第49話 降り注ぐ絵具の雨

 染料師は古代より、不思議な術を使う者としておそれられていた。


 それはマリアンヌも同様である。突如として現れた宿敵の姿に、リリアナたちは身構えた。


「【ペイントリア!】」


 マリアンヌが両手を胸の前で組み、低い呪文を紡ぐと、彼女の足元に魔法陣が浮き上がった。


 栗色の長い髪が逆さまに舞い踊り、彼女を中心として虹色の渦が激しく回転する。


 次の瞬間――


 ピュ! ピュ! ピュ!


 絵具のみずだまが四方八方へと飛び散り、容赦なくリリアナたちを襲った。


 ヒヒーン!


 水弾の一つが馬の脇腹を直撃。


 乗り手は無様に振り落とされる。馬は苦悶の声を上げて床に倒れ込み、もがき苦しんだ。


「クソッ!」


 パラディンの元メンバーの一人が舌打ち。


「あらあら、絵具だとあなどってもらうと困るわ?」


 マリアンヌが艶然えんぜんと微笑んだ。


「ペイントリアは染料を意のままに操る能力。弾丸を作るなど朝飯前! さあ、次々と行くわよー!」


 マリアンヌが再び構えを取ると、絵具の雨が襲いかかってくる。


(肉体へのダメージは避けられない!)


 咄嗟とっさの判断で、リリアナたちは隣室へと身を潜めた。


「あら、隠れたって無駄よ」


 バリバリィン!


 水弾は窓ガラスや扉を容赦なく粉砕し、引きつった笑みを浮かべたマリアンヌが侵入してくる。


 リリアナたちが逃げ込んだのは、豪華な衣装が所狭しと並ぶ衣装室であった。マネキンたちが無言でひしめき合っている。


 リリアナたちは衣装や棚を押しのけながら、部屋の奥へ奥へと進んでいく。


「ああ、オレンジ色の絵具がべっとり!」


 仲間の一人が自分の服に付着した絵具を見つめ、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。


 その時、リリアナがひらめいた。


「そうですわ! 皆さま、どうか私に力をお貸しくださいませ!」



 ♢ ♢ ♢



 マリアンヌは侵入者たちを追って、衣装室を進む。


 しばらく使われていなかったこの部屋は、想像以上にごちゃごちゃしていて、半ば倉庫のような様相を呈している。


 衣装棚や収納箱が通路をふさぎ、彼女はよっこらせと登っては着地することを繰り返して進んだ。


 動くたびに、ホコリと窓からの光とが相まって幻想的な情景を作り出す。


(こんなことなら、整理整頓をしておくべきだったわ!)


 マリアンヌは内心で後悔する。


 ふと奥を見やると、窓際に金色の髪が垣間見えた。


(リリアナっ!)


 隠れきれていないのは明らかである。宿敵の髪の色を見間違えるはずがない。


 マリアンヌは呼吸を殺し、猫のように静かに一歩ずつ近づいていく。


 あと五メートル、四メートル、三メートル――


(こ、これは人形!)


 彼女の瞳に映ったのは、オレンジ色の絵具で彩られたマネキンであった。


「そうか! キラキラしたほこりと太陽光のせいで、オレンジが金色に見えたのだわ!」


 特殊な環境下では、色を錯覚してしまう。条件等色メタメリズムと呼ばれる現象だ。


(こんな巧妙な仕掛けを思いつくのは、あの女しかいない!)


 彼女が慌てて振り返ると――


 そこには、マリアンヌを包囲するように、リリアナとその仲間たちが武器を構えて立っているのであった。


「勝負がつきましたわね」


 リリアナが勝利の微笑みを浮かべる。その表情は「こんなローテクな術に引っかかるなんて」と語っているようだった。


 マリアンヌの頬が怒りでこうちょうする。だが、すぐに表情を元に戻し、静かに呟いた。


「あーあ、降参」


 両手を上げて、クスクスと笑い出す。


「さすがリリアナ。今でも立派に染料師を続けてるのね。でも、染料って液体とは限らないの」


 そう言うと、彼女は内ポケットから小瓶に入った黒い粉状の染料を取り出した。


 ガッチャーン!


 瓶が力強く床に叩きつけられ、濃密な黒煙が彼女を包み込む。


「ケホケホッ! 待ちなさいマリアンヌ!」


 煙が晴れた時、彼女の姿はなかった。



 ♢ ♢ ♢



 マリアンヌは隣の化粧部屋へと移動していた。


 ここには数え切れないほどの化粧道具が保管されている。


 彼女は棚という棚をひっかき回し、目当ての色を見つけると、


「変身!」


 魔法を駆使して、わずか数分でエドワードへの変装を完了させた。



 ♢ ♢ ♢



「リリアナ様!」


 隣の部屋からひょっこりと顔を覗かせたのは、やけにまつの長いエドワードであった。


「エドワード様!」


 自分に向かって駆け寄ってくるリリアナを見て、変装したマリアンヌは内心でほくそ笑む。


(さすが私の変装! リリアナは完全に私をエドワードと勘違いしている。近づいてきたところを縛り上げ、本物のエドワードと一緒に処刑してあげるわ!)


 マリアンヌは勝ち誇った眼差しでロープを取り出し、抵抗するリリアナをぐるぐる巻きにしてしまった。


(稀代の染料師といえど、最後はあっさりだったな……)


 彼女は胸を撫で下ろす。鬱憤うっぷんを晴らすように、縛り上げたリリアナを足蹴にした。


(それにしても……)


 彼女はリリアナをまじまじと観察する。


(この染料師は泣きもしないし、驚きもしない……なぜだ?)


「うふふふ。ふはははは!」


 縛られた女が突然、高らかに笑い始めた。


「変装をしたのが自分だけだと思ったのか? 哀れなり、染料師の子女よ!」


「何っ!」


 よくよく見れば、彼女は化粧を施されているものの、リリアナとは全く別の女であった。


「短時間で変装ができるのは、あなただけではない! リリアナ様だって同じだ!」


 指の間から小刃を光らせ、ロープを鮮やかに切断する。


 顔面蒼白で震えるマリアンヌに、リリアナの仲間たちが一斉に襲いかかった。



 ♢ ♢ ♢



 謁見えっけんの間。


 ギギギ……。


 わたくしが重厚な扉を押し開いて、恐る恐る中に入ると、そこには十字架の処刑台に縛られたエドワード様がいらっしゃいました!


「エドワード様!」


「リリアナ、王都の土は二度と踏めないと警告したはずだ!」


 そこには、私を追放した張本人、女王陛下が立っていたのでした。

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