徒然に書き付けるだけの雑記

涼風紫音

書籍化したいってなんだろうね?という話

◆書籍化したい、は何を意味するのか?


 最初にこんな話題を持ってきて良いのだろうか? まあいいでしょう。

 書籍化したいという話は非常によく目にする気がします。したいかしたくないかという話でいえば、私ももちろん機会と実力があれば是非という話でもあるのですが、ところでいったなんで書籍化したいんでしょうね?


 私の場合はシンプルな部分とひねくれた部分が相俟ってまして、ざっくり書くとこんな感じになるかもしれません。


①そもそも紙の刊行形式が愛おしい


 まあおおむね病気ですね、これ。私は紙の本が大好きです。家の床が抜けようが壁が歪もうが、知ったことではありません。いったい何冊あるのか見当もつきませんが、過去引っ越しした際に数えた時ですら四千弱はあったので、五千はとっくに超えている気がします。まあこれは一番シンプルな動機です。


 読んでいる感覚、記憶に残る度合い、本に向き合う時間、これらすべての要素において、私の中では圧倒的に紙ラブです。PDFの公開論文ですら可能であれば全部印刷するレベルです。やはりある種の病であるように思いますし、自覚もあります。


②プロの手を経ている


 シンプルな動機としては①なのですが、それだけなら自費出版でも単に一部印刷するだけでもなんでも良いわけです。形として紙であることに変わりはないので。ただそれは控え目に言っても素人が書いたもの以上でも以下でもありません。ただ書いて印刷して製本して終わりです。


 書籍化=どのような形であれ出版社・編集者の手を通して世に出されるということを前提とした場合、そこには最低限それまでの刊行物と同等かそれ以上の質が求められ、あるいはそのプロセスで書き手一人では仕上がらない水準に仕上がっているだろうことを、おそらくは期待できます(もっとも編集の仕事も人手不足だとはよく聞きますし、著者と出版社のもめ事も聞かない話ではないので、あくまで公約数的にそうだろう、です)。


 そこまで行きつくことが仮にできたのだとしたら、それはきっと自分一人の力では到達できないレベルに、一歩辿り着けたということにはなると思います。新人は二作目が重要とはよく聞きますが、それは刊行後の話なのでそれはそれです。


③市場に並ぶだけの質と潜在力


 当然ながら出版社も慈善事業ではないわけで、刊行する以上は最低でも収支トントンじゃないと困るわけですし、そういう意味で企画段階でポシャるという話は珍しくもありません。

 特に紙の本が売れない、返本率が極めて高いと言われている時代にあってはなおさらです。逆に言えば、少なくとも刊行に漕ぎつけたということは、そこで勝負できるだけの質と潜在力を相当程度見込まれている/期待されているといっても過言ではないと思います。


 正直②だけならいくらでも他の選択肢はあるわけで、小説講座もありますし、私のように大学・大学院へ入り直して一から叩き直してもらうという選択肢もあります(講師はプロの作家や詩人、編集者です)。


 そこに出版流通というルートに乗せる以上、マーケットで評価されるはずだという皮算用であれ目論見であれ過大な期待値であれ、そういったものを背負うだけの価値が、刊行という行為に見出されていることになります。


 そんなわけで、私としては①~③のすべてをクリアしてはじめて「書籍化」が意味を持っていることになるわけです。どれか欠いても、それは同人活動を超えないでしょうし、今のところ私はその状態・そのレベルです。自覚はあります。


 ただ、「書籍化する」ことが自己目的化すると、おそらく書く作品の質は上がらないだろうと思います。

 目的は本来「読み手の心に刺さり、読まれること」であるはずで、書籍化は本来「手段」であったはずです。手段と目的は転倒しないようにしたいものです。


 もちろん私だってレビューや応援コメントはとても嬉しいですよ? PVが上がれば読まれているなと実感しますし、上がらなければだめだったかとへこみもします。でもそれはそれです。それが必ずしも書籍化=刊行化と全面的に同一にはならないということです。



◆いったい公募とは何なのか?(紙とWebで違うよという話)


 そのあたりを踏まえてWeb一本で勝負するのかという話になると、それはまた別の話になるのかなと思います。

 当たり前の話ですが、Web小説のコンテスト系のエントリはするのは簡単です(こう言うと語弊がありますが、敢えて言います)。作品を書いてエントリすればそれで済むと言えば済みます。


 ただ、ここにはもう皆さん散々苦労した「読者評価」というフィルターが入ります。UIの仕様上、レビューが集まればPVも集まり、PVが集まれば順位も上がりやすくなり、ランキングの特性上ハイランクになればなるほどさらに読まれやすくなるという正のフィードバックループと言って良いのかかなり躊躇われるものがあります。

 作品を書いて終わりではない、ということです。マーケティングもPRも全部個人でやって、それで這い上がっていくしかありません。既に四桁五桁のレビュー持ちの中に交じって、です。まあ厳しいと思います、率直に言って。


 いま開催中の「カドカワBOOKS10周年記念長編コンテスト」は現在時点でエントリー数が3300を超えています。まあ控え目に言って狂気に足を踏み入れている部類だと感じます。テンプレに寄せれば鉄板、されど競合は増える。テンプレを外せばそもそも読まれにくい。そこで名を売れ作品を売れ読者を集めてこい。いや、これ狂気の沙汰ですよ?

 そんなことを言いながらお前はエントリをするのか? しないのか? みたいな話を向けられるとしたら、合致するものはエントリすることもあるでしょうし、一方でそれありきで作品を書くことはないだろうなという気がします。


 もちろんレビューやPVで読み手の存在が可視化されるというメリットがある一方、紙刊行前提の従来の公募と比較すると、執筆以外に費やさざるを得ないリソースが圧倒的に多いという要素は、書き手にとっておそらく最大のマイナスだと思います。毎日宣伝投稿していたら飽きられるでしょうし(やらざるを得ないのでやりますし、実際そこからたった一人でも読者が付くならやる価値はあります)。


 従来型の公募はせいぜいMAXでも四~五千。これは最大規模の応募数で、公募を絞っていけば大半は数百から千、多くて二千の単位の中での勝負で、もちろんPVやレビューに一喜一憂しながら過ごす必要もないですし、読者集めに奔走する必要も刊行が決まるまでは、まあ無いと言ってよいでしょう(Web並行型でない限り)。少ないと百~二百程度の中で選考が始まることすらあります。もっとも規模が小さい公募は刊行期待値が微妙だったりすることもあるので、公募先はよく選びましょうということにはなりますが。



◆どうせなら両方狙える方が良くないか?


 現状書籍化=刊行化を目指す場合、ルートとしては従来型の公募とWeb小説コンテスト型の公募の二種類あると考えています。

 個人的には両方狙っていけるのが一番選択肢が広がるし機会も広がるとも思います。ということは「Web小説だから」紙原稿の記述ルールを最初から知りもせず無視することが賢明だとは、個人的には思いません。その書き方だと従来型の公募は一行落選確定です。読まれもしません。チラ見して落とされるように思います。

 もちろんそうでないこともあると思いますが、全体として小説指導でいまでも記述ルールについて相応に厳しい指導が入るのは、それが守られるべきものでもあり、同時に紙で刊行した際に「より読みやすい」テキストになるからです。歴史が積み上げてきたルールとはだいたいそういうものです。


 Web小説の場合、行間を空けた方が良いだとか、段落はできるだけ切っていった方が良いといった可読性の問題はもちろんついて回りますが、紙向けの原稿が書ける状態でそうしているのと、それを書くことはできない(そもそも記述ルールを知らない)でそうしているのとでは、その段階で片方の選択肢を捨てているのだと感じます。勿体ないと思います。


 というわけで、私は誰が何を言おうが、やはり行頭は一字下げますし、――や……は二文字分使います。漢数字と算用数字は、比較的Web向けにフレキシブルに混ぜますが、これも時によりけりではあるので、一定の混合記載の法則性のようなものは自分の中に持っていたりはします。


 ものすごい面倒くさい話をいきなり何を言い出しているのだと感じる方は、どうぞ読み飛ばしてください。別に私がそう思っているだけで、皆さんにそうしてくれと言うつもりはありません。我が道を行くも大いに結構だと思います。



 皆さんそれぞれの考えはあると思いますので、私はこう思うな、という話でした。

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