閑話3 ラジオの帝王、怯む
深夜一時。
都内某所のラジオ局。人気のないビルの最上階、防音ガラス越しに浮かぶオレンジの照明が、非現実的な舞台を演出していた。
俺はブースの外、スピーカーから洩れ聞こえる音声を聞きながら、膝の上に置いた掌を何度もこすっていた。掌は湿っている。手汗のせいだ。いや、恐怖のせいだ。
あの男がいる。ブースの中──マイクの真正面に座るのは、芸歴三十年。毒舌、知識人ぶり、若手潰しで知られる深夜帯の帝王。名前はここでは伏せる。だが、深夜ラジオ好きならだれしも、声を聞けばすぐにわかる。あの人だ。芸人というより、もはやラジオ界に棲む「妖怪」。
そしてその相手席に座っているのが、俺の手がける──独裁ナイツ。
ラジオとライブはまったく毛色は異なるが、田崎社長の計らいでチャンスが訪れた。これまでもバズり、テレビに呼ばれ、新聞に載り、快進撃を続けている。どこで気づいたかは覚えてないが、すでに引き返せる道など消えている。あの独裁者たちが「大物」とどう渡り合うか。いや、渡り合えるのか。俺は固唾をのんだ。
出囃子が終わり、開口一番──毒舌が走った。
「いやー、また出てきたよ。なんちゃってコンビ。もうさ、名前だけなら優勝だよな、独裁ナイツ。恥ずかしくないの? 自分で名乗ってて」
スタッフが苦笑交じりに反応する。スタジオの空気は、明らかに「いじり」の場にシフトした。よくある流れ。通常の若手なら、ここでヘラヘラ笑って、身を低くし、毒舌を受け流す──はずだった。
だが、ヒトラーは一言だけ返した。
「恐縮である」
整った発声。狂いのない滑舌。トーン、抑揚、間の取り方すら計算され尽くしている。あまりに完成された「語り」に、かえって不気味さすら感じた。
スターリンは一言も発さない。ただ背筋を真っ直ぐに伸ばし、ヒトラーの横に静かに立っている。それだけで、不思議な緊張がスタジオ全体に満ちる。
大物芸人の顔が、少しだけ引きつる。
「お前ら、政治家の立木勝が来たとき以来の空気だな。……あれも、相当変なやつだったけど」
間髪入れず、ヒトラーがいう。
「立木勝? 大臣も務めておらん小物よ」
スターリンが静かに補足する。
「わしらとは次元が違う」
スタッフが「クスッ」と笑う。だが、その笑いは、ほんの一瞬だけ「ざわつき」を含んでいた。言葉ではいい表せない、うっすらとした違和感。
俺は、その空気を敏感に察した。
簡単にいえば「気づいた」のかもしれない。あいつらが芸人の仮面を外しかけたことに。
──まさか。
俺はその考えを一笑にふす。けれど直感が、首筋を冷たく撫でていく。
そして、決定打はすぐに来た。
大物芸人が笑いながらいった。
「まさかとは思うけどさ、お前ら……転生してきたとか言わないよな? 設定とかあるの?」
──やめろ。
それだけはいうな。
頼む、触れないでくれ。
冗談で流してくれ、お願いだから。
俺の頭の中で、警報が鳴り続ける。あいつらは、ただのそっくりさんなんだ。疑惑を巻き起こさないでくれ。
だが、
「そうだ」
ヒトラーが即答した。表情は一切変えず、無機質な声で。
スターリンが追い打ちをかける。
「トースターから飛び出たな」
「いかにも。煙に包まれながら、出てきた」
「燃えてたな」
沈黙。
スタジオの空気が、一度、完全に凍りついた。
だれも反応できない。冗談なのか、本気なのかわからない。判断不能。それが、彼らの「芸」だった。矛盾を矛盾のまま投げつけ、観る者の思考を麻痺させる。
大物芸人が大声で笑う。
「あっはっは! ネタかよ! お前ら振り切ってんな! 面白えわ!」
その笑いは、自然ではなかった。
どこかしら、自己防衛の匂いがした。
ウケたのではなく、「笑わないと怖い」という潜在的な無意識。
だが、次の瞬間こそが本番だった。
ヒトラーの顔から、完全に笑みが消えたのだ。
「芸歴は浅い。しかし、貴様にお前と呼ばれる筋合いはない」
その口調は、国際会議で一国の指導者が発する公式声明のようだった。
スターリンがマイクを手繰り寄せ、静かに口を開く。
「お前のネタ……見たことあるぞ。起承のテンポは良い。だが『転』が短すぎる。そして『結』が他人任せだ」
我が意を得たりとばかりに、ヒトラーも続く。
「貴様のフリートークは、怯えから来ている。滑らせまいという圧が、話を縮こませている」
大物芸人の顔から血の気が引いた。
椅子にもたれ、口元を歪めながらつぶやいた。
「……ちょっと待って。喧嘩、売ってんのか?」
俺はたまらず、スタジオに飛び込んだ。
「やめろ! あの人、芸能界のトップだぞ! こんな無礼な言い方、冗談じゃ済まない!」
けれど、大物芸人は黙っていた。
少し考えるようにして、額に手を当てながらいった。
「いや、なんかマジで刺さったわ」
その声には、怒りでも困惑でもなく、深い納得感が混じっていた。
「芸歴なんて関係ないよな。俺もあぐらかいてたわ。君ら、笑いを見る目は確かだな、感心したよ」
「褒められるまでもない」
スターリンが口をへの字に曲げ、ジャケットの内ポケットから葉巻を取り出す。
マッチで火をつけようとするその動きに、スタッフが「マジでやめてください」と止めに入る。だが、もうスタジオの空気は、完全に彼らの支配下にあった。
CM明け。
まるで別人のように、大物芸人が穏やかな口調で語りはじめた。
「いやあ、独裁ナイツ、マジで怖いけど……すげぇよ。笑いというより、もはや人生になりえるわ」
スターリンが応じる。
「次は、お前がわしらに何を返せるかだ」
ヒトラーが静かに言葉を継ぐ。
「この場は、貴様の持ち時間ではない。我らを心底、楽しませて見せよ」
「ひい、怖いねえ。独裁者に粛清されたくはないわ」
そのやりとり、全国に伝わった。
ソーシャルメディアは即時に炎上。「#革命ラジオ回」「#総統が深夜を支配」「#独裁ナイツ粛清」──タグが次々にトレンド入りし、公式メールサーバーは落ちかけ、翌朝には複数のネットメディアが放送事故寸前の神回として取り上げたという。
俺はスタジオの隅で呆然と立ち尽くしていた。
「やべえ。拡散力半端ねえ」
独裁ナイツは、ついに超えてしまったようだ。
一線を。
常識を。
そして、笑いの定義を。
最高指導者としての威厳を演じれば演じるほど、世間は喜ぶ。笑いたくもないの、笑ってしまう。
──もう、戻れない。えぐいほど「恐怖」を隠し持ってるかもしれないのに。
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