授与の魔女
種村はむ
第1話 魔女と村
この村には魔女がやってくる。
その魔女は、村の外から馬に乗って現れて、いつも決まった老婆の家を訪ねる。静寂と冷淡を湛えた彼女は、その魔力を行使して、村の仕事──畑の土壌改良や治水、傷病の治療など──を手伝う見返りに、わずかばかりの食料を受け取り去って行く。
真実はどうあれ、それが村に住む者たちの認識だった。
今日も、その魔女が訪れた。
彼女はいつもの老婆の家に馬を繋ぐと、陽の高いうちに畑を回り、それぞれの土壌を魔力で分析した上で、農作物が育ちやすいような改良を施して歩いた。
そして陽が傾くと老婆の家に戻り、病気の者や怪我をした者を迎え入れ、魔力を使って彼らに治療を施した。
魔力による治療は、人体の回復力を高め、軽いものなら瞬時に完治させる。村人たちにとっては近寄りがたくあったが、持病に苦しむ者や作業で重傷を負った者などが、少なからず訪れた。
魔女が魔力を使うとき、よほどの集中力を要するのか、村人たちの目には、それはあたかも苦痛に耐えているようにも見えた。しかし彼女は終始無言で、村人が何か尋ねても、にべもなくあしらうのが常だった。
翌朝、村人たちが気づくと、魔女の姿はどこにもない。魔力を使い、村を助けた後は、彼女は老婆から受け取ったごくわずかな食料品や消耗品だけを携えて、自身の住む場所へ帰っていった。まれに翌朝まで滞在するときも、人目を避けるように静かに去っていく。まるで彼女自身が、気配を消す能力を自らにかけているかのようだった。
そのため、その帰る姿を見た者はほとんどおらず、事情に詳しいと思しき老婆も、詳しく語ろうとはしないのであった。
村人たちの間では、様々な憶測や噂が飛び交った。
「魔力を使うって苦しいんだな」
「魔女は不気味だけど頼れる」
「妙に哀しげな目をしている」
「怖い」
「家に行くと食べられる」
など、どれも他愛のないものだったが、今のところ魔女はただ村を助けてくれる存在であり、彼らは怖れつつも頼りにしてもいたのであった。
魔女がどこからやってくるのか、村人の多くは知らなかったが、実のところ老婆をはじめ村の古い人間はそのありかを知っていた。暗く深い大きな森と小高く険しい山道を越えた先にある、小さな丘の頂上に、その小屋は建っていた。
朝日が小屋を照らし始める中、魔女はかまどで火を焚き始める。食事を済ませると、彼女は小屋の外に出て地面に座り、そっと目を閉じ、瞑想を開始する。
周囲の木々がざわめき、魔力の波動があたりを包む──彼女が日課にしている魔力鍛錬の確立された手順であった。
魔女がいつも通り瞑想をしていたある日、陽が高くなり始めた頃に一人の老婆がふらりと小屋を訪れた。いつも村で世話になる、あの老婆である。
「今日も熱心だね。お前が小さいころは、魔力鍛錬なんて嫌がっていたのに」
その声に、魔女は振り向きもせず立ち上がり、裾に着いた草葉を払い落としながら答えた。
「一日でも怠ると、不安で仕方なくなるの」
だが老婆は知っていた。魔女が卓越した魔力を持ち、またその魔力が極めて安定していることを。魔力は安定せず制御を失うと、魔力は拡散し、魔力行使は失敗する。
「お前ほど魔力が安定した者は、他に知らないがね」
「あの子の存在が、私の魔力を安定させている。それだけよ」
魔女は淡々とそう答えると、婆の顔をちらりと見て、話題を変えた。
「それで、今日はどうしたの、わざわざこんなところまで」
二人のやり取りは、常日頃このようなものであった。老婆はそれ以上深く追求することはしなかった。
「村でいやな噂を耳にしてな。なるべく早く伝えようと思ったのさ」
魔女は魔力鍛錬を切り上げ、婆を小屋の中へ迎え入れた。
手慣れた様子で湯を沸かし、茶を淹れると、ハーブの良い香りが部屋に広がった。木彫りのカップに移し、テーブルに掛けた婆の前にそっと置くと、自らも向かいに腰掛けけた。
婆はカップに視線を落としながら、何気ないふうを装って口を開いた。
「村の者の魔力はどうだい?誰か持っていそうではないかい?」
一人前の魔女は、他人の魔力の才を見出す。村人の魔力のことよりも、これほどの実力を持つ魔女が、いまだに他人の魔力を感知できないことが気に掛かっていた。
「……私には、まだ」
「そうか。おまえほどの魔女が半人前とは、わしには信じられんが」
「私はそうは思わない。一人では何にもできないのよ」
そう答えると、魔女は視線を逸らし、窓の外に目をやった。
部屋にしばし静寂が落ち、木々が風に揺られる音だけが小屋を包んだ。
婆はその音に耳を傾けてから、ようやく本題に入るべく、声の調子を改めて言った。
「おまえも耳にしているかもしれんが、遠くの村で、魔物の目撃が増えているらしい」
「そうなの」
魔女は木々のざわめきをその瞳に映したまま、素っ気なく答えた。
婆は、それでもなお心配を口にせずにはいられなかった。
「村ではまだ目撃されてはおらんが、時間の問題かもしれん。おまえ一人でこんな遠くに住んでいると心配でならん。村の近くに越してくる気はないかの?」
「ここから離れるわけにはいかないこと、知っているでしょう」
魔女は一瞬表情を曇らせるが、すぐに婆に向き直して続けた。
「大丈夫。結界は欠かしていないから」
「その結界も完璧ではないから心配しているのさ」
婆の心配をよそに、魔女は再び窓の外に視線を移し、カップを持ち上げてひと口、静かに喉を潤した。
魔女はもはやこの話題に関心を失っているようだった。婆は肩をすくめながら、自分もカップを持ち上げ口をつけた。
婆は、魔女に気づかれぬよう、ちらりと横目で壁際の棚を見やった。そこには、数々の木彫りの置物や小物が飾られている。
魔女は、相変わらず静かな面持ちで、揺れる木々をぼんやりと眺めていた。
婆はしばらくその横顔を見ていたが、やがて柔らかい声で言った。
「……またいつも通り、必要なものがあれば知らせなさいよ。準備しておくからね」
そうして、婆は「長居してすまなかったね」と席を立った。彼女は扉の前で立ち止まり、もう一度だけ魔女を振り返り、「身体を大事にの」と声をかけ、小屋を出て行った。
小屋の外で馬の嘶く声がした。
魔女は冷めたカップに視線を落とした。
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