対して、シヴァの声は冷たい。彼は私の肩を抱いたまま、アレクサンドを冷たく睨みつけていた。
「護衛の距離が遠すぎました。いくら人数が多くても、これでは意味がありません。お嬢様に何かあれば、どうするつもりだったのですか?」
シヴァの言葉に、アレクサンドは顔を青くする。起こってしまったことに対して、彼は謝ることしかできないだろう。王族では考えられないほど、深々と頭を下げて再度謝罪の言葉を口にした。背後にいた護衛の人も、シヴァの剣幕に頭を下げる。
「あの……もういいわよ。シヴァ。皆が困ってるわ」
「しかし!」
怒りが収まらない彼をどうしたらいいのか分からない。とりあえず視線を逸らさなければと、そっとシヴァの頬に触れる。すぐに彼は気付いて、私へ視線を向けた。
「シヴァが傍にいたから、大丈夫だったもの。ちゃんと私を守ってくれた。だから、私はもういいのよ。シヴァが傍にいてくれるから、大丈夫なの」
必死に笑顔を作って言うと、シヴァの剣幕が収まって来る。これで機嫌が直ったかな?
「ありがとう、シヴァ。心配してくれたのよね? さすが私の護衛だわ」
周囲に見せつけるように笑うと、私達の状況を不思議そうに見ていた護衛の人達も納得したようだ。そりゃ、一介のメイドがあんな剣幕で怒った上、魔法で敵を追い払うなんて変だものね。
私の言動に気付いたのか、シヴァは慌てて私から離れるとアレクサンドに深く礼をした。
「申し訳ありません。心配のあまり……」
「今回はこちらが悪い。気にしないでくれ」
アレクサンドの言葉に、シヴァは顔を上げた。その頃にはいつも通りのクールな表情に戻っている。シヴァが人前で感情的になるのは珍しい。私やお父様と一緒だと、そういうこともあるのだけれど。それだけ、今回の件がショックだったみたいだ。
アレクサンドの指示を受けて、護衛は以前より近い場所に控えた。進行方向の確認もしてくれるらしい。気を取り直して、私達は歩みを進めた。
「これは、ただの助言だけどね」
歩きながら、何気ないようにアレクサンドは口を開く。
「あの青い炎の使用は控えた方がいい」
「え?」
急な発言に、私は声を上げてしまった。敵は攻撃して味方には何もしない炎。あんなに凄い魔法、護衛の時に使ったら絶対便利なのに! 理解ができず眉をひそめても、アレクサンドはそれ以上説明してはくれなかった。
「それと、声も……そろそろ変わる頃だろう?」
喉元に指をあてて、ちらりとシヴァを見る。もしかして、男だって気付いてる? それでも何も言ってこないのは、彼の恩情という物か。
アレクサンドの視線を受けて、シヴァは静かに彼を睨み返した。しかし、言われているのはもっともなので、少し間を置いて頷く。そんな彼の様子に、面白そうにアレクサンドはくすくすと笑った。
「……アンナは、随分と面白い従者を連れているんだね?」
「面白いんじゃなくてカッコいいんです!」
ムキになって返事をした私に、更に面白そうにアレクサンドは笑っていた。
***
それから月日が流れ、私も14歳になった。ゲームの舞台である魔法学園への入学は15歳。残り一年だ。
1つ年上のアレクサンドは、一足先に入学している。ゲーム開始はリリアンナが16歳。二学年目になった時だ。ゲームの開始が徐々に近づきワクワクするが、逆に言えば婚約解消できるまで時間がない。アレクサンドが卒業し、私も学園を卒業すれば結婚式。それまでは残り4年。どうにかしないといけない。
考え抜いて、私は旧ソプレス王国の地域に支援をすることに決めた。ゲームでは二学年目の後半、旧ソプレス王国の人々がリヒハイム王国を攻めてくるのだ。それをヒロインが回復魔法で援護し、支え、ヒーローを助けて絆が深まる。その時に傍で支え合う相手が、最終的に結ばれる攻略相手となるのだ。
そのイベントが、そもそも起こらなければ? それを回避して、国を平和にできれば、きっと大きな功績になる。それに、アレクサンドと婚約をし続ける理由がなくなる。どちらにせよ、婚約解消への足掛かりになるはずだ。
「ということで、お父様。旧ソプレス王国への支援を行いたいのです!」
まずは私はお父様へお願いすることにした。お小遣いは月に金貨何十枚分もの大金を受け取っているが、そんなに使い切れていない。着々と貯まっている。それを使えば支援はできる。問題は、実際に物資を届けたりする人員や、商人との繋がりが私には無いこと。それに、お父様の許可が無ければ長期間の外出なんてできない。
「……随分とまあ、急だね」
突然の言葉にお父様は呆れたように言う。執務室にはルネが控えていたが、彼女も私の言葉を聞いて不思議そうにしていた。確かに、何の前振りも無ければ不思議がるだろう。
「私のお小遣いは、毎月有り余っています。それに、この前アレク様と視察に行って分かったんです! 治安の悪さは、旧ソプレス王国が原因だと」
そう。あの後、情報屋から聞き出した話によると、リヒハイム王国が吸収した旧ソプレス王国の民衆は、このことに納得がいっていないらしいのだ。確かに、愛着のあった国が敗戦して他の国に合併されるなんて許せない気持ちは分かる。納得できない者と、リヒハイム王国でも別にいいじゃないかと思う者。ここで意見が対立してしまい、リヒハイム王国派の者が追い出される形で周辺の地域へ移動する。しかし、そんなすぐに就職先など見つからない上、敗戦国と言うことで下に見る人もいて尚のこと就職先は見つからない。そうこうしている間に路頭に迷ってしまうというのが、浮浪者が増えた原因らしい。
それならば、追い出される者が出ないよう、出ても安心して生活できるように支援すればいいのだ。具体的に何をすればいいのかは、正直分からない。それでも、この有り余ったお小遣いを使うというのは決して悪いことではないはずだ。まあ、私利私欲もたくさん混じっているが。
「でしたら、旧ソプレス王国の者を救ってあげればいいと思ったんです! 私も、何かしたいんです!」
私の真剣な表情に、お父様は考え込んだ。どういう反応が返って来るのか。ドキドキして返事を待つ。
「ルネ、辺境伯への連絡は?」
「可能です。馬を飛ばせば往復で10日程かと」
「そうか……いずれ王妃になることを考えれば、慈善事業も必要、か」
納得したように頷き、お父様は私へ視線を向ける。
「いいだろう。準備は入念に。私達も力を貸すから、思ったようにやってみなさい」
「ありがとうございます! お父様!」
飛び上がって喜びそうになるのを抑え、部屋を出るために礼をする。ドア付近で待っていたシヴァの下へ駆け寄ると、後ろから慌てたようなお父様の声が聞こえた。
「リリー、旧ソプレスに行くなら、シヴァは連れていけないよ」
「え?」
慌ててシヴァを見ると、眉をひそめて何か考え込んでいる。どういうことかと、お父様を見るとお父様は真剣な顔でこちらを見ていた。
「何故ですか? 当然、シヴァも一緒だと思っていたのに……」
「リリー、今まで必要がないと思って話していなかったが、シヴァは旧ソプレス王国の人間だったんだ」
その言葉に、胸が締め付けられる。滅んだ国と、もういないシヴァの両親。どんなことがあったか、想像するだけで辛くなる。
そんな場所には、確かに連れていけない。嫌なことを、思い出してしまうだろうから。
元々、これは私が勝手に言い出したことだ。婚約解消だって、私一人で何とかするしかない。お父様やルネだって、サポートしてくれる。1人でも、大丈夫なはずだ。そう……分かっているのに。
「リリー……」
今まで、当たり前に一緒にいたシヴァがいないという事実が、急に私を不安にさせる。泣きそうな私の顔を見て、安心させるようにお父様が声を掛けてくれるが、この不安は消えなかった。
じゃあ、他に何か手があるのかと考えると、何も思いつかない。私は大して頭が良くない。あくまでリリアンナというアドバンテージがあるからなんとかなっているだけで、私自身には素晴らしいアイデアなんて思いつく知能はない。必死に考えても、他に何か良い方法なんて、何も思いつかなかった。
「行きますよ。オレ」
泣きそうになって俯く私の後ろから、シヴァの声がした。慌てて振り向くと、彼は真っすぐにお父様を見ている。
「いいのかい? 本当に、それで」
「はい。今は女装もしてますし、きっと知人にもオレだって分かりませんよ」
お父様は心配そうにシヴァに尋ねる。それでも、まっすぐにシヴァは言う。その表情はどこか不安げだが、真剣な表情はカッコいい。
きつく握りしめたシヴァの手を、私はそっと握り締める。すると、気付いたのかシヴァも手を握り返してくれた。緊張のせいか汗ばんだ手は熱い。応援するように、私は手に力を込める。
「お父様……ダメ、ですか?」
私達の様子を見てお父様はため息をつく。
「分かったよ。本人がいいなら……行ってきなさい」
その言葉に、私は目を輝かせた。シヴァに目をやると、安心したように私を見ていた。お互いに手を握り合いながら、私達は笑い合った。
「本当に良いのですか?」
「ああ。乗り越えることも、シヴァには必要かもしれない」
私達の様子を見ながら、お父様とルネが少し呆れたように会話をしている。
「それと、こうなったら君にも一緒に行ってもらうからな」
突然の言葉に空気が凍る。ルネも予想していなかったのか、完全に硬直していた。
「……え?」
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