トースターから転生したヒトラーとスターリン。ダンジョンも魔法もないので漫才コンビ結成しました

桜蔭ひかる

俺んち、異界とつながる

 やつらは壊れたトースターから現れた。焦げたパンと一緒に。


 *


 こたつの電気だけが生きている。


 部屋の蛍光灯はとうに切れていて、天井は真っ黒なまま。暖房なんて高級品はとっくに止めた。熱源は、さっきから脚を焼き続けてるこの安物こたつだけ。足首のあたり、ちょっと低温やけどみたくなってんじゃねえか? けど、それでも動きたくない。トイレさえ我慢してる。


 深夜。カップルはイチャついているんだろうな。俺は彼女ナシ。綺麗な子だったのに、捨てられた。


 くだらないゲームに飽きて、スマホを放る。やることねえな。こたつに置いたテレビをつける。


 地上波の再放送。音は小さい。隣の部屋で親父が寝てるから、これ以上あげらんない。出てきたのは、ついこの前に流れた芸人特集のビデオ映像。画面の右端に、一瞬だけ映る。俺が。細くて、目がギラついてて、うるせえくらい笑ってて。輝いてて。


 缶チューハイを口に含んだまま、喉を鳴らす。うえ、ぬるっ。でもおいしっ。


 坂口晴彦、三十五歳。肩書き、無職。資格、なし。貯金、わずか。特徴、実家寄生型のダニ野郎。しかも中卒でも高卒でもFランでもなく、正真正銘の「一発屋芸人」様だ。拍手。


 笑えねえ? いや、笑ってくれ。そこだけが希望なんだ。

 芸人は笑わせてナンボ。ああ、仕事がほしい。生活費払えねえ。今月で預金が尽く。


 廊下の奥から、地を這うような足音が近づく。トイレに起きた? 体がキュッと固くなる。開けるな、開けるなよ……と願っていたが、スパーンッと襖が開く。


「あんたねえ、またそれかい?」


 母親。いうまでもなく、敵だ。人類の誇るお節介。うちの場合、ビンタが飛んでくる。坂口家は世間とひと味違う。


「なにが?」とだけいって、俺は缶を口に運ぶ。早くいなくなれ、と天に祈る。でもその態度が悪かった。


「テレビ出てた頃の話よ! あんたいつまでそんなことにすがってんの!? ハローワークに行けっていったでしょ!」


 母親が本気で怒り出す。生活費を入れてない件、相当溜まってたらしい。


「行ったよ、バイトしかなかった」

「バイトでいいじゃない?」

「清掃員も警備員も、昔やったけど向いてなかった。あと介護とか? 資格がねえ」

「選べる立場じゃないでしょ!」


 テレビを蹴られて、こたつがぐらつく。やめてくれ、安物なんだよ。それに大騒ぎすると——


「うるさいぞ」


 ほら、出てきたぞ、親父が。めっちゃ不機嫌そうな声。このお方の場合、キレると拳が飛ぶ。当然、ラスボス。


「晴彦が生活費を入れなくて、それなのに働きもしないから……」


 呆れ果てたようにいう母親。この展開はまずい、非常にまずい。彼女が匙を投げると、親父が眠りから覚め、坂口家は業火に包まれる。

 時間にして何秒? 十秒? それ以上か。黙りこくった親父は、抉るような一言を放った。


「お前、芸人に固執してるな。もうやめろ」

「そ、そんなこと……」といい淀む。だが俺のセリフを遮るように、親父が新聞をばさりと投げ、舌打ちひとつ。


「求人が載ってるから。そこから選べ」

「強制する気か?」と文句が出た。勿論、爆発する恐れはある。でも仕事を選ぶ権利はあった。


「嫌なら生活費を入れろ。三十過ぎて笑われるために生きたいとか、狂ってる」


 そう、親父は芸人にいい印象がないんだ。こいつは俺の希望を断ち切る気。間違いねえ。


「わかったよ……死ねばいいんだろ」


 とか、いいつつ、死ぬ気ゼロ。人生なめてる。

 だがこのあとだ。運命はなんの前触れもなくその指を鳴らす。

 スマホの通知が光った。動画共有サイト「ティックトック」からの通知。正直、開くのは怖かった。けど、開いた。


「しずまりたまえぇ!」


 断末魔みたいな俺の叫び。渾身の一発ネタ。これひとつでゴールデンタイムまで駆け上った。


 再生数、伸びてる。コメ欄、湧いてる。《懐かしすぎwww》《こいつまだ生きてんの?》《リアタイ世代泣いた》……。


 一気に全身がカーッと熱くなる。こたつとは別の火が、内側からボウッと燃え上がる。

 もう一度。もう一回だけ、やってやるか——芸人。

 事務所にかけあい、営業もやる。そういうの苦手だが、逃げてらんねえ。


「芸人はやめねえよ」


 ぶっ飛ばされることを覚悟の上で、ゆらりと立ち上がった。親父も母親も冷めた目をしている。


「現実を見ろ、晴彦。堅実に働け」

「いや、もう一度成り上がる」

「どこまで狂ってるんだ。お前、面白くないぞ。父さんだってそのくらいわかる」

「底辺無職をなめんな」


 自分でも分が悪いことは知ってる。でもここで引き下がったら人生終わりだ。


「うぬう」


 やべえ、親父がマジで怒り出した。ライオンのような唸り声を上げ、こちらに一歩踏み出した。

 殴られる!


 ……と、思った瞬間。


 バチッ!


 台所の赤いトースターが火花を噴いた。え、どういうこと?


「うおっ……? な、なんだ、今の……!?」


 俺が素っ頓狂な声を出すと、親父たちも台所に引き下がる。

 ポン、と面白い音を立てて食パンが飛び出す。焦げた。いや、炭だ。真っ黒焦げの塊。


 俺の人生かよ?


 そう思った瞬間、


 ——ズガン!


 今度はマジで爆発音がして、部屋の明かりが一瞬だけ消える。焦げ臭い。煙が立ちこめる。

 視界が真っ白になる。


 親父と母親は恐れおののき、二人で抱き合う。雷でも落ちたのか? わけがわからん。

 やがてトースターの中から、呻き声。


 う、ううう……。


 ごほっ、ごほっ……同志……。


 煙の中、床に人影が二つ。

 全裸だ。パンツすら履いてねえ。


 一人は黒髪。ちょび髭。背筋だけは妙にピンとしてる。もう一人は剛毛。顔に髪がかかっているが、寝ながらにして周囲を警戒している。


 なんだこれ。なんなんだよ、マジで。


「え、え、え? どっから来た? 裸? これ、なに? バズ狙いのドッキリ?」

「侵入者だろ、強盗だ!」


 うろたえた父親が悲鳴を上げる。いや、それもどうなのよ? 犯罪者がトースターから出てくるか? ねーよ。


 煙が晴れてくると、異常さが明らかとなる。やはり素っ裸。そして何かを求めてうごめている。


「ああ、おお……」


 黒髪の男が上体を起こす。顔色は真っ青だが、眼光だけが鋭い。一瞬、目があったが、すぐに宙をさまよう。


「我らは……敗北した……いや、これは……転生? 神罰か……?」


 俺は、テレビで見たことのあるあの顔に、あの声に、震えた。世界史の超有名人にそっくりだった。


「この髭……この声……まさか……ヒ、ヒトラー……?」


 もう一人の男が、呻くようにつぶやいた。こっちはえらく立派な髭を生やしてる。


「同志……粛清の幕は……引かれたのか……?」


 俺は震える指で、缶チューハイを棚に置いた。あ、倒れた。床にぶちまけちまった。


 親父と母親は恐怖で目を剥き、謎の二人組を見つめてる。「警察……?」などと洩らしてる。違うだろ、そういう状況じゃねえ。なんでも常識で考えちまう。


 髭の男にも見覚えがあった。こいつは、スターリンだ。独裁者が二人。俺んちにやってきた。トースターの中から。


 ……やべえの、襲来。


 人生最大最強のギャグだった。

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