第3話 南雲靖久:金曜日の使者

 2月7日金曜日、朝8時半。

 平日出勤ラッシュのピークに重なった国道5号線は、いつも以上に混雑していた。昨夜の雪がまだ排雪されてないせいで、一車線分潰れているせいだ。冬はこれだから困る。

「今朝の雪、凄かったなぁ。あちこち大雪だったろ?富良野も相当積もってんだろうなぁ」

 爆弾低気圧がどうとか言っていた天気予報を思い出す。札幌もそれなりに降ったが、道央は朝方にかけてかなり降ったらしい。下道はどこも混みあってんだろう。

「あ、陸くん。インター乗る前にセーコマ寄って。朝飯食ってねぇんだよ、俺」

「……セコマじゃないんですか」

 セーコマか、セコマか、はたまたセイコマか。この前班のヤツらと散々議論した火種がまた生まれそうになり、俺は前のめりで身構える。

「お、その論争またする?」

「いえ、もうセコマの話はいいです。それよりコンビニ寄りたいなら、セブンの方が近いですよ」

 と思ったら、早々にハシゴを外された。なんだよ、先に突っかかって来たのお前じゃねぇか。

「セブンじゃなくてセーコマのデッカいおにぎりがいいんだよ。あとフライドチキンな。俺の朝飯の定番だから」

「毎日のように食べててよく飽きないですね。というか、そのジャンクな食生活なんとかならないんですか?」

「ならないねぇ。こんな朝も昼も夜も無いような仕事してて、健康的な生活なんて送れるわけねぇだろ」

「僕は忙しくてもきちんと自炊してますよ。この仕事は体が資本ですから、自己管理は大事でしょう」

「うっわー。やっぱ陸くんって真面目〜」

 感心するフリで茶化せば、運転する夏目の横顔と語気がムッとする。

「穂積さんのように奥さんでもいれば、ボスももうちょっとまともな生活になるんでしょうけどね」

「えっ、それって逆ハラじゃない?」

 仕返しのつもりか、やたら棘のある言い草だ。パワハラだセクハラだと警察内でも度々問題になってるが、まさか上司の俺が部下から受けると思ってなかった。ま、別に気にしちゃいないけど。

 夏目がツンとしたままハンドルを切り、駐車場に車を停車させる。着いたのは俺の要望通りのセイコーマートだ。俺は喜び勇んでシートベルトを外す。

「サンキュ。お前さんもなんかいるか?」

「じゃあコーヒーのホットをお願いします。微糖で」

「コーヒー微糖ね。ついでにクロワッサンもつけとくか?」

「どれだけホットシェフ推してくるんですか……気持ちだけで結構です。クロワッサンはボロボロしてスーツが汚れますし」

「そういう理由?」

 美味いのになぁとぼやきを残して、そそくさと店内に入る。あったかい暖房と聞き慣れたローカルCMソングに迎えられた俺は、足早に目的のコーナーへ直行し目当てのものを買う。今日はベーコンおかかと鮭の気分だ。和風ツナマヨも捨て難いが。

 おにぎりとフライドチキン、そして夏目のコーヒーと自分用に緑茶を買い、さっさと支払いを済ませる。店を後にして車に戻れば、夏目は運転席に座ったまま支給端末をいじっていた。届いてる資料でも読んでるんだろう。隙間時間も仕事に余念がないヤツだ。

「ほら、コーヒー」

「ありがとうございます」

 車内に戻りコーヒーを手渡せば、夏目は律儀に両手で受け取った。こういう何気ないところに育ちの良さが見えるんだよな、コイツ。

 車はまたすぐに動き出す。俺はシートベルトを締めながら、早速おにぎりに手を伸ばす。

「事件資料見てたのか?」

「ええ。朝はすぐに出動がかかって、ざっくりとしか目を通せなかったので。ボスは確認済みですよね?」

「一通りな。つっても、今朝通報あったばかりでろくに情報はなかったな」

 鮭おにぎりを頬張りながら、今朝、富良野署から入った第一報を振り返る。

 

 ——富良野のリゾートホテル・ルミエールヴェールにて殺人と思われる事件が発生。


 被害者は自称プロデューサー・石黒智哉いしぐろともなり、32歳。中庭にて転落死しており、遺体は死後動かされた形跡あり。


 情報は今のところこれだけだ。

 本来この段階なら所轄のヤマで、俺たち道警の捜査一課が動くような案件じゃない。が、これには理由がある。

「早いうちに二課が石黒の足を押さえておいたおかげで、富良野署からの連絡が早かったですね」

「完全に想定外の展開だけどな。傷害致死から浮かんだ詐欺の容疑者追ってたら、まさかの殺人だもんなぁ」

 二課の同期、明原あけはらの苦い顔が浮かぶ。もう少しで手柄に手が届くと思った矢先にこの事件だ。無理もない。

「ボスは今回の件、ウチのヤマと関係あると思いますか?」

「俺らのヤマは解決済みだから、どうだろうな。行ってみねぇとわかんねぇよ」

 まだあったかいフライドチキンを開け、大口でかぶりつく。この味の濃さがいいんだよな。

「一個食う?」

「結構です。そんなことより、油のついた手で端末や資料に触らないでくださいよ」

「へいへい。わかってますって」

 車内にあったウェットティッシュで手を拭き、コートのポケットから端末を取り出す。開いた資料は富良野署からの一報ではなく、ウチで追ってたヤマ——北24条傷害致死事件の資料だ。



 2月3日、日曜深夜。

 北24条で傷害致死事件が発生した。被害者は暴行を受けた末、まもなく死亡。被疑者はその日のうちに無事逮捕。事件は一旦スピード解決したかに見えた。

 しかし、話はここからだった。被疑者の聴取で「金を騙し取られた」という供述があり、事件の裏に詐欺の影が見えはじめたのだ。

 本来なら傷害致死の捜査はここで一区切り。あとは二課の担当になるはずだった。引き継ぎすると、明原は組織的な詐欺の匂いを嗅ぎつけたのか、やたらと鼻息が荒かった。最近他の班に手柄を奪われがちだとか言ってたな。点数を稼ぐチャンスだとでも思ったんだろう。


 が、事件は急転直下。二課の調べで浮かんだ組織的詐欺の首謀者と見られる男——石黒智哉が、本日未明、富良野のホテルで死亡したとの緊急速報が届いたのだ。


 たちまちヤマはまた一課に逆戻りすることになり、明原の機嫌は大曲がり。早朝6時半頃に届いた二課からのホットラインのおかげで、前段の傷害致死事件を担当していた俺たち、南雲班が富良野行きを命じられた——と、そんな流れだ。

 とはいえ、今の段階ではなぜ石黒が死んだのかはわからない。詐欺が関係しているのかしていないのか。そこも含めて、まずは現地で捜査しなければならない。


「富良野の方は、今のところ続報なしか」

 俺は端末をポチポチし、傷害致死事件の資料から今回の富良野の事件に切り替える。第一報から追加の情報はなく、現状の資料を再度確認する。


 開いた現場写真に写っているのは、ガイシャの石黒の死体状況だ。


 遺体発見現場は、円形に造られた7階建てのホテルの中庭。観賞用のため宿泊客が出入りできない場所になっており、第一発見者は、庭の手入れに訪れたホテルの従業員だった。


「第一発見者は菊田信一きくたしんいち、40歳。ホテルの施設管理担当か」

「ええ。同じく施設管理担当の主任である笠島英紀かさじまひでのり、51歳と中庭に入り、除雪作業中に発見したようですね」


 石黒は、中庭にある観賞用の雪山の中から発見された。

 中庭は吹き抜けになっており、天井がない。四方を円形のホテルにぐるりと囲まれていながら、そこだけぽっかりと空に開かれた空間——まるで、建物の中心を丸く切り抜いたかのような“外”だった。

 中央には、観賞用のオブジェやライトアップ用照明が置かれ整えられている。しかし建物の外壁に囲まれた外周の一角——特に北東の壁際には、吹き寄せられた雪が積もる構造になっていた。

 吹き溜まりとなる場所は、雪が積もる構造を利用し、小さな雪山としてデザインされているらしい。そして、その雪山に石黒の遺体は埋められていた。

 朝方に降っていた雪や風は、相当強かったんだろう。早朝5時の段階で中庭の除雪に入った菊田と笠島が、「雪が多く、吹き溜まりにある雪山は通常時よりも高くなっていて、1.5メートルくらいの高さまで積もっていた」と証言している。


「石黒が所持していたスマートフォンのアラームが鳴り、その音に気付いて発見に至ったとありましたね」

「スマートフォンねぇ……死体を動かしといて、回収しなかったんだな」


 遺体には動かした形跡と、意図的に雪で覆われた形跡があり、発見状況から当初は殺人の可能性もあるとして捜査が始まった。

 が、それにしてはあまり周到さは感じない。


「で、まだ死因の特定まではいってないと」

「まだ検案は終わってませんが、人為的な外傷もないようですし、転落死と見てほぼ間違いないようですね。死体写真を見ましたが、綺麗なものでしたね」

「積もってた雪のおかげだろうな。この季節じゃなきゃ、中庭は凄惨なことになってたろ」

 過去の転落死現場を思い比べながら、最後のフライドチキンを口に放り込む。噛んだ肉から、グチャ、と肉汁が溢れる。

「写真の死体は仰向けに倒れた状態でしたけど、垂直に落下したと思われる痕跡があった、とありますね」

「そのまま放置せず、わざわざ引き上げて埋め直したってわけだ。そこが気になるんだよなぁ」

 もしこれが殺人だとして、バレないように隠すにしても、中庭に降りるのはリスクだ。人に見られるかもしれんし、そもそも本来宿泊客が入れない中庭にどうやって入ったのか。そしてこれは計画されていたものなのか、はたまた衝動的なものなのか。

 ——まぁ、そこら辺は今考えても仕方ない。現場に行ってから考えるか。


 情報の少なさから早々に話題を切り上げ、俺は緑茶で喉を潤す。残りのベーコンおかかおにぎりにも手を伸ばすと、車は札幌北インターチェンジに乗り、順調にスピードを上げていく。

 さすがに高速に乗れば進みは早い。この調子なら、昼前には現地に着くだろう。

 大口でおにぎりをさっさと腹に収め、俺は緑茶を飲み干した。すると徐々に眠気に襲われ、瞼がうつらうつらと落ちてくる。

「あー……腹が満たされたら眠くなってきた。車はあったかいし、俺はもうダメだ……陸くん、あとは頼む」

「遺言残すみたいに居眠りするのやめて下さいよ……」

 呆れた小言を無視して、シートの背もたれを倒す。完全に寝る体勢に入った俺に、夏目はもう何も言わなかった。まぁ毎度のことだ。今更言うこともないだろう。

 

 ——車は進む。事件現場である、ホテル・ルミエールヴェールを目指して。


 泥のような微睡みの中、エンジンの駆動音と走行音を子守唄に、俺は腕組みをしながら深く背もたれに身体を預ける。


 ——閉じた瞼の裏に、写真で見た煌びやかなホテルと、どこまでも続く雪原が浮かぶ。


 その壮大な冬景色は、やがて俺の夢へと消えていった。

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