異世界転生準備万端な俺、気づけばリアルが充実している件
半転
第1話 賢者は井戸を掘る
「また、この展開か……」
昼休みの喧騒が遠くに聞こえる教室の片隅で、俺、影山修(かげやま しゅう)は深くため息をついた。手の中にあるのは、昨日発売されたばかりの文庫本。『転生したら魔王軍の四天王だったけど、速攻で裏切って勇者パーティに入りました』。タイトルからしてツッコミどころが満載だが、これもまた様式美というやつだ。
中学2年生になり、新しいクラスになってから早2か月。クラスメイトたちは、それぞれグループを作って談笑している。サッカー部の連中は昨日の試合結果で盛り上がり、女子のグループは新しいスイーツの店の話題で甲高い声を上げている。ここは、俺のいるべき場所ではない。俺の居場所は、ページの中に広がる剣と魔法の世界。そう、異世界だ。
俺は、いわゆる「ラノベ脳」というやつに侵されている。現実(リアル)はクソゲー。理不尽なイベント、攻略不可能なヒロイン、そして何よりクソなのが、俺というキャラクターの初期ステータスの低さ。成績は中の中、運動神経は下の下。友達はいない。教室での俺は、背景と一体化するスキル『気配遮断EX』を常に発動させている、影の薄い存在。だから、あだ名は「シャドー」だ。誰も呼ばないけど。
だからこそ、夢見るのだ。トラックに轢かれるなり、通り魔に刺されるなりして、女神様的な存在からチートスキルを授かり、異世界で第二の人生をスタートさせることを。
しかし、だ。最近のラノベの主人公ときたら、あまりにも都合が良すぎやしないか?
「(……知識チート?笑わせる。スマホでググった程度の知識で、製鉄所が作れると本気で思っているのか?それに鑑定スキル?ご都合主義の極みだ。そんなものがあれば、人生イージーモード確定じゃないか)」
ページをめくりながら、俺の脳内ツッコミは止まらない。
「(ハーレム?ありえない。中学生の陰キャが異世界に行ったところで、話しかけてくれるのはゴブリンくらいだ。しかも言語が通じるとは限らない。最悪、食料として解体されるのがオチだろう)」
窓の外では、クラスの人気者である鈴木が、女子数人に囲まれて楽しそうに笑っている。太陽を背負って輝くような笑顔。爽やかなルックス。サッカー部のエースで、成績もそこそこいい。まさに、物語の主人公(勇者)だ。あれが勇者だとしたら、俺は間違いなく村人A、いや、スライムだろう。しかも最弱の。
「どうせ俺なんて……」
無意識に口癖が漏れる。そうだ、どうせ俺なんて、異世界に行ったって何もできやしない。チートスキルをもらったところで、それを使いこなすコミュ力もなければ、困難に立ち向かう勇気もない。きっと洞窟の奥で、スライム相手にすら怯えながら一生を終えるんだ。
そこまで考えて、ふと、思考が妙な方向に逸れた。
「……いや、待てよ?」
視線は、依然として窓の外の鈴木に固定されている。もし、仮に、あの鈴木が異世界に転生したらどうなる?チートもスキルも何もない、丸腰の状態で。
「(……あいつ、生きていけるのか?)」
俺の脳内で、一つのシミュレーションが始まった。
舞台は、鬱蒼とした見知らぬ森。そこに、制服姿の鈴木が一人、ポツンと立っている。彼はきっと、最初は状況が理解できずにキョロキョロするだろう。やがて、ここが日本ではないと気づき、スマホを取り出す。だが、当然のように圏外。顔が青ざめていく。
日が暮れ始め、獣の遠吠えが聞こえてくる。彼はどうする?サッカーで鍛えた脚力で、闇雲に走り出すか?だが、体力の消耗は死に直結する。火を起こす術も知らず、安全な寝床を確保することもできず、食料はおろか、飲み水すら見つけられない。
そうだ。あいつは、この文明社会というシステムの上でしか輝けない存在なのだ。整えられたルールとインフラがあって初めて、その価値が生まれる。システムが崩壊したサバイバル環境において、鈴木はただの「サッカーが少し上手いだけの、顔のいいタンパク質の塊」にすぎない。ゴブリンが現れれば、悲鳴を上げて逃げ惑い、あっけなく撲殺されるのが関の山だ。
「……勝てる」
俺の口から、確信に満ちた言葉が漏れた。
そうだ。異世界という土俵ならば、俺は鈴木に勝てる可能性がある。
チートスキルなんていらない。鑑定も魔法も必要ない。必要なのは、どんな過酷な環境でも生き残るための、リアルな知識と技術だ。火の起こし方、水の浄化方法、食える野草の見分け方、罠の作り方、応急手当の仕方。
それさえあれば、俺は強者になれる。鈴木のような陽キャが絶望に打ちひしがれる横で、俺は黙々と生きるための術を実践し、圧倒的な生存能力の差を見せつけることができるのだ。
「そうだ。嘆いている場合じゃない」
俺は本をパタンと閉じ、固く拳を握りしめた。その言葉は、もはや自己卑下からくる諦めではなかった。明確な目標を見出した、力強い決意表明だった。
「真に賢い者は、与えられるのを待つのではなく、自ら備える者だ」
そう、転生はいつ訪れるか分からない。その「いつか」のために、俺は今日から準備を始めるのだ。都合のいいスキルに頼らない、リアルでサバイバルな準備を。鈴木のようなヤツらを出し抜くための、俺だけの戦いを。
そう、転生はいつ訪れるか分からない。その「いつか」のために、俺は今日から準備を始めるのだ。都合のいいスキルに頼らない、自力で異世界で生き残る準備を。
放課後、俺は自室のベッドに寝転がり、天井の一点を睨みつけていた。壁には、マジックで殴り書きした『異世界転生準備リスト』が貼ってある。
「スキルや魔法といった不確定要素に頼るのは愚者のやることだ。俺が目指すのは、どんな世界でも通用する普遍的なサバイバル。すなわち、インフラの確保だ」
異世界転生の物語では、主人公はまず冒険者ギルドを訪ねるのが定石だ。だが、待て。ギルドがあるような整備された街に転生するとは限らない。森の奥深くや、見渡す限りの荒野に放り出される可能性だってある。
その時、まず必要になるものは何か?武器か?食料か?違う。
「そうだ……水だ」
俺はガバッと起き上がった。
「水さえあれば数日は生きられる。都合よくきれいな泉や川があるとは限らない。ならば、自ら確保するしかない。それも安定的に。井戸を掘る技術こそ、最強のチートだ!」
俺はすぐさまベッドから這い出し、中古で買ったノートパソコンを開いた。検索窓に打ち込むのは「井戸 掘り方 江戸時代」。表示された検索結果を、食い入るように見つめる。
「なるほど、打ち抜き井戸と掘り井戸か……。必要なのはシャベルのような道具、そして何より、地面を掘削する労力と根気……!」
画面に映し出された、泥だらけになりながらも井戸を掘り進める男たちの姿に、俺は感動すら覚えていた。彼らこそ、真の賢者だ。渋谷のスクランブル交差点で街頭アンケートを取っても、井戸の掘り方を知る若者など百人中ゼロ人だろう。だが、俺は今、その知識を得ようとしている。
「これだ……。これこそが、俺が最初に手に入れるべきリアル・スキルだ」
俺は拳を固く握りしめた。実体験に勝る知識はない。次の週末、俺はこの最強スキルを我が物とするのだ。
そして週末。雲一つない青空が広がる土曜の昼下がり。
俺は、影山家の小さな庭に立っていた。服装は、中学指定の体操服。手には、近所のホームセンターでなけなしの小遣いをはたいて購入した、新品のスコップが握られている。
「ふっ……」
俺は、これから始まるであろう伝説の序章に、思わず笑みを漏らした。
「大体20m~40mで水が出るって話だったか?きつい戦いになるだろう。だが、これもすべては来たるべき日のため……!待ってろよ、俺のハーレム!いや、まずは忠実な奴隷か?いやいや、人権的にそれは……」
ブツブツと脳内でシミュレーションを繰り返しながら、俺はスコップを大地に突き立てた。ザクリ、と小気味いい音がして、土が掘り返される。
「おお……!」
記念すべき第一歩だ。俺は無心で掘り進めた。最初は面白がって俺を見ていた母親が、リビングの窓から「修、あんた何やってんの?家庭菜園でも始める気?」と声をかけてきたが、俺は振り返らない。
「母さん、これは遊びじゃない。生存戦略だ」
真顔でそう答えると、母は「はぁ?」と間の抜けた声を出し、呆れたようにため息をついた。
「なんでもいいけど、お母さんちょっと出かけてくるから。あんまり変なことしないでよ。」
そう言うと、母親は車に乗り込みそのまま遠ざかって行った。
「ふふっ…帰ってきたら新鮮な水を飲ませてあげるさ。」
ザク、ザク、ザク……。
何時間掘っているだろうか。日が沈んできているのを感じる。額から汗が噴き出し、呼吸が荒くなる。体操服が土で汚れ、手のひらには早くもマメができそうだ。だが、俺の心は燃えていた。これは訓練なのだ。異世界でゴブリンの群れから逃げ惑うより、よっぽど楽な作業のはずだ。
「(そうだ、この苦しみが俺を強くする……!)」
穴が膝くらいの深さになった頃、隣の家の塀から、佐藤さんちの奥さんが訝しげな顔でこちらを覗き込んでいるのに気づいた。俺が笑顔で会釈をすると、驚いたような顔で塀の裏に隠れてしまった。きっと、熱心に庭の手入れをする殊勝な中学生だと思ってくれているに違いない。
しかし、そんなことを気にする暇もなく俺の思考はすでに異世界へと飛んでいた。
「(この井戸が完成すれば、俺は村の英雄だ。水不足に喘ぐ村人たちから『水の神子様』と崇められる。そして、村長の娘が俺の嫁に……いや、待て。ここはあえて奴隷の少女を助け、その子にだけ水を分け与えるという展開も捨てがたい……)」
そんな妄想を繰り広げていると、背後から静かな声が聞こえた。
「あの……君、何をしているのかな?」
振り返ると、そこには困惑した表情の警察官が二人、立っていた。
…………………………………
「あ、いや、あの、ですから、これは埋めているんじゃなくて、掘っているんです」
俺は、警察官の一人に必死で説明していた。もう一人の警官は、俺が掘った穴を覗き込み、無線で何やら報告している。
「うん、それは見れば分かるんだけどね。ご近所の方から、『お隣の男の子が、庭に何か大きなものを埋めようとしている』って通報があってね」
どうやら佐藤さんちの奥さんは、俺を殊勝な中学生ではなく、サイコパスな殺人鬼か何かと勘違いしたらしい。笑顔で挨拶する好青年に対してなんて仕打ちだ。
「ち、違います!これは、異世界への備えです!」
俺が少し声を張り上げて宣言すると、若い警察官の眉が、さらにハの字に下がった。
「いせかい……?」
その時、家の前に止まった車から母親が血相を変えて飛び出してきた。
「まあ!お巡りさん!うちの子が何か!?修!あんた一体何をやらかしたの!」
「母さん、違うんだ!俺はただ、井戸を……」
「井戸!?」
俺の言葉に、母は天を仰いだ。その目には、うっすらと涙が浮かんでいるように見えた。
結局、俺の壮大な計画は、母親が警察官に平謝りすることで幕を閉じた。俺が掘った穴は「危ないから」という理由で即刻埋め戻され、新品だったスコップはあっけなくその役目を終えた。
警察官は帰り際に、俺の肩をポンと叩き、言った。
「坊主、何かを始めようっていうその情熱は素晴らしいと思う。でもな、穴を掘るときは、まず大人に相談しような」
その目は、哀れな子供を見るそれだった。
自室のベッドに突っ伏し、俺は今日の敗北を噛みしめていた。最初の挑戦は、あまりにもあっけなく終わった。近所では「影山さんちの息子、ついに壊れた」という噂がまことしやかに囁かれているに違いない。
だが、俺は諦めない。賢者は失敗から学ぶのだ。
俺はむくりと起き上がり、壁のリストに「井戸掘り(失敗。要・コミュニケーション能力)」と書き加えた。
今回の件で、先人の偉大さと、ご近所づきあいの大切さを知った。まずは実践に移すのではなく、知識をつけながら信用を得ていこう。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶとはよく言ったものだ。
「物理的なアプローチがダメなら、次は知識だ。知識の習得なら、誰にも迷惑はかからない。次は……そうだ、中世ヨーロッパの農業革命と統治システムについてマスターする。火薬の精製方法もだ。これなら文句は言われまい……」
俺の目は、まだ死んでいなかった。新たな目標を見据え、再び燃え上がっていた。
だが、その時、俺は知る由もなかった。
住宅街の向かいの通りから、一台のパトカーが去っていくのを、クラスメイトの女子が一人、不思議そうな顔で見つめていたことを。
腰まで伸びた綺麗な黒髪。大きな瞳。クラスの人気者で、太陽のような笑顔を振りまく少女。
陽菜(ひな)が、俺の掘った穴の残骸と、仁王立ちする俺の姿を、じっと見ていたことなど、知るはずもなかったのだ。
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