1-4 無人を、笑わす

 午後の光が、埃まみれの小劇場の床に斜めに差し込んでいた。


 客席は、空。完全なゼロ。唯一、通路のど真ん中に、近所の野良猫がどこからともなく入り込み、気持ちよさそうに丸くなっていた。


 にもかかわらず、舞台にはふたりの男が立っていた。いや、正確には独裁者ふたり。

 ヒトラー。スターリン。名前だけを聞けば、冗談の通じない人類の暗黒史だ。


 だがいま、そのふたりが、ユニクロのジャージを身にまとい、舞台の中央で背筋を伸ばして並んでいる。しかも、漫才のスタイルで。


 けど、せっかくネタに磨きをかけたのに、この小屋はダメだ。事務所の社長からは「お前の力で立て直してくれ」といわれたが、新人コンビに頼るこっちゃねえだろ。


 それでもふたりはダレる様子はない。無人の客席に「独裁ナイツですー」と挨拶を送る。


 まず、ヒトラーが一歩前に出た。右手を広げ、演説口調で叫んだ。


「同志よ! この国に足りないものは何か?」


 スターリン、無言。腕を組み、目線は客席のどこか遠く。

 ヒトラーは拳を振り上げる。表情は険しく、だれかを射殺せるほどだ。


「強力な警察力である! 我が住む街には一日あたり五百件の犯罪が起きておる! 昨日もふたり死んだ!」

「怠けているか、治安が悪いのか」


 ぎょろりと目を見開くスターリン。口髭がヒクヒク動いてる。


「どちらも否! 組織の問題であり、人員不足である。安全かつ平和な社会には多額の予算がいる!」

「同意だ。しかし税金を上げれば人民が蜂起する」

「そこでコストカットだ! どこを削ればいいかわかるかね?」

「補助金だな。無駄な補助金は国家を滅ぼす」


 スターリン、静かに頷き、クスクスと肩を揺する。


 俺はといえば、ヒヤ汗をかいていた。こいつらに政治を語らせるとまずい。極論が飛び出し、客がドン引きする。


 いや、いまはそんな客すらいねえのか。不幸中の幸いだ。


「にゃご!」


 どこかで猫がくしゃみをした。やつらの漫才は退屈か? 猫まで笑わせられたら天才だ。


 俺は、客席の最後列。

 椅子に浅く腰かけ、缶コーヒーを手に、まるで誰かの葬式でも眺めるような顔で舞台を見ている。


 だが、あとから笑いがこみ上げてきた。ネタ自体は正直大したことない。ふたりの顔芸が面白いのだ。

 唇がぴくぴくしている。こんな漫才で笑ったら負けだ。俺は必死に我慢する。


 ネタを仕切り直し、ヒトラーが演説調のまま続ける。


「民衆に笑われる意味とは何か?」


 それを受け、スターリンはうっすら顎を引いた。何かがくる、そう身構えたとき——


「相手の心に入り込む。いわば盗人」

「笑いとは犯罪か? それは面白い見解だが、ならば我らはピエロか? それとも犯罪者か?」


「歴史に裁かれている。全部フルシチョフが悪い」

「あのハゲ頭! でかした!」

「バカをいえ、裏切り者だ。お前逮捕するぞ」


 政治家の本領発揮といわんばかりのネタだが、俺はぼそっとつぶやく。


「なんだろうな。こいつら、もはや笑わせる気とかなさそうなのに、笑える。歴史が生んだ特級呪物なのに」


 ひと通りネタを披露すると、ふたりは黙りこくった。


 まだ続くのか? ダレるんじゃねえか? と思ったね。でも違った。


 ふたりの間には、空気の「間」があった。


 普通の芸人がやったらただの沈黙になるような、粘りつく静寂。これも笑いの一環なのだろうか? 特にスターリンの醸し出す「間」には独特の味があった。


 その静寂はじわじわ説得力をおびる。異様なまでの圧がある。迫力がある。


 やがてヒトラーが唐突に前のめりになる。


「同志! 恋愛をしたことはあるか!?」


 スターリン、静かに一言。


「粛清対象」


 その瞬間、俺は吹き出した。


「なにそれ! 殺すの早すぎだろ! てかモテなかったの?」


 猫が驚いてぴくりと動いたが、すぐまた丸くなった。

 スターリンは微動だにせず、マイクの前で腕を組んだまま仁王立ち。ヒトラーは天を仰ぎ、もはや神にすら語りかけているような表情をしている。


 一瞬だけ笑いをとって、漫才はまだ続く。こいつら、真面目にネタ考えたんだな。


「同志、この国家に必要なのは、統制されたユーモアだ! 資本主義的笑いではない! 精神的武装としての笑いだ!」


 スターリンは小さく首を振る。


「お笑いに武装は不要。銃口から生まれるのは革命だ。この国に革命は無用」

「なぜ?」

「平和すぎる」

「それは事実だが、我はあくまで支配を求める! 笑いがもたらす偉大なる国家の再生を!」

「お前、シベリア送りになるぞ?」

「我は再び甦る!」

「話聞け、ちょび髭野郎」


 スパーンと切れのいいツッコミが入った。絶妙な角度、力加減。これは相当練習したな。


 俺は膝を叩きながら、涙をぬぐっていた。危険な笑いだが、そのブラックさが心に刺さった。


 ふたりは、笑いなど理解していなかった。着実な進歩だ。ひょっとして独裁者ってすごいんじゃね? 伊達に国家を率いてきたわけじゃねえよ。


 無論、観客のイメージを裏切り続けてはいる。こいつらは天敵だ。喧嘩でもおっぱじめるんじゃないかと、普通ならヒヤヒヤするところ。


 でも面白い。俺が求めていた笑いからズレているのに。


 突然、ヒトラーがスターリンの肩に手を置いた。


「同志、滑稽な顔をせよ。観客に見せてやれ、貴様の本域を」

「了解」


 スターリン、まっすぐ前を見据えたまま、ほんの少しだけ頷く。そして、客席に睨みをきかせる。

 いちばん似ているのは歌舞伎だった。変顔にしては堂に入っていた。


 またしても静かな爆笑が俺の中で生まれた。

 客席は空。拍手も歓声もない。


 でも、たったひとりの観客が、心の底から笑っていた。言葉でなく、顔で笑いをとりにくるとかえぐい。


「お前ら、芸風まで確立し始めてるじゃん」


 俺はひとりごち、軽く拍手を送る。たった一人の客だが、この劇場が満員に埋まる未来が見えた。


 目を落とすと、眠っていた猫が頭を上げた。

 ヒトラーがそれをじーっと見つめたまま、こういった。


「同志よ……そこにいるのは、観客か?」


 スターリンが静かに答える。


「監視者、いやスパイだ。体に盗聴器が埋め込まれている」

「貴様のプライバシーなど無価値!」


 今度はヒトラーがツッコミを入れた。立場を入れ替えるとか、高度なことしやがる。


 俺は、椅子の背にもたれながら、小さくうなずいた。同居人として、プロデューサーとしてこう思う。


 今度ネタチェックさせたら、「検閲」とかいわれんのかな……?

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