第10話 side アルストロメリア2

 一歩踏み出すと眩い光に包まれる。

 そこから二歩三歩と足を運べば急速に光が収束し、見慣れた自分の部屋の景色に変わる。

 フウと息を吐いて目を開く。

 「おかえり」

 急にあるはずのない声にビクッとアルストロメリアの肩が跳ねた。

 「お、お父様……ただいま戻りました」

 まだ四十手前、中年と呼ぶには些か若く整って見えるのは侯爵家の血筋なのだろう。

 アルストロメリアと同じ明るい金の髪を後ろへ撫でつけた父ブルースター侯爵がソファに座り組んだ足の上に合わせた両手を置いて、異世界である琴音の部屋から戻ったばかりのアルストロメリアを和かに出迎えた。

 視線で促されてアルストロメリアは父の向かい側に腰を下ろす。

 機嫌が悪いわけでもないその雰囲気に珍しく部屋まで父が訪ねてきた理由を推察するが、今ひとつ思いつかない。

 そんなアルストロメリアの戸惑いを小さな苦笑で流した侯爵が口を開いた。

 「無事、お前とサディアスの婚約は解消された」

 「まあ!」

 朗報だと喜色が浮かぶアルストロメリアは両手で口元を隠す。

 「同時にソニック公爵家嫡男レオン君との婚約が調った」

 「はい?」

 目をまん丸に見開いたアルストロメリアが言葉をなくす。

 「これは政治的な要因も大きくてな、陛下の勧めがあった」

 苦い顔を一瞬見せた父にアルストロメリアも言葉をなくす。

 サディアスのオーガスタ公爵家は王家派に属している。

 今回解消されたアルストロメリアとサディアスの婚約は、王女の降嫁があっても中立派を貫いていたブルースター侯爵家を事実上王家派閥に取り込むため、国王自ら仲立ちをした婚約であった。

 そんな婚約をこういう形で解消することになり、国王の怒りの矛先は当然サディアスとオーガスタ公爵家に向いたのだが、原因となっている男爵令嬢に惚気上がっている面子に第二王子が居たことで、表立ってオーガスタ公爵家を罰するわけにはいかなくなった。

 ただ今回の男爵令嬢の存在と害悪が露呈したことで、今後彼女の立場も難しくなるのだろうとアルストロメリアは小さく溜息を吐いた。

 「レオンは、嫌がっていたりしませんの?」

 たとえアルストロメリアに非がない婚約解消としても、傷ものとして扱われることに変わりはない。

 「ソニック公爵もレオン君も前のめりでなあ」

 長い溜息が侯爵の口から吐き出される。

 「今の共同研究も含めて歓迎らしいよ、陛下も中立派のソニック公爵家ならば下手に貴族派と縁組まれるよりずっと良いと」

 サディアスとの関係が悪化し、男爵令嬢を中心とした第二王子を筆頭とする高位貴族子息の醜聞が露呈するようになると、秘密裏に貴族派から少なくない打診があったのだと侯爵の言葉にアルストロメリアはこめかみを抑える。

 婚約解消から時間を置けば貴族派と縁を結ばれ兼ねないと危機感を募らせたのは王家側だった。

 結局、長々とした議論を繰り返し出した結論は解消から間を置かずに中立派のうち穏健な立場を表明していたソニック公爵家との縁組だった。

 話を聞き終えたアルストロメリアは父を見送ると無作法にベッドに転がりゴロゴロとしながら枕を胸に抱えた。

 

 翌日、学園の休みもあり昼過ぎには商会のある建物に集合する予定になっている。

 それよりもかなり早く起き出したアルストロメリアは最近すっかり馴染みになった厨房へ向かった。

 「卵白と小麦粉に砂糖とバターですか、了解です」

 厨房に朝食の後片付けでのんびりと作業する料理人に声をかけて材料を揃えてもらう。

 「卵白と砂糖と小麦粉とバターは同量だったわね」

 バターは常温に戻しておき卵白には砂糖の半量を加えて泡立ててメレンゲを作っておく。

 バターに残りの砂糖を加えて泡立て器でしっかりと白っぽくなるまで混ぜ合わせ、メレンゲを数回に分けて加え混ぜ合わせていく。

 薄力粉は粉ふるいにかけて加えてザクザクと混ぜ合わせれば生地の完成。

 オーブンは余熱をして生地は絞り袋に入れて天板に生地を並べて絞り出し、オーブンに入れて焼き上がりを待つ。

 縁がこんがりとした狐色になり焼き上がったクッキーは粗熱を取り、しっかり固まったのを確認してラッピングをした。

 「残りは皆で分けてちょうだい」

 ラッピングしたクッキーを籐籠に入れて残りは皿に乗せた。


 手渡したクッキーを茶菓子に雑多な執務室で飾り気のないティータイムを始める。

 「口当たりが軽くて食べやすいんだな」

 「ラングドシャ、というクッキーなのよ」

 「しっかり甘いのに、サクッとして舌に解けるからしつこくなくて食べやすい、美味しいよ」

 普段こそ口数の少ないレオンがふわりと笑みを浮かべる。

 「レオンは良かったの?」

 「うん?」

 「そ、その……私との婚約……」

 そっぽを向いて言い淀むアルストロメリアに黒髪を揺らせアンバーの瞳をアルストロメリアに向けたレオンがクスッと小さな笑いを漏らせる。

 「ああ、君が良かったからね」

 君がと言われたアルストロメリアの頬に紅がさす。

 「そもそも言い出したのは僕だから」

 「は?」

 クツクツと笑うレオンにアルストロメリアはパクパクと口を開閉しながら降って沸いた婚約が以前より良いものになる予感に心が騒がしく震えていた。

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